So-net無料ブログ作成

CardWirthシナリオ所感「美女が野獣」 [CardWirthシナリオ所感]

WS00001187.JPG

タイトル:美女が野獣
作者:Dr.タカミネ
入手先:Guild

 コミカルな、パズル的なシナリオ。最初から最後までコミカルなのだが、それでいて頭を使う。一応舞台はダンジョンなのでダンジョンシナリオともいえる。
 このシナリオはなんというのか、PCたちの性格診断をしてくれる。そこがまず面白い。そしてパーティがばらばらになってしまうのでそれをまたまとめ上げるのだが、その過程がかなり頭を使う必要があり、それでいて単調なリドル(謎解き)とは違って面白みがある。
 コミカルでいて頭を使いやりがいがある。

 ついでに書くと口移しで水を飲ませる必要があるシーンが(条件次第かもしれないが)あり、ちょっとした恋愛妄想ができる。
 うちの今のPTはみんな女の子なので百合妄想できる。また男女混合でヘテロ前提だと男同士女同士でちょっとまた面白みがあるわけである。
 あとうちの今のPTは全員秀麗持ちなのでこのタイトル通り「美女が野獣」である。いや「女の子」といった方がいい年齢の子が多いけれど。
タグ:CardWirth
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ゲーム

CardWirthシナリオ所感「ミスティック・ミステリィ」 その2 [CardWirthシナリオ所感]

WS00001120.JPG

タイトル:ミスティック・ミステリィ
作者:雲名遊歩
入手先:Vector

 なんとなく思い出話的につらつらと。

 実のところCardWirthで私が好きなシナリオの第一位のような気もする。もちろん第一位というのは選考基準次第であって、完全なベストではないのだが。
 客観的な総合評価的にいえばそこまで評価の高いシナリオではないのかもしれない。探索・日常・ミステリィの三パートが綺麗にまとまっているともいえないし、日常パートは人によってはグダグダ感も感じられるだろうし、ミステリィはそれほど本格的というわけでもない。バグも存在する。

 ただやっぱり登場しているキャラクターとか、全体的ななんというのか優しい雰囲気が好きなのである。特にキャラクターに思い入れしやすいような気がする。

 CardWirthをプレイしていて印象に残るNPCがどれくらいいるのかと(宿の親父と娘はともかく)思うと、まあカナン王とかは別格としてもそれほどいるわけでもない。
 このシナリオのキャラクターは、特にヒロイン(?)はなんとなく印象が強い感がする。それはこのシナリオの文章やキャラの作りのうまさかもしれない。もちろんシナリオのストーリーもそれを十分活かしている。

 ともかく具体的にどうとはいえないけれどこのシナリオの雰囲気が好きなのだ。確かに私は陰惨な中世物語が好きであの有名な「ミエナイトモダチ」や「アモーレ・モーテ」とか大好きだけれど、それとはまた別のレイヤーでこのシナリオが好きである。
タグ:CardWirth
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ゲーム

CardWirthシナリオ所感「夢の王様」 [CardWirthシナリオ所感]

WS00001179.JPG

タイトル:夢の王様
作者:たつの(初回公開当時は「龍乃」)
入手先:Guild(1.50対応版あり)

 王道なお話かもしれないが、それがよくまとまっている印象。それなりに長い。一応ダンジョンものになるのだろうか?
 名前の通りのファンタスティックなシナリオ。内容は王道なのでやっているうちに予測できるかもしれない。それはどんなシナリオでもそういう面はあるのだが。しかし演出が見せ場というわけであり、このシナリオはそれが佳かった。
 特にダンジョン(?)が幻想的で私は好きだった。こういうダンジョンは新鮮みもあるし個人的にも好きである。

 なお私の環境だと旧版は1.50エンジンだと動かなかった。Next1.60だと動くようである。もっとも1.50対応版が出ているのでそちらを入手すればいいのだが。1.50対応版は絵などが刷新されているようだが旧版しかプレイしていないので言及できない。
タグ:CardWirth
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ゲーム

恵まれていた私のオンセ時代とGM 駄文メモ [TRPG]

 ハングドマンに啓示されたセルフギアスによって私は今年中毎日ここの記事を書かないといけないのである。……


 トゥギャッターを見ているとTRPGの記事もちょくちょく出ている。今日は「TRPGで悲劇的なシナリオは許されるか」みたいな記事だった。

 しかし私がオンラインセッションをしていた頃は、まあ私のことを個人的に嫌いな人は若干名いたが、そのサークル内では一応相互に信頼関係が保たれていたので、こんな話題が上がるようなことはなく、平和な毎日を過ごしていた。
 悲劇的なシナリオもあったが、それは私の好みを知ってくれていたGMの人がヴァーグナーの救済悲劇仕立てのシナリオをやってくれて「感動的」だったりしたものとかだったりした。私のPCもやや設定的に「悲劇のヒロイン」的な設定にしていたし、他の人もそれに合わせてくれていた。相互の信頼関係の賜物だった。

