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ファンタジー世界の売れ行き [ファンタジー世界考察]

 先日の記事で、カラスの死骸を畑に放置したらカラスが寄ってこないことに疑義を呈したが、調べたところ実際にカラスの死骸や、カラスの死骸を模した案山子を畑に置いておくと、カラスは寄ってこないらしい。
 これは私の不明である……といえるかどうか。そもそも先述のシナリオはそういったところの説得力が弱くて心に訴えなかったように思える。


 さて。本題。

 Divinity Original Sinという割りとポピュラーなRPGをリリースしたゲームスタジオ、Larian StudioがサイトでRPGについてのアンケートをとっていたらしく、その調査結果をRPG Player Surveyと称して公開している
 なかなか面白い結果ではあるが、ただこのアンケートは同スタジオが自ゲームのプレイヤーを通じて呼びかけたものなので幾らかサンプルに偏りはありそうだ。つまり、このアンケートの結果で一番支持されている要素は、Divinity Original Sinの要素とだいたい一致している。
 とはいえアンケートとしての興味深さはある。

 まず最も支持されているジャンルは、コンピュータRPGとあり、次いでアクションRPGである。それらの次にストラテジーがそれなりの支持を集めている。一方でJRPGやMMORPG、Co-opゲームなどは支持が分かれている。コンピュータRPGとはなんぞという気もするが、要するにシングルプレイでアクション要素が薄くストラテジー要素もない、JRPGではないRPGのことらしい。
 JRPGというのはやはり国際的に見て一部のユーザーにしか支持されていないようである。そしてそれほど人々はマルチプレイを好かないということだろうか。

 RPGのカメラ、視点は見下ろし型が最も支持されており、一人称視点(ファーストパーソン)や三人称視点(サードパーソン)はそこまでの支持を集めていない。ただ、Divinity Original Sinというゲーム自体が見下ろし型なのであるが。

 RPGの構成要素で最も重要視されているのがストーリーである。それにキャラの育成が続く。バトルの戦術性、周回プレイ、宝集めなどはあまり重視されていない。クラフティングもいまいちである。協力プレイはもっと重視されていない。
 考えてみれば、スマホゲームでもFGOなどは、奈須きのこのストーリーと英霊育成(というかキャラ萌え)が重要なのであって、バトルも特別評価されてもいないし、協力プレイも面倒臭がられている。素材集めなどはうんざりされていそうだが。スマホゲームでやたら戦略的バトル(この造語は印象に訴えただけのかなり胡散臭いものである)を謳っているものがあるが、あまり重要視されていないのかもしれない。もっとも、奈須きのこのようなシナリオはそうそう誰でも書けないのだが。

 戦闘システムではターンバトルが好まれており、リアルタイムやポーズつきリアルタイムはそれらにやや劣る。この辺はどれくらい普遍的にそう思われているのか、やや疑問であるが。

 幾つか項目はあるが飛ばして。
 プレイヤーキャラクターはどのようなものがいいかという設問がある。一番支持されているのはカスタムキャラであった。用意されたキャラでプレイするのは、それに比べるとかなり支持が低い。これは興味深い。カスタムキャラは50%近い支持があるのに比べ、プリセットのキャラは15%程度しか支持がない。やはり、RPGというのは没入感が大切で、そのためにはプレイヤーキャラクターをいかにキャラメイクできるかというのが重要ということなのだろうか。

 また飛ばして。
 プレイヤーの性別は、男性が90%近い。女性は10%に満たない。これも興味深い。仔細は後述する。


 このアンケートで大きく差がついた項目として、後ろ二つが特に気を惹く。

 そもそもJRPGというか、日本でのRPGの歴史を考えると、ロールプレイとかキャラメイクという概念自体が薄いように思える。もちろんこれはコンピュータRPGが日本でのRPGの主導権を握っているからである。
 元来のRPGとは、日本でいうところのTRPGである。ちなみにTRPGは和製英語の一種である。日本のコンピュータベースのロールプレイングゲームにはロールプレイという概念が存在しないようにすら見受けられる。プリセットのよくありがちな熱血少年が勇者として世界を救う。そればかりである。多くのプレイヤーはプリセットの「勇者」で満足している。熱血少年勇者に自己を投影して没入できるのなら結構だが、そうではないのならロールプレイの性質も変わるし、ゲーム自体への没入を阻む可能性すらあるのだ。

 ではそれが何故広く許容されていたか。それはRPGのプレイヤー層が物語っている。つまり、少なくともパソコンでロールプレイングゲームをしている人間の多くが、男性であるということである。
 男性がメインのプレイヤーなら、熱血少年勇者を用意しておけば、大雑把にいってだいたいのユーザーがそれで許容してくれるだろう。女性や男性の一部、私のような女性化願望の強い男性などは違和感を感じるかもしれないが、はっきりいって少数派なので切り捨てても問題ないのである。

 振り返ると、日本のライトノベルの、RPG=ファンタジーの嚆矢としてロードス島戦記が存在しているのはいささか幸運であったのかもしれない。ロードス島戦記は元来、AD&Dのリプレイとして雑誌掲載されていたものである。著作権的に面倒であるために元がAD&Dであったことは半分なかったことにされている。といっても葬り去られたとかいうわけでもないが。なので、コンピュータRPG、ドラクエとFFの影響が圧倒的な日本のRPG=ファンタジーの根っこに「伝統的な」TRPGを接ぎ木することはできたのかもしれない。ちなみにロードス島戦記の世界はその後和製TRPGソード・ワールド(無印)となった。また、AD&Dは根っこをたどれば指環物語に行き着く。
 とはいえ日本のライトノベル黎明期を支えたもう一つの作品がスレイヤーズ! であった。これはどちらかというとコンピュータRPG的な発想が強いように思える。むしろ今のライトノベル=RPG=ファンタジーはこちらの影響のほうがまだ強いのかもしれない。

 その後、特にエニックスがドラクエをメタ化したかのような漫画を多く輩出させたことが、今の日本に蔓延るコンピュータRPGベースのファンタジー世界的想像力へと結実した一因となった。

 余談だが、最近のTRPGはすっかりクトゥルフの呼び声に支配されている。そもそもTRPGはコンピュータRPGの勢いに飲まれて、世紀が変わる頃には衰退していた。一度IRCのオンラインセッションを中心に盛り上がったが、結局地下水脈となりつつあった。そこで登場したのがクトゥルフであった。今ではニコ動やニャル子さんを起爆剤として大人気である。
 とはいえこうなるとCoCにあらずばTRPGにあらずとでもいえる状況も到来しているらしい。KPというのはCoCの特殊な概念であるのだが、すっかりGMというものは忘れ去られて、CoCしか知らない人間はTRPGといえば他のゲームでもKPというのだと思っているらしい。KPと称するのはCoCだけである。
 閑話休題。


 そもそも何故日本のRPG=ファンタジーは勇者なる少年が主人公であるものばかりなのか。勇者などというわけのわからぬ「職業」ではなくても、少年が主人公なのは何故か。
 それは売れ行きがいいからである。上掲のアンケートでも、RPGをやっているのは男性が圧倒的に多い。だからとりあえず少年主人公にしておけばだいたいのユーザーはそれで満足する。特にコンピュータベースの日本のRPG=ファンタジーならなおさらだ。キャラメイクなどに余計なリソースを割かなくて済むのだから。
 女性のある程度や、私のような特殊な男性はそれにあまり納得しないが、しかし少数にすぎないのだから、一蹴して済ませればよかったのだ。

