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ファンタジー世界に淫する 書割の向こう側へ [ファンタジー世界考察]

 昨日は偉そうに書いたが、しかしたとえば作家が「自分の作品が売れないのは読者の想像力がないからだ」などと嘆くのがいかに馬鹿馬鹿しいか想像すると、馬鹿な記事ではあった。
 昨日も書いたようにここに書いたのは極論である。

 JRPGの絵面が綺麗すぎると書いたのだが、それは別に純粋にイマジナルな領域におけるものだけではない。つまり、JRPGは清潔すぎるのである。といってもトイレが完備されているとかそういう話ではないが。
 まあ実際昨今の出版状況を鑑みれば当然ではあるのだが、たとえばファンタジー世界なのに売春婦とか犯罪とか貧民街とか阿片窟とかが欠けている。そういう意味で清潔すぎる。もちろんまったくないわけではないし、匂わせているものはある。しかしどこか胡散臭い。
 結局こういう問題に行き着くのだが、現代のファンタジー世界にはユダヤ人やジプシーや癩病患者のような要素を盛り入れるのが困難なのだ。これらは中世ヨーロッパの話をするのに無視できない。もちろん直接こんなものを描写するわけにいかない。それでもエルダースクロールシリーズなどをみるとアルゴニアン(蜥蜴人)やカジート(猫人)などがどこか似たような役割を演じていて、匂わせている。


 しかし何故また私はこうもリアリズム気違いなのか。
 一つには私がファンタジー世界に淫していたそれが最もひどい時期に接触していたのがTRPGだったからというのもある。もっとも、実際にプレイしたことはなく、ルールブックやリプレイやシナリオ集を読んで憧れていただけだったが。

 小説とか、コンピューターRPGの場合、実のところ世界の設計など、リアリズムのあり方など、芝居の書割で十分なのである。創作物として伝えたい「何か」(基本的にはストーリー)さえ整っていれば、あとはどうでもいいのである。感動的なストーリーの前には多少の世界の矛盾など綺麗に流されてしまうであろう。
 ところがTRPGの場合そうはいかない。ゲームマスターにせよプレイヤキャラクタにせよなにをするかわからない。別にダンジョン潜って敵を倒すのだけがシナリオであると決められているわけではない。ちなみに私がソード・ワールド2.0を嫌っている理由の一つは世界観の設計段階でシナリオの内容をダンジョン潜りに限定しようという設計者の意図を感じてのことらしい。閑話休題。TRPGの観点でいえばシナリオはかなり自由である。ゲームマスターの裁量次第であり、プレイヤキャラクタは比較的自由である。無論プレイヤキャラクタが「ドラクエ的発想で」他人の家に入り箪笥を物色などしたらルンルンと牢屋行きであるが。まあ閑話休題。
 ゲームマスターは別にダンジョン潜りのシナリオしか考えてはいけないわけではない。たとえばプレイヤキャラクタが立身出世すれば騎士に叙爵されることもあるだろうし(そこまで出世したら引退かもしれないが)、そうではなくても社会的地位が上がって国王から依頼を受けるかもしれない。いや別にそこまで出世せずとも、商人などがからむ仕事を受けるかもしれない。つまり、そういうところで、政治や経済に触れる可能性があるのである。宗教などはなおさらである。聖職者のでてこないファンタジー世界などないといってもいい。パーティの回復薬といえば聖職者である。
 つまり、特にTRPGの文脈で考えるなら、モンスターとマジックだけ考えてファンタジー世界を作って済むわけではないのである。
 それかあらんやソード・ワールド(無印)は後日、世界観を補填するためにかなり量の多い設定資料を出版している。もっとも、ここで書いたような社会的側面はメインというわけではなく、幻獣の生態などといった分量も多いのだが。

 ただ私がファンタジーでリアリズム気違いになるのはTRPGだけが理由でもないらしい。そのことについてはまた今度。
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