 だから、例えば有名なソードワールドのレベル1精霊魔法ピュリフィケーションで即死とか聞くけれども、私の頭の中ではそんなものはGMが没にすればいいだけの話だと思っていたし、そんな屁理屈的なことは馬鹿馬鹿しいだけのことだと思っていたし今でもそう思っている。
 逆に前も話したとおり、プレイヤーとして参加していた時にダンジョンの室内でパイクを振り回すのはどうだろうかとルールの方を捻じ曲げさせたこともあった。

 しかしそういうプレイヤーやGMばかりというわけではない、ということである。


 ただ私も一応少しだけ商業PBMでGMをしていたことがあったから、そうなると気を使う必要が出てくるわけである。どのプレイヤーも活躍させなければならない。

 TRPGのGMをやって一番心が折れたのはセッション失敗判定だった。なんでも成功させるご都合主義は馴れ合いで批判の対象にもなるだろう。またオンラインという微妙な信頼関係にあってはやはりプレイヤーの心情も気にしてしまうのである。

 PBMはまた商業作品でもあるし、よりそのバランスが問われる。明らかなミス判断をしているPCにはその結果を出さないといけないわけだが。代金をいただく以上融通無碍ともいかない。もっともこの辺は私は短期間しかGMをやらなかったのでプロ意識として間違っているのかもしれないが。

 ただPBMだと「ピュリフィケーションで即死」みたいな心配もしなくていいのではあるが。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ゲーム

ファンタジー世界の差別2 短メモ [ファンタジー世界考察]

 簡単な話、出版されているファンタジー作品、TRPGに被差別民がいないことになっているのは「大人の事情」、つまらない事情によるものである。
 だから個人がファンタジー世界を楽しむ分には、つまりTRPGのセッションなどをする分には被差別民やその他の差別があっても問題ないとは思っている。

 が、実際には普段から差別観念を抱いているプレイヤーが一定数いるだろう。匿名性の高いネットメディアを見れば一目瞭然である。

 ロールプレイとして差別を取り込めるのならそれでいい。だが「一定数のプレイヤー」は悪乗りをして卑しむべき満足感を得ることになるだろう。それに多くの人間が集まるオンラインセッションなどでは、完全に見知った人間同士ならともかく、そうではないのなら、「一定数のプレイヤー」が悪乗りした挙句卑しいプレイをしかねない。

 なので「自分の心に誇りのある限り」ファンタジー世界には差別は存在する。詭弁だが。


 私としては「賤民」の登場するドロドロとした暗黒の中世が好みなので「差別には肯定的」なのだが。「ロールプレイとしての差別」というのは非常に高度な知的活動だと思えるし。「ロールプレイとしての差別」ができるメンバーが集まるのなら、そういう要素のあるセッションに肯定的である。

 ちなみに「下手な正義」を持ち込むと逆説的に差別助長になることがあるのだが、今日はもうその点には触れない。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

ファンタジー世界を何故考察するのか 短メモ [ファンタジー世界考察]

20151025_211748-00.jpg

 何のためにここでファンタジー世界について考察してきたのか。やや初心を忘れていた。

 そう、一つはTRRGのシナリオのためなのである。

 TRPGのシナリオには「何が出てくるかわからない」いいかえると「何を題材にしてもいい」。貨幣の改鋳、穀物などの経済、芸術、あるいは騎士や貴族の陰謀術数。

 しかしそれらを題材にするのにるるぶ(ルールブック)ですべて事足りるか? まずあり得ない。

 なのでこんな考察をしているのでもあった。


 余談だがソードワールド2.0が嫌いな理由の一つはルールブックに「冒険の目的は遺跡発掘と蛮族退治です」と限定されているからである。完全に「公式が」シティアドベンチャーやその他社会系シナリオを否定しているようにすら読めてしまう。他の世界観などもシティアドベンチャーその他社会系シナリオを排して遺跡発掘と蛮族退治に特化させようとしているところが見え見えで、自由度の低さを感じられ、嫌いになった。(他にもラノベ臭が臭すぎるというのとか色々あるが。)

 あと上記のソードワールドの本も見てみると社会政治経済面の記述は薄く残念である。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ゲーム

ファンタジー世界の芸術 メモ その2 [ファンタジー世界考察]