 私などは実に特殊で、CardWirthのパーティ編成など見てもわかるように、私は女性としてファンタジーを遊びたいらしいのである。性別が選べるのなら、最新のスマホゲームに至るまでほぼ間違いなく女性を選択する。これは私の女性化願望の故だろう。まったくもって特殊事例であり、顧みられない。

 何故こうなったか。元々TRPGというホビーにしても、コンピュータというハードにしても、男の世界だったからである。ファンタジーの創生にはメアリー・シェリーなどとい女性もいたり、世界初のプログラマとされる人物が女性であったりもするが、どちらも男性社会の中で発達してきた。
 だが、女性の社会進出もあり、事態は変わった。いや、元々女性ユーザーは一定数存在した。MMORPGなども女性ユーザーは相当数いた。女性がプレイヤーの中核となっているゲームだって現行タイトルにはある。

 スマホの普及はこれに決定打を加えた。スマホゲームは、当初、男子学生やサラリーマンが通勤通学の暇つぶしにプレイするものと思われていた。だから多くのスマホゲームは男性主人公前提で作られているし、「萌え」をメインコンテンツとして準備された。
 だが実態は違った。スマホゲームのコアとなるユーザーは、特に金を落とす層は、暇を持て余した専業主婦と水商売のお姉さんであると明らかになってきた。いや、多数が女性を占めているか、具体的な数字はわからないが、相当数は明確に女性ユーザーであり、彼女らは可愛いものとして「萌え」を楽しんでいる。

 女性ユーザーと男性ユーザーの差異として、コンテンツが一方通行化することが挙げられる。つまり、女性ユーザーは男性向けコンテンツを楽しめるが、男性ユーザーは女性向けコンテンツを楽しめない。少年漫画を読む女性と少女漫画を読む男性の数はかなり異なる。男性はほぼほぼ少女漫画を読まない。男性はほとんどボーイズラブや乙女ゲームに手を付けない。だが女性は少年漫画も読むし、恋愛シミュレーションゲームもするし、なんならエロゲーだってする。そもそもエロゲーだってエロ漫画だって女性が絵を描いていることがかなりある。有名な女性エロゲー原画家やエロ漫画家はすぐにでも挙げられるだろう。

 最近は男性向けコンテンツでも女性ユーザーを意識したものも出てきた。主人公の男女を選択できるゲームも多くなってきた。「攻略対象」に少女だけではなく少年を加えたゲームもある。特に任天堂のような世界展開している企業は更なる配慮を求められる。即ちセクシャルマイノリティへの配慮である。同社のゲームで同性が恋人同士になれなかったり、また、明らかにレスビアンなキャラを薬を使って男性への愛に「矯正」させる場面などは国際的批判に晒された。
 こういった試みは当然、ポリティカル・コレクトネスの発達した海外の方が進んでいる。海外では同性が恋愛するのも当然である。
 一方で日本は特殊だろう。一部では同性愛がもてはやされる一方で敬遠されてもいる。ここでは細かく書くつもりはないが。

 しかしやはり日本のRPG=ファンタジーは男性前提で作られている。未だに男性主人公しか選べないゲームは多い。ガチャで出てくるのは美少女ばかりだ。問題がないのは、女性も女の子キャラの可愛さを楽しめるからである。逆に男性は男キャラがガチャから排出されても楽しめない。FGOなどは特殊な事例になるだろう。男の娘はまた別かもしれないが。

 ちなみに、個人的にこのことで役得を得られることもある。主人公が男女選べる場合、私は当然女性を選択するのだが、やはり根本的に、デフォルトとして、今の日本のゲームは男性がプレイする前提で作られている。
 だから、「女性主人公」の「相手」としても女の子ばかり出てくる。そう。百合である。この意味において日本のゲームは百合天国になるのである。
 といったところで、多くは大して描写がなされることもないのだが。
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CardWirthシナリオ所感「黄昏の案山子(スケアクロウ)」 [CardWirthシナリオ所感]

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タイトル:黄昏の案山子(スケアクロウ)
作者:昇進
入手先:多分Guild

 やりたいことはわかるけれど完成度が特別高くないシナリオ。

 頑張って中世ヨーロッパの陰惨な雰囲気を出そうとしていた努力は見られる。
 とはいえ、そこまでものになっていない。テキストが今一歩及んでいないのもあるが、どうにも、陰惨さが絵空事のように思える。空想して作ってみた陰惨さ、といった感じである。

 ネタバレテキストに書いてあるが、ワラキア公ヴラド3世を元ネタにしている。しかし残念ながら全然そこに至っていない。

 だいたい、中世ヨーロッパでは串刺し刑は普通であった。どこでもしていた。その程度の陰惨さは中世ヨーロッパでは日常風景であり、特筆すべきなにものでもない。
 ヴラド3世が「串刺し公(ツェペシュ)」とまでオスマン帝国に畏れられたのは、単純にその量の問題であった。千人単位万人単位であったから伝説とまでなったのである。繰り返すが串刺し刑自体はよくある刑罰の一つに過ぎなかった。ポピュラーな刑罰だった。

 だいたい、作中の串刺しも甘すぎるのである。身ぐるみを剥ぎ取って串刺しにすることで残虐さを描写しようとしているのだが、普通のことであり、特別それを強調されてもなんということもない。そもそも鎧は剥ぎ取らないと串も刺せない。
 子供を串刺しにするのは多少残虐さの演出に役立っているが、そこまで強烈にはなっていない。本朝でも浅井長政の子女だったか羽柴秀次の小姓だったか串刺しで殺されている。

 串刺し刑自体が、特に現代の基準に照らし合わせて残虐な刑罰だったのは確かである。ちゃんとやる場合は尻穴や膣口、あるいは男の場合会陰部を切開して、そこから身体を貫くように串に刺す。しかも鉄の串などではなく木であるから、一気に貫通するわけでもなく、ちょっとずつ刺さっていくのだから苦痛はひどいものであっただろう。もっとも、ヴラド3世のように大量に処刑する場合は面倒なので心臓を刺して晒すだけだったらしい。
 しかしまあそんな刑罰は中世ヨーロッパ、というか洋の東西を問わずよくあることであった。中世ヨーロッパなら、他にも牛馬で四肢を引き裂いたり、皮を剥いだりと多様であった。
 無論これらも当時から残虐な処刑と認識されていた。王への大逆罪は特に牛馬で四肢を割くなどした。オスマン帝国が当時ヴェネツィア共和国領であったキプロスの首邑ファマグスタを陥落させた際には、ヴェネツィアの総督は首を刎ねられた上に皮を剥がれた(順序は逆かもしれない)。剥いだ皮をつなぎ合わせて藁を詰めて、更に首をつけて晒し者にされたのだが、しかしこれはキリスト教徒たちの怒りを買った。お陰で、当時ヴェネツィア共和国の策謀でキプロス救援のため準備されていたキリスト教連合軍は、その司令官アウストリア公ドン・フアンや教皇ピウス5世もやる気満々になりレパントの海戦という決戦に及ぶことになった。主力の海軍と金を提供したスペイン王フェリペ2世は戦わせるつもりがなかったのであるが。