 芸術の社会的装置としての役割は人間の悪を保障することである。芸術とは本質的にアモラルである。絶対的な意味において内心の自由が保証されているのと同じく芸術は自由でありその意味で絶対的にアモラルであり芸術は絶対的に悪の側に加担している。

 中世ヨーロッパに芸術が存在しなかったのはその悪や倫理をカトリック教会がすべて吸い上げてしまったからであろうと予測する。

 芸術家のことをば「神の猿」と称する。

 しかしカトリック教会が「完全なる神」を供給してくれるのだから猿になる必要もなくなる。

 いや、カトリック教会は完全なる神を保証してくれたというべきであろうか。内心の自由は芸術のアモラルと直結しているのだが、宗教は内心を支配する。内心を抑圧するのでも制圧するのでもなく支配する。よってカトリック教会が人間の内心に神を保障している以上、内心の自由と接続された芸術は登場し得ない。


 さて。ファンタジー世界に戻る。

 前も書いたとおりファンタジー世界では現代の我々の没入感と「キャラクター性」が世界の構造とマッチングしていないといけないので、中世ヨーロッパと「つかず離れず」でなくてはいけない。森鴎外の『歴史其儘と歴史離れ』である。
 関係ないが澁澤龍彦と塩野七生という対極の位置にいる作家が同じく『歴史其儘と歴史離れ』についてエッセイを書いていて面白く思った。
 閑話休題。ファンタジー世界はやはり『歴史其儘と歴史離れ』なのである。
 私がファンタジー世界に何を求めているのか。一方でラノベ的なキャラクター性を求めているのだが、あの陰惨な中世ヨーロッパへの憧れもまた捨てられない。

 難しい問題であり、書いておいてなんだが、この記事が「メモ」である以上、答えがあるわけでもなく、自分の中でもわからないのである。
 こういうことを書くと「細かいことを気にするな」などという声も聞こえてきそうだが、そういう細かいことを詰めていくから面白いのである。つまらない妄想であっても知の快楽である。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

ファンタジー世界の芸術 メモ [ファンタジー世界考察]

 近日とある絵描きの絵が非難されており私はその擁護に口出しをしたりしてしまった。

 なのだが、私の発言は韜晦していて何人かの人間が晦まされたようである。別に書く時は韜晦するつもりもなくどうも私の自然の性らしい。
 その内容が芸術についてだったのだが。


 さて、ファンタジー世界に芸術は存在するだろうか。

 このウェブログの趣旨からしてまずは実在の中世ヨーロッパを見ることになる。わけだが、幾らか知られているように中世ヨーロッパは「芸術不毛時代」だった。我々がヨーロッパの芸術として知っているものは中世が終わって「ルネサンス」がはじまってから生み出されたものである。
 これもやはりカトリック教会の影響が強かったかと思われる。偶像崇拝禁止という教条もあった。もっともキリストやマリアの像は盛んに作られていたが。詳しくは忘れてしまったが建前論的にはカトリック教義が「個人」を禁じたからである。社会構造論とでもいう面では、カトリック教義が「芸術」の果たす「社会的役割」を全部吸い上げてしまったからだと思う。

 では翻ってファンタジー世界に芸術は存在するだろうか。あっても問題がそれほどあるかというと、あってもそんなに問題はないということにしておこう。
 まずなんといっても現代の我々が「芸術」という概念のない(無論これは極論だが)世界には没入しにくい。

 では何故上記でぼかした表現にしたか。それはファンタジー世界に芸術が存在すると(少なくとも私が望んでいる)ファンタジー世界の永遠性、いや永遠性とはいわないまでも恒常性が保てなくなるのではないかと考えるからである。
 カール・マルクスは芸術を社会の上部構造物と呼んだが、私は逆だと思っている。それは措いておくとしても、芸術と社会構造との紐帯は強いものなので、容易に「華やかだから」という理由だけで「芸術」の概念を持ち込むとファンタジー世界が容易に崩壊するのではないかと懸念している。そうである可能性がそれほど高いとも思ってはいないのだが懸念は消えない。

 と、書いたが、結局ここで今まで書いてきたこともそうだが、ここでの主張は「私がいかに永遠性のあるファンタジー世界を構築できるか」という個人的な願望に基づいているものにすぎない面が大きい。

 本当は芸術の果たす「社会的役割」について書きたかったから冒頭で絵描きの話などしたのだが……さすがに長くなるし中途半端だが今日はメモに留めておく。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

変態の定義 [エロティシズム]