 話はそれたが、ともかく中世ヨーロッパでも串刺しだの牛馬裂きだの皮剥ぎは、残虐とは思われていたが、それは当時では普通だった。つまり中世ヨーロッパ世界において残虐さとは日常であった。
 なので、今更串刺し刑自体は特別残虐ではない。印象づけるにはヴラド3世のように圧倒的な量が必要なのである。

 とても話がそれている。

 あと、作中には、カラスを殺してそれを畑に晒したら、カラスが怖くなって近づかなくなった、というエピソードが挿入されているものの、それほど納得できる話とも思えない。想像の限りだとカラスがそんな行動をすると思えない。

 なお、シナリオのメインの行動はリドルとバトルが一回ずつであるのだが、当初リドルのほうにミスがあったようである。リドルは、よくある、四人が並んでいて一人だけ嘘をついているというアレである。私はリドルが根本的に面倒なのでネタバレテキストを見たが。リドルというのは頭を使えば解けるのだがいまいち面倒である。そして私はそこに楽しみを見いだせないらしい。


 結局、ここで散々リアリティだのリアリズムだのを強調しているのは、こういった描写の限界について指摘したいからである。
 CardWirthは、実際、プロがシナリオを作ったわけではなく、素人のファンが書いたシナリオにすぎない。中にはラノベ作家やシナリオライターをするに至った作者もいるのだろうが。
 おそらく一般的に編集部はこのような稚拙さは許すまい。とはいえそれも程度問題なのかもしれないし、私のようにプロでもないアマチュアにとっては(多少の金銭をもらって商業ベースで書いた経験はあるが)課題となることと思える。
 プロの作品であっても、車の窓ガラス一枚からリアリティは崩れるのである。


 ちなみに久しぶりにCardWirthの記事を書いたのは、CardWirth自体久しぶりに起動したからである。なにせパソコンの調子がとても悪い。グラフィックドライバがすぐエラーを起こす。最新のグラフィックのゲーム、ニーアオートマタとかシヴィライゼーションVIやトータルウォー:ウォーハンマーは動くのに、ウィンドウをこまめに開いたり閉じたりするとすぐにグラフィックドライバのエラーが起きる。
 CardWirthはウィンドウを多量に開閉するのですぐにエラーが起きるのである。どうもメモリを増設してから発生しているのでメモリが原因らしいのだが、その増設したメモリを外しても発生する。グラフィックドライバが落ちるのだからグラフィックボードを換装すれば直るのだろうか。テセウスの船状態の私のPCでは問題の切り分けも容易ではない。
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ファンタジー世界のワレメ [ファンタジー世界考察]

 本屋に行くと、ラノベ系単行本が並んでいる棚がある。かつては新書サイズのエンターテイメント文藝が並んでいた。具体的には赤川次郎や西村京太郎、田中芳樹、それから架空戦記などが並んでいた。今その本棚に行くとラノベ系単行本が並んでいる。タイトルを見ると「異世界」「転生」ばかりでうんざりする。頭が痛くなってくる。気分が悪くなってくる。


 人間は小説というものを読むが、そこにはリアリズムとかリアリティというものが適度に介在する。もちろん伝統的には突飛なものも存在する。たとえばパラディンのアストルフォの月旅行などは書かれた当時にあっては突飛そのものだったのでは思えるが、とはいえその月世界も当時の作者や読者の想像しうるリアリティの範疇にとどまる。
 一部の人間は私のようなリアリズム気違いに苛立って排撃し非難しようとするが、彼らもリアリズムの端女にほかならない。その証拠が本屋にうんざりするほど並ぶ異世界転生ものである。


 さて。
 実は先日見たFate/Apocryphaの話をしたかった。それは瑣末なワンシーンに過ぎなかった。劇中で魔術士がその辺に駐車されていた車の窓ガラスを割って、車のドアを解錠してドアを開けるというだけのシーンであった。
 しかし私にとっては大きなリアリティの瑕疵であった。

 というのも、その窓ガラスの割れ方が普通の板ガラスの割れ方だったのである。車の窓ガラスは当然ながら強化ガラスであり、割ったら細かくひび割れて崩れるように落ちていく。音ももっと低い。これは自動車事故が起きた時に、ガラスの破片による怪我を防ぐためである。
 しかし劇中の窓ガラスの割れ方は普通の板ガラスの割れ方だった。普通のガラスのように破片が飛び散り、割れる音も甲高い。
 これで興ざめである。

 たとえば肘で窓ガラスを粉砕するのは構わない。普通の人間であれば肘で強化ガラスを粉砕するのはまず無理であり、映画でもドラマでもたいていはバールのようなものなどを使って割る。というより、実車の映画やドラマでは道具を使わないとガラスを割れないし、車の窓に普通のガラスが嵌っていることもない。いちいち演出のために車の窓ガラスを普通のガラスに差し替える手間があるならバールのようなものの一つや二つ調達するほうがよほど早い。
 ちょっと話がずれた。実のところ肘で粉砕するのは構わないのである。何故なら、魔術士であるのだから、魔術で肘を強化すればそれで済むし、そもそもあの世界の魔術士は基本肉弾戦も普通であるから強靭な肘を持っていても問題ないかもしれない。しかし問題はガラスである。
 まあ追及の手を緩めるのなら、強化ガラスの破壊音の音源がなかったのかもしれない。それにセル画で強化ガラスの破壊を再現するのが面倒くさかったのかもしれない。

 そもそも、あのアニメを見て窓ガラスのことなど気になった人間など何人いるだろうか。という話である。いや、ブラックラグーンだとかヨルムンガンドのような車の窓ガラスがよく割れそうな作品でどうだったのかと思いだそうと思っても出てこないのではあるが。

 これは一つの蹉跌に過ぎなかったのかもしれない。Fate/Apocryphaを素直に楽しめていればこれくらいの瑕疵は無視できたのではなかろうか?
 しかしFate/Apocryphaには幾らかの「前科」もあった。たとえば前もブログに書いたジークフリートやジャンヌ・ダルクの伝説中の窓ガラス。あるいはルーマニア国内で英字新聞を調達する手間(ルーマニア語の監修の手間を省いたように思わせる)。ナショナルな英雄にすぎないジャンヌ・ダルクを聖女と見做すこと。などなど。
 こういった一つ一つの瑕疵が小さな蹉跌となってこの作品の私の中での評価を非常に下げているように思える。

 いや、再度問うなら視聴者の中で幾人がこんなことを気にするのかということである。多くの視聴者は「スタイリッシュな」バトルでも楽しんでいたことであろう。こんなつまらない瑕疵など気にしない。だいたい私にしても、自分の知識の範疇でしかケチをつけられないのだ。


 前もららマジの「ノートゥング」の発音でケチをつけたが、実際のところ、そんなことを気にする人間などほとんどいないのである。
 だがそれも程度がある。ノートゥングの発音に比べれば、強化ガラスの破砕などはまだ幾らか一般的に馴染みがある。映画やドラマで車のガラスが割れるシーンはあるだろうし、なにより交通事故に合えば車の窓ガラスが割れる場面に遭遇する可能性はそれなりにあるのだ。


 Twitterなどを見ていると、たとえば大河ドラマで、お歯黒も引眉もしていないのを見るとリアリティがなくて興ざめする、という発言があった。
 これをどこまで適用できるであろうか?

 多くの視聴者はそんなものを気にしていない。それどころか、大河ドラマの登場人物たちが揃いも揃ってお歯黒引眉では、現代の視聴者は受け入れられないだろう。


 アストルフォの旅した月世界は、地上と変わらないものであったと記憶している。だいたい、狂えるオルランドでアポロ宇宙船の見た月世界など再現してもこの上なく仕方がない。


 実のところこういった「創作物のリアリティに走った瑕疵」というのは、どこまで追いかけても追いつかない。


 じゃあそれを諦められるか? それは無理である。

 たとえば、雨が降っているシーンならば、傘をさしているか、そうでなければ服なり外套なりが濡れるだろう。それを描写していない、たとえばアニメを見たら、視聴者はおかしく思うだろう。雨が降っているのになんでこの登場人物は濡れていないのだと。

 ところが、雨が降っているシーンというのは幾らか厄介だったりする。つまりファンタジー世界の雨である。ヨーロッパ人が雨の中傘をさすようになったのは割りと近代である。英国紳士などは雨に濡れても傘をささずにステッキがわりにするなどという真偽のわからぬ俗説もある。俗説はともかく、ヨーロッパ人の降雨対策は外套と帽子であった。
 だからファンタジー世界で平然と傘をさすわけにもいかないのだが、かといって降られたままの濡れ鼠というのもなにか「打ちひしがれた様子」を表すときにしか使われない。だからファンタジー世界では都合のいい時にしか雨は降らない。アイドルがうんこしないのと同じである。
 日本のファンタジーでは帽子と外套で雨をよけるわけにはいかないのである。まず髪型を見せびらかすために帽子をかぶせてはいけない、というか髪型がわからないとキャラの区別が面倒になる。それに外套だってデザインするのに手間がかかる。


 結局なにを言いたいのか自分でよくわからなくなってきたようにも思える。相変わらずの駄弁である。このブログにはそんなものしか存在しない。
 冒頭の異世界転生に苛立った話も接続できていない。つまりは、わざわざ異世界に転生させるのは主人公のリアリズムを読者に接続させるためである。読者は生まれながらの農奴のことなど理解できない。そもそも農奴など理解できないからそんなものはファンタジー世界に存在しない。せいぜいファンタジー世界に存在するのは「村人」である。もちろん中世ヨーロッパには存在しなかった「村長」も用意しなければならない。
 転生した現代人の感覚を通してなら「異世界」のリアリズムを担保できるという策略なのである。もちろんこれも誤謬の死体の上に築いた玉座である。ファンタジー世界の料理はまずく部屋は暗くベッドは堅い。それらはすべてごまかされる。アイドルはうんこしない。勇者もうんこしない。

 別にそれらを一概に否定もできない。私だって大河ドラマの登場人物がみんなお歯黒引眉だったら戸惑うだろうと思う。

 だがそれでもFate/Apocryphaの窓ガラスは蹉跌になった。


 余談だが、Fateシリーズでもう一つ気になることがある。というかこれはだいぶ前にも書いたことであるのだが。
 というのは劇中で「弓兵」「槍兵」を音読して「きゅうへい」「そうへい」と呼んでいるのである。「国語」の授業的には正しかろう。それに音読みする読み方も誤ってはいない。
 しかし個人的にそこは「ゆみへい」「やりへい」と湯桶読みすべきものに思える。そのほうが耳慣れている。だいたい、「長槍兵」とか「長弓兵」とかまで「ちょうそうへい」「ちょうきゅうへい」とか呼ばれてはかなわない。

 こんなことだって気にしている人は実に少数なのだろうか。
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ファンタジー世界のふわふわのベッド [ファンタジー世界考察]

 いやまあそんなものはなかったといういつもの話であるが。


 だいたい現代人が考えるベッドがふわふわとかいうのはコイルばねを仕込んだか分厚いウレタンを詰め込んだマットレスのおかげである。
 中世ヨーロッパにコイルばねもウレタンもありはしない。
 ばねについては一文書くと面白そうだが長くなるので今日はやめておく。

 布団には綿が詰まっていることは、中世ヨーロッパではありえない。前も書いたように綿はヨーロッパに到達していなかった。羽毛、いわゆるダウンはあっただろうから、王侯貴族の布団にはそんなものがたっぷり詰め込まれていたかもしれない。

 では中世ヨーロッパのベッドには何が敷かれていたか。

 藁である。

 中世ヨーロッパの住民は藁が好きだった……ということはなかっただろうが。利用可能な「柔らかなもの」が藁しかなかった。

 ベッドには当然藁である。王侯貴族のベッドであっても、マットレスの代わりに頑張って藁を詰めて柔らかくしようとした。庶民のベッドなどは悲しい状態であったことは想像がつくというものだ。ペタペタである。ファンタジーの冒険者などは宿のベッドを恋しがったりするが、実態はそんなにいいものではなかった。単に地べたで野営するのに比べたらよかったという程度である。いや、そもそも人間の主観とはそういうものである。生まれた時から農奴であれば農奴としての貧しい暮らしにも幸せを若干は見いだせるだろう。日本語版ウィキペディアの農奴の項目には農奴は泣きながらまずい飯を食っていたなどと書いてあるが、そんな悲惨しかないような生活を人間は送れない。農奴であっても少しは楽しみもあったであろう。少しは、であるが。もっともその出典の日本人が書いた本は何か思想のバイアスがかかっているようであるが。閑話休題。
 ともかく、ファンタジー世界の居住性というものは、そこで生まれついたものと、現代人の主観とでは大幅に異なる。その辺の男子高校生がファンタジー世界に異世界転生したところで苦痛しかなかろう。とはいっても一ヶ月も暮せばまずい飯にも寒い家にも慣れるだろうし、若ければそれくらいの適応性はあるだろう。ただ、実際にそんな描写が異世界転生ものとやらに存在するのかは知らない。

 話は戻るが、中世ヨーロッパには絨毯というものもなかったようである。農奴だとかいった貧民の家に絨毯がなかったのはもちろんだが、王侯貴族の居城であっても絨毯はなかった。
 ではなにが敷いてあったかといえば当然藁である。絨毯の代わりに藁を敷いていた。適当に汚くなったりしたら捨てて新しい藁を敷いた。

 だいたい、貧民は下手したら家が竪穴式住居である。家に床すら存在しない。

 ニーダーザクセンの冬は地面に指を挿れても凍って堅くて入らないそうである。

 ナンパな男子高校生なんぞが異世界転生したところで凍死しかねない。


 中世ヨーロッパっぽいアイテムとしてタペストリーというものがある。壁にかける絵柄のある織物である。最近では二次元の萌えキャラがプリントされて壁を飾っているが。あれはイスラーム世界から移入された絨毯を、いざヨーロッパ世界に持ち込んだはいいが、土足で踏むのがもったいないから壁にかけてみたものである。床には藁を敷いて我慢した。石の壁であるから、布を垂らしておくだけでなかなかに断熱保温効果があったのである。フランス王国などでは流行して、王はゴブランという職人にこれを作らせた。なのでタペストリーはゴブラン織とも呼ばれている。
 しかし壁にかけられた分厚い布は鼠の格好のすみかとなり、鼠を媒介とした黒死病がヨーロッパに蔓延する一因ともなった。


 別にファンタジー世界に絨毯があっても不都合はなかろうし、中世も中盤になれば竪穴式住居も姿を消しはじめた。
 だから別に中世ヨーロッパ世界の居住性を完全にファンタジー世界にあてはめる必要はないのである。

 だが、だからといってそれを無視することもできない。
 だいたい、ファンタジー世界ならご都合主義で万能穀物とか万能繊維とか捏造すればいいとか書いたが、そんなものはそれなりの裏付けとなる設定や描写をしなければリアリティも得られず浮いただけの存在となりかねない。
 最近のファンタジー世界は安くなったのでそれでも通用するのかもしれないが。
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ファンタジー世界の嗜好品 [ファンタジー世界考察]

 前にファンタジー世界の飲み物について三回くらい書いている。そしてグーグルで「ファンタジー世界の飲み物」と検索するとこのブログの記事が三つヒットする。ということで嗜好性飲料についてまた書こうと思ったが、ついでだから嗜好品についてとりあげる。


 嗜好品という単語は森鴎外が作った言葉である。中国語に嗜好という言葉はあるが嗜好品という言葉はない。英語にも嗜好品という単語はなくShikohinと呼ばれることもある。

 嗜好品とは人間が純粋に楽しみのためにもちいる消費物のことである。栄養を補給するために摂取するわけではない。代表的なものは茶、コーヒー、煙草などである。
 そして中世ヨーロッパにはどれ一つなかった。


 中世ヨーロッパに嗜好性飲料と呼べるものはなかった。紅茶もコーヒーもココアもなかった。煙草もなかった。ハーブティーくらいはあったかもしれない。
 そもそも当時は普段から酒を飲んでいた。飲み物といえば酒であった。エールにせよワインにせよ普通に朝から飲んでいた。ヨーロッパは水が飲めたものではなかったので仕方がないのである。

 茶は支那大陸で飲用とされたものである。これについては以前も書いた。だから紅茶がヨーロッパで日常的に飲まれるようになったのは中華帝国がヨーロッパの貿易圏に接続されてからである。インド亜大陸で紅茶は大体的に生産されるようになった。ちなみにアッサムの紅茶は独特の味わいで、特にミルクティーに最適だが、アッサムの茶はチャノキではなく、チャノキの亜種らしい。
 コーヒーも中世になってからアラビアで飲まれるようになったものである。ヨーロッパ人がコーヒーを飲み始めたのは十七世紀の第二次ヴィーン包囲以降である。
 ちなみに砂糖の需要がヨーロッパで一気に膨れ上がったのは、庶民に至るまでコーヒーを飲むようになったからである。紅茶はインド植民地を有する大英帝国が主な消費地であったが。日本人は緑茶の発想なのか紅茶にもコーヒーにも砂糖を入れない人は多いが、ヨーロッパではほいほい入れる。ちなみに台湾やら東南アジアでも入れる。多分中国大陸でも入れる。日本だけ特殊と思われる。
 ココアが今の形になったのも最近の話である。そもそも、ココアは新大陸の原産でありヨーロッパには元来存在しない。ミルクや砂糖を入れて飲みやすく、あるいは固形のチョコレートにして食べやすくしたのは近代ヨーロッパの発明である。前も書いたように元来のアステカのココアは皇帝の滋養強壮剤であるのだから、日本でおっさんがマカビンビンとかスッポンパワーとかを飲むのと同じ感覚である。
 煙草も、ココアと同じく新大陸の産物である。だからクリストーバル・コロンの航海以前はヨーロッパに存在しなかった。そして驚くべきは煙草の拡散速度である。一度ヨーロッパに移入した煙草は大航海時代の航路を通じて瞬く間に世界中に広まった。その証拠に、煙草は英語でもポルトガル語でも日本語でも「タバコ」と呼ぶ。各国で単語が割り当てられるより早く世界に広まった。同様の速度で広がったのがこれもまた新大陸の特有疫病であった梅毒である。クリストーバル・コロンの航海から百年経たずして日本の戦国武将が梅毒で死ぬようになった。ちなみに梅毒は元々牛の疫病であるから、誰か物好きが牛とセックスしたのであろうなどと澁澤龍彦は書いている。もっともそもそも梅毒が新大陸特有のものだったのかどうかもよくわかっていない。この病気はあまりに早く世界中に広まりすぎた。

 さて、話がずれた。

 煙草というと、日本では紙巻き煙草ばかりで、他に煙管が伝統的だが、それ以外はせいぜいパイプと葉巻くらいしか人口に膾炙していない。しかしその他にも嗅ぎ煙草や噛み煙草というものがある。嗅ぎ煙草は粉末を鼻から吸うものであり、噛み煙草はガム状の煙草を噛む。合衆国の野球選手がよくガムのようなものをくっちゃくっちゃと噛んでは唾を吐いているが、あれは噛み煙草である。噛み煙草はニコチンを有しているから噛んだ唾液も噛み煙草も飲み込んだら死ぬ。彼らが唾をペッペッペッと吐くのは汚らしいわけではない。そうしないと死ぬのである。お陰で彼らは舌癌の発症割合が高い。
 イスラーム世界では水タバコ、シーシャが普及している。これは水の入ったガラス瓶に煙草の煙を通すものである。持ち歩きが不便だからシーシャバーとかシーシャ窟とか呼ばれるところで集まってシーシャを嗜む。酒の飲めないムスリムにとってシーシャバーはヨーロッパのパブみたいなものであった。つまり大人たちの社交場であった。いや、パブには子供も来るが。

 そう、パブというのも、色々一概にいえるものでもないが、飲酒が割りと子供の頃から容認されていたヨーロッパ世界では大人の世界というわけでもなく、子供も来る場所で、社交場である。いや、それをいうなら「子供」などという概念そのものが、公的教育の普及しはじめた19世紀末になって新しくできたものである。ヨーロッパだけではなく全世界的に子供などという概念は近代まで存在しなかった。子供でも農場や鉱山で働き、第二次性徴を迎えれば結婚も出産も売春もするようになったのである。敢えていうなら子供と大人の差は第二次性徴だけである。

 話を本筋に戻そう。

 煙草のような嗜好品は、世界には他にもある。たとえばコカの葉などは、今では精製されてコカインとなるが、アンデス世界では煙草を嗜むようにコカの葉を噛んで、労働者などは疲れを癒やしていた。CardWirthにはコカの葉というアイテムもあるが。コカレロなる酒もあり、最近日本でも六本木あたりに行くと出てくるらしい。
 ブラジルにはガラナという植物由来の嗜好飲料がある。コーラも元来はコーラの実から抽出した液体である。コカ・コーラのコカとはコカの葉、コカインのコカであった。
 大麻も土地によっては一般的ですらある。合衆国の医療大麻などというレベルではない。ねこぢるの旅行記を信じるならば、インドでは大麻がガンジャラッシーなどとして普通に出てくるらしい。
 他にも、アジアやアフリカの熱帯にかけて、カヴァ、ビンロウ、キンマ、グトゥカー、カートなどといった様々な嗜好品がある。これらは噛み煙草のように噛んだり、抽出した液体を飲んだりして楽しむのだが、ただ向精神作用があるものもあり、危険な薬物と認識されているものもある。


 ファンタジー世界にこういった嗜好品は存在するだろうか。ファンタジー世界に移入した場合、政治経済、社会的な枠組みに影響がないのなら、存在してもいい。実際、ファンタジー世界でも煙草はポピュラーで、特にドワーフなどは煙草を好むなどとする設定を見かける。ドワーフのような肉体労働をしているのなら、噛み煙草やその他よくわからぬものを噛みながら鉱山労働に従事するのなどは絵になるだろう。エルフのシャーマンやドルイドなども自然と交信するのに薬物的なものを使ってトランス状態になるかもしれない。
 冒険者のような過酷な仕事であれば同様であり、特に煙草のような、どこか(もなにもそのものではあるが)不健康な嗜好品は似合うようにも思える。

 とはいえ、大英帝国が茶葉と生糸(とついでに鴉片)のために戦争を起こし植民地を支配したのに見られるように、こういった嗜好品であっても政治経済に影響を与えないなどということはないのである。まあ、啓蒙時代以降の、特に産業革命進行期のヨーロッパは中世ヨーロッパなどと比べれば爆発的な人口の伸びを示しているから、そこまで心配すべきではないのかもしれないが、それにしてもヴァスコ・ダ・ガマやクリストーバル・コロンの航海の動機が香辛料という嗜好性の高いものであった以上、無視もできないだろう。
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ファンタジー世界の居住性 衣類篇 [ファンタジー世界考察]

 本来なら「ファンタジー世界の衣類」とか「ファンタジー世界の布地」という記事を書きたいところなのだが、調査しようと思うとなかなか面倒なので今日は概論的な、いい加減な感想を書くつもりしかないのでこのタイトルにした。


 ファンタジー世界になぞ暮らしたくないシリーズの衣料品篇である。

 ファンタジー世界というのは食事もまずければトイレも汚いしガラス窓もないと書いたが、衣類事情もひどいものであった。

 まず当たり前だが合成繊維が存在しない。ナイロン、ポリエステル、ポリウレタン。石油化学も存在しないのに存在するわけがない。男性諸君にとって女性の黒タイツやオーバーニーソックスは性的にとても好ましいものでファンタジー世界でも皆想像逞しくしているが、ナイロン生地は存在しないのである。まあ、といっても、啓蒙時代の王侯はピタピタのタイツを履いていたのでそこはなんとかなるかもしれない。しかし水着はどうあっても難しい。現代人の想像では水着はナイロン一択である。頑張ってファンタジー世界でも水着を着せようと苦心惨憺……などせずファンタジー世界にバンバン水着を登場させているが(なにせ水着ガチャは金が集まる)、そんなもの存在しようがない。そもそも中世以前の世界で水遊びするなら全裸が基本である。それが当然の常識なのである。
 話は大幅にそれたが、当然ながらポリエステルのサラサラ感などファンタジー世界に存在しないのである。

 では話を天然繊維に限ったとしよう。

 まず綿、木綿が中世ヨーロッパには存在しなかった。今これを見ている諸君も木綿の下着なり肌着なり身にまとっている可能性は高かろう。だが中世ヨーロッパに木綿は存在しない。木綿すら存在しない。
 これは、一つには単純に原産地と栽培地の問題である。綿の原産はアメリカ大陸とインド亜大陸であった。中世ヨーロッパの住民は綿の存在自体知らなかった。インドから伝聞された綿の「伝説」は大幅に脚色されたものだった。即ち、綿生地がウールと似ていたため、ヨーロッパ人たちは「植物」の「ウール」、「木に生える羊」だと思ったのである。これが伝説のスキタイの羊、韃靼の羊、リコポディウム、あるいはプランタ・タルタリカ・バロメッツことバロメッツである。
 想像がつくだろうか。木綿の下着や肌着がないのである。といっても想像しにくいかもしれないが。ヨーロッパ人は基本的にウールの服しか持っていなかった。自らの裸体に、なんでもいいからウールの衣類を下着なしで直に身にまとうことを想像するといい。そう、そもそも下着や肌着も存在しなかった。Skyrimで自キャラを全裸にすると下着みたいなのをまとっているが、あれは全裸にさせないための法的配慮である。ともかく、下着なしでウールの衣類を裸の上に身にまとうことを想像することである。ファンタジー世界が実に居心地悪いか想像できる。

 といっても、木綿の問題はなんとかなるかもしれない。というのは、木綿の原産地やファンタジー世界の気候を適当に調整すればそのファンタジー世界で木綿が生産されていてもおかしくはない。田中芳樹がジャガイモを導入した手間より手っ取り早いかもしれない。
 あるいは、それこそバロメッツが伝承どおり存在してもいいのである。そのほうがファンタジー世界にふさわしくも思える。いや、だがファンタジー世界とはいえ「驚異」がそれほど日常化してはいささか興ざめだろうか。

 実のところこの件の解決は比較的容易にも思える。なんなら、木綿や絹を超えた万能繊維をオリジナルでこさえればすべて解決する。名前とかそういうのは適当につけておけばいい。植物繊維でも動物繊維でもなんでもかまわない。
 下着だってそうである。別に下着の有無がどれだけ文化的差異に影響を及ぼすか。中世ヨーロッパに下着が普及していたとしても封建制度は崩壊しないかもしれない。

 トイレにしてもそういう面はあって、たとえばモヘンジョダロにだって下水はあったのだから、中世ヨーロッパファンタジー世界の都市に下水が普及していてもいいのである。
 ただ、万能繊維や下水の普及した世界ではペストのような伝染病は減るかもしれない。そうなると、『銃・病原菌・鉄』などという書名が存在するくらいだからなにも無視はできないかもしれないが。

 ただやはりそれにも限界はあって、トイレはよくてもトイレットペーパーは存在させるのがいささか面倒である。板ガラスもである。砂糖なら木綿と同じくごまかしはきくかもしれない。だが霜降り牛肉などはほぼほぼ存在しない。まあヨーロッパ人は赤身の方が好きだけれど。

 だいたい、そんな万能繊維のような都合のいいものがほしいかどうかというのもある。なんでも快適なファンタジー世界というのも、いささか味気ないようにも思えるのだ。


 ファンタジー世界の居住性というのは、あるいは工夫すればなんとでもなるものかもしれない。だが世界の整合性は常に考える必要はあるだろうし、そもそもそんなファンタジー世界が望ましいのかどうか、そこまで考える必要はあるかもしれない。
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ファンタジー世界に淫する ユートピアへの道程 [ファンタジー世界考察]

 実のところ前も書いた内容に思えるのだが、自分のファンタジー世界への固執について書こうと思う。いや、あるいは繰り返し書いているようにも思う。

 休みをたくさん挟んではいるが、基本的にこのブログを更新すると精神的に満たされる。
 それはどうあってもファンタジー世界を愛しているからである。

 何故ファンタジー世界が好きになったのか、起源はいまいちわからない。小学校の頃にドラクエであるとかファイナルファンタジーを見て気に入ったは確かで、自作のファンタジー世界の地図を描くのが大好きだった。今ならRPGツクールで再現できるようなものだろう。ただ好きなのは地図だけであったように思える。ストーリーなどに思いを馳せなかった。どうやら当時の私の印象に残ったのは地図ばかりらしかった。地図、というよりも世界であろうか。世界地図である。
 そもそも私はストーリーより事物そのものを愛していた。保育園の頃から絵本より図鑑が好きだった。絵本もそこそこ読んだが、図鑑を愛していた。生物、天体、岩石など。敢えていうなら博物学に魅せられていた。大プリニウスのような博物学である。もちろん当時の私は大プリニウスのことなど知らなかったが。

 中学校の頃までに想像力の基盤が作られつつあったが、その時点までにゲームやアニメの世界がベースとなっていたように思える。そもそも白人の顔立ちなど知らないのである。ファンタジー世界に登場する人物の顔はアニメ的なもの、つまり二次元絵であった。繰り返すが白人の顔立ちなどは想像できるものではなかったのである。実のところ日本のファンタジーはこれが根深いようである。とある少女小説の作家や挿絵画家も似たようなことを述べていたと記憶している。だから日本のファンタジーは二次元絵、アニメやゲームやラノベと親和性が高いのだと思う。

 さて、私は人生の初期から精神が不安定であった。人格形成に失敗している。まあそれはどうでもよろしい。とにかく高校の頃は現実逃避しか考えていなかった。そこで用意されていたのがファンタジー世界であった。このことは以前も書いたが。
 だから現実から逃避するために堅固なファンタジー世界が欲しかった。

 この起源は自分ではっきりしているわけでもない。
 ただ今日はそこを措いておこう。

 私が欲しかったのは自分が逃避するための確実な世界であった。一つの亡命先である。現実がどれだけ空疎で餓えて渇いたものであっても、ファンタジー世界がそこに確実に存在するのなら私はそこに想像の翼を広げることができた。いや、実存の翼とでもいうべきだろうか。

 だから、私のファンタジー世界は確実に存在している必要があった。その世界として完結していることが必要だった。物語のために従属しているものではなかった。物語を基準として整合性を疎かにするわけにはいかなかった。いや、そもそも物語などない。私が欲しかったのはそれだけで自律して回る一つの、「もう一つの」世界であった。世界は完璧でなければならなかった。世界に瑕疵があってはならなかった。瑕疵があればそこから世界が綻んでしまう。私はその「もう一つの」世界に移住しなければならない。だから自分の住む世界が綻んでは困るのである。

 それで私はその世界の確実性を補強しなければならなかった。前も書いたように、ファンタジー世界の物理法則は魔術でも神の奇跡でも頼れば整合させることができる。ちなみに数学だけは魔術でも神の奇跡でも手出しはできないが。閑話休題。しかしファンタジー世界に住んでいるのが人間、あるいは人間と相互理解可能な社会的生命体である以上、彼ら同士の関係は容易に整合させられるものではない。ある程度介入可能であったとしても、そもそも人間のパーソナリティと異なる社会的存在と生きていきたいだろうか。つまり、社会の問題である。ファンタジー世界の社会を緻密に設計する必要があった。

 というわけで私はファンタジー世界のリアリティ、リアリズム、それも社会的側面に注目することになった。いや、リアリティリアリズム気違いとなった。


 と、一応まとまった気がするので今日はここまでにしておく。まとまりきっていない気もするが。
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ファンタジー世界の傷痕 [ファンタジー世界考察]

 ファンタジー世界は色々な意味で男女同権が図られているので女戦士とか女騎士とかが割りと普遍的である。海外のファンタジーではレスラーみたいな筋肉ムキムキのワイルドな感じの女戦士が標準的である。翻って本邦の女戦士は少女然としたほっそりしたものが好まれる。これについては斎藤環が『戦闘美少女の精神分析』という大変興味深い本を書いているのだが、いかんせん肝心の核心部分が、ソーカル事件で知られる無駄に難解なラカンの理論で説明されているためさっぱりよくわからない。
 かくいう私も戦闘少女は大好きだが、その起源を一応はリボンの騎士に比定してはいるものの、精神分析学も存在自体崩壊したことだし、起源については謎となってしまった。

 ところで、女戦士は白兵戦を行う。いや、女魔術師も女聖職者も基本的に冒険者なる職業である以上白兵戦を行うことが前提である。
 白兵戦を演じれば当然怪我を負う。鈍器で殴られ、剣や斧の刃に斬られ、魔法で焼かれる。それは男の冒険者でも女の冒険者でも変わらない。
 つまり女だろうと男だろうと冒険者は傷つく可能性が高い。いや傷を負って当然である。

 戦国武将の伝記などを漁ると、彼らは生傷絶えず傷だらけだったことが窺える。藤堂高虎や北条氏康など満身創痍、傷跡だらけであったという。

 だとすれば、当然ながら、ファンタジー世界の女戦士、女騎士、日本のファンタジーではメインヒロインの座をしばしば担う可憐な彼女らも、生傷絶えない傷跡だらけの身体をしているはずである。戦士に限らず、後衛の魔術師だの聖職者だって、量はともかく傷跡はあるだろう。ゴルゴ13のデューク東郷などは脱ぐと傷だらけだが、彼女らもデューク東郷のような感じになるはずである。

 しかしまあ、日本のファンタジーワールドに住まう彼女らはお肌ツルツルである。なにせヒロインとしてセクシャルな視線に堪えなければならない。私のように傷跡に萌える人間もいるだろうが、多くの男はツルツルお肌を好むようである。
 というわけで彼女らは傷一つないボディを誇っている。
 たまに傷跡を誇る女性冒険者もいるようだが、大抵はベテランさの象徴や、荒んだ感じを出すため、あるいは「特別な戦いで負った傷」だけである。例を出すなら進撃の巨人の、ミカサの頬の傷などである。あの傷が描かれているのはエレンにまつわる戦闘のメモリアルな理由からである。

 さて、ファンタジー世界でそれを「再現」するという無駄な試みを行おう。このブログはそういう場所である。

 簡単な手段は聖職者の治癒魔法である。いや別に治癒魔法を聖職者の専売特許にしてやる所以もない気はするのだが。
 治癒魔法を使えば傷痕も残らない。女戦士もお肌ツルツル。ハイ論破。

 としてもいいのだが、しかしファンタジー世界の魔法でもなんでもそこまで便利なわけでもない。結局はそこに何を望まれるかである。ファンタジー世界の女性冒険者は物語のヒロインたるを望まれているので、お肌ツルツルなわけである。ご都合主義である。たまに物語的に「見せ場」があったらちょっと傷痕を残してみる。「女の子なのにお肌に傷痕残ってしまって」みたいなセリフを添えれば物語は成立する。

 なので、ファンタジー世界がちゃんと実在するなら、そこの女性冒険者、ヒロインたちはその肌に傷痕刻んだ歴戦の勇者たちであるべきなのである。


 しかしこういった、リアリティとキャラクター性を対立させていくと、ファンタジーがどんどん破綻の危機に襲われる。
 遺憾ながら私も現代に生きるオタク文化、キャラクター性と二次元的表現に囚われた哀れな存在である。それはそこそこ萌えを求めることになる。
 結局は程度の問題である。


 傷痕の他にも、筋肉なども問題になるであろう。前述の通り海外ファンタジーの女性などは筋肉ムキムキに表現されがちだが、ジャパンのファンタジーの女性はやたらほっそりしている。そして脱いでも(何故脱ぐかはさておき)ツルツルである。多くの場合腹筋すら割れていない。
 海外ファンタジーの女性をレスラー呼ばわりしたが、女子プロレスというのはあくまで限定的な趣味であるようで、私もその趣味はないし、ジャパンのファンタジーに出てくる女性はスマートである。
 しかし傷痕は魔法でごまかせても筋肉はあまりごまかせない。アイズ・ヴァレンシュタインもカタリナさんもミカサも脱いだら筋肉ムキムキで満身創痍傷痕だらけなはずなのだ。
 まあ、女性は筋肉がつくといってもある程度皮下脂肪も残るからボディビルダーみたいな筋肉モリモリにはそこまでならないのだが。


 個人的には筋肉質な女の子にしても傷痕のある女の子にしても萌えの対象だが、一般的に男性はスリムでお肌ツルツルな女の子を好む。傷痕のある女の子などはどちらかというと特殊性癖にカテゴライズされかねない。百合的妄想で女の子冒険者パーティーの後衛女の子が前衛女の子の傷痕を舐めながら「これはあの時私を庇ってくれたときの傷……」とかいうは好きだが、とても一般的ではないように思える。
 それに私にしても、実際のところ、ファンタジーであっても想像の基盤が二次元から離れられない。というのは、私は白人女性に欲情しないのである。審美的価値は見いだせるのだが、性的価値を見いだせない。そんなわけであるから程度問題と自分の中で片付けざるをえない。


 たとえ二次元の絵であっても、私は筋肉の表現を重要視している。別に筋肉ムキムキを求めているとか腹筋は常に割れていなければならないとかいうわけではない。そう、それは二次元の世界では明らかに特殊性癖に分類される。
 しかし、筋肉は絵画的意味で重要だろう。特に、男性諸君が好きな太ももなどはその典型である。あれは大腿部の筋肉を賞翫するのであって、肌色の円筒形を賞翫するのではない。フィギュアに着目するとよくわかる。壽屋のフィギュアなどは太ももにせよ他のパーツにせよどこまでもただの円筒形であり、実に物足りない。それに比べてマックスファクトリーやアルターの見るべきフィギュアの太ももには肉がある。
 二次元のいわゆる萌え絵を見て、多くは顔などの表現に目を奪われがちだが、私などは着目すべきは身体の造形であると思っている。腹筋は別に割れていなくともいいが、腹筋の存在を意識した表現などを見ると思わず見てしまう。脚の表情などは特にそうであろう。太もも、膕、ふくらはぎ。筋肉への配慮なしにはいいものになりえないのである。
 現実的には、それは、筋肉の発達していない女の子もいる。特にお嬢様学校の生徒のふくらはぎなどは視覚的差異があることなどは、実在制服界隈だと話題になったりする。
 とはいえそれにしてもただの円筒形を描いて済むわけではない。

 実情としては、それは絵の描き手の興味によるという。基本的には、女の子を好んで描こうとする絵描きは筋肉に着目も執着もしないという。どちらかというと、筋肉への注意は、やはり男性キャラを描く時に強くなるようである。
 それにしても筋肉や骨格を無視して人体を描こうというのはあまりにいただけない。肌色の円筒形などを見て何故欲情できるのか謎である。
 そして近年の着エロの風潮がそれに追い打ちをかけるのだが、あまりに余談なので言及はやめておこう。


 ファンタジー世界とは関係のない話になってしまった。
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ファンタジー世界の居住性 [ファンタジー世界考察]

 最近ファンタジー世界、異世界転生なるものが大流行である。

 私は好きではない。

 何故私が異世界転生を好かないのかさっぱり理由はわからない。理由の一つはあまりに転生のシステムが安易に思えるからかもしれない。たとえばナイツ&マジックの転生はあまりに安易でご都合主義的に思えた。死んだら理想の異世界に行けるとか、なんというか極端すぎる話をすればそれなら自殺もしたくなる。あとナイツ&マジックは転生先にも親がいるのだが、既に人格形成が済んでいるためにその親の存在意義が薄く、そこが軽薄にも見えた。幼女戦記のように孤児として転生すれば納得もできる。だいたい少年少女が自立して活躍するために親が片方なり両方なりいないのはストーリーテリングの基本でもある。


 あともう一つはファンタジー世界に特別暮らしたくもないというか、そもそもファンタジー世界は特別快適でもなく、居住性も低いというのがある。これだけファンタジー世界に憧れていながら今更なんであるが。


 たとえば、一番大きな差異の一つが窓ガラスである。中世ヨーロッパには窓ガラスなどなかった。こんな単純な知識であるのに、ファンタジー世界の居住性に極めて関わるがために無視されている事象の一つである。最近だとFate/Apocryphaの回想シーン、即ちジークフリートやジャンヌ・ダルクの「生前」の街並みの背景絵で家々の窓に全部窓ガラスが嵌っていた。ジャンヌ・ダルクはもちろんのことジークフリートの時代にあんな窓ガラスというのもおかしなことである。
 そもそも我々が想像する、というより日常目にする板ガラスの量産方法が確立されたのは19世紀とか最近なのである。それまでの板ガラスの製法は、まず壜やコップのように円筒形にガラスを膨らませ、その円筒を切り開いて板状にするというものであった。当然ながらそうそう大きくできないし、手間がかかるから高価である。しかも綺麗な平面にもならないし、当時は透明にならずやや緑色を帯びていた。ヴェルサイユ宮の鏡の間などは当時の技術の粋であり、ロンドン万博においてすら水晶宮は驚異であった。1520年、イングランド王国とフランス王国が懇話のために設けた通称金襴の陣における、仮設宮殿に設えられた一枚の窓ガラスはファンタジー世界でいうならばマジックアイテムに等しい奇跡的なものであっただろう。
 では中世ヨーロッパの家々の窓にはどんなものが嵌っていたか。木の板である。当然光は入ってこないから室内は暗い。あるいは、採光のため窓は空いているが外気も吹き抜ける。冬は窓を閉ざして灯りをつけるか、太陽光のために寒さに凍えるかである。
 上記の通り板ガラス自体は存在した。しかし窓ガラスは小さく、透明ではなく、凸凹で、ひどく高価なものであった。だから城などでも、人が移動するたびに窓ガラスはサッシごと取り外しては人のいる部屋の窓にだけ嵌められた。つまりガラス窓を取り外しては持ち運び、在住する部屋の窓に嵌めた。
 板ガラスの製法はどう頑張っても中世ヨーロッパの技術力では量産できないものである。