 変態の定義が最近曖昧化しているので整理が必要だろう。「正しい日本語」のためにも。

 変態というのは量の問題ではなく質の問題である。性欲が多かったり性欲が多いことを他人にアピールしても変態にはならない。

 変態というのは「その一定の性癖」でしか性的欲望を喚起できない人間のことである。

 例えば女子高生の制服が好きな男がいるとする。その場合制服を着た女子高生が好きなだけなら変態ではない。しかし彼女が学校制服を着ていないと性欲を起こせなかったらそれは変態である。
 更にいうなら女の存在がなくても女子の学校制服だけで性欲を起こせるのでも変態には値しないかもしれない。しかし女の存在がない女子の制服という、その制服というものだけでしか性欲を起こせないのであれば確実に変態である。

 なお世界で一番多い変態は異性愛者である。彼らは異性にしか性欲を起こせない。深刻な変態であり、なお深刻なことに人類の大半はこの変態なのである。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

オナニーの起源 [エロティシズム]

 オナニーという言葉の語源は旧約聖書の登場人物オナンにある。このことはそれなりに有名かもしれない。オナンは精液を地に零したことでヤハウェから罰せられたと認識されておりこれがカトリックにおけるオナニー忌避論に繋がった。
 ただ実際にオナンがヤハウェから罰せられたのはユダヤ民族の掟である嫂婚制(レビラト婚)に従わなかったからであり、別にオナニーをしたから罰せられたわけではない。

 詳しく書くと、オナンの兄エルが死亡したため、オナンはエルの妻、嫂タマルと結婚しなければならなくなった。しかしオナンはそれを拒んでタマルとの性交の際に膣外射精した。つまり精液を地に零した。それがヤハウェの怒りに触れて罰せられることになったというわけであり、オナンがしたのはオナニーではなく膣外射精、つまり避妊である。
 更に詳しく書くと、何故オナンがそのようなことをしたかというと、オナンとタマルとの間の子供には兄であるエルの相続人になってしまい、オナンの相続人にならないからである。子供ができても兄の相続人でしかなく自分の相続人を持てないから避妊したわけである。
 なのだが、いつの間にか自慰のことをオナニーと呼ぶようになった。地に精液を零したという点だけが同じであるからだが。

 自慰であるところのオナニーが特別オナンの悪徳、ヤハウェの怒りと結び付けられたのは中世カトリックの修道院社会においてである。つまりオナニーが禁欲主義に反するというわけである。しかし聖書の教えからして去勢もまた神の教えに反するようである。カトリックではないが東方正教のとある異端では去勢行為が聖なる行いとされた。仏教では去勢行為が行われ羅刹と称された。
 またあの有名なカタリ派、アルビジョワ派では生殖行為を禁止はしたが、逆に生殖に結びつかない性交は問題がないとされしばしば乱交などが行われたなどとされるが、カタリ派の資料自体がカトリックにより破壊されたものも多いので実態は不明である。とはいえこの点をもってカタリ派がカトリックに責められたのは確かだが。
 というわけで中世カトリックの修道士たちはオナニーを自らに禁じオナンの罪こと「劣情」と悶々と戦い続けていたわけである。


 男性のオナニーは通常男根の刺激によって行われるが前立腺への刺激によって行う方法もある。直腸から直接行う方法もあるが、いわゆる床オナ、男性器を床に擦り付ける方法も前立腺を刺激することになる。
 女性の快楽は大まかにいって二つあることになる。つまり陰核への刺激とGスポットへの刺激である。膣での快楽を認識できる女性は決して多くはなく、一部の女性は一生知ることはないという。膣での快楽は多くをGスポットによるとされる。
 男性と女性の性器はそれぞれ元々胎内では同じ器官であったのが分化したものである。つまり男性の場合は亀頭になった部分は女性の場合陰核に相当し、男性の場合前立腺になった部分は女性の場合Gスポットに相当する。
 よって男性が女性の快楽を味わうには前立腺を刺激するといいはずである。女性化願望が強い男性はその方がいいのだろう。

 とはいえわからない私が部分も未だある。男性より女性の快楽の方が優れていたことは神話時代から現代に至るまでいわれていることだからである。
 即ちギリシア神話のテイレシアースは、性転換が行えたため男女の性の快楽を両方知り、神々に男女の性の快楽の差異を尋ねられた時「ヘーラーの快楽はゼウスのそれより十倍多い」と答えたがためにヘーラーの怒りを買い盲目にされた。ゼウスはそれに配慮して彼に予言の力を与え、テイレシアースはオイディプスに予言をしたりするのだが、まあそれは長くなるので止めておこう。
 現代においても、シモーヌ・ド・ボーヴォワールだったと思うが、男性は性的快楽のために気絶したり己を失うことはないが、女性はその快楽の強さのため性交中に気絶したり己を失ったりするなどと述べている。
 私はどうにもやはりマゾヒズム的快楽が前立腺相当器官に加えて作用すると思うのだが仔細は知らない。というより女性ではないのでわからない。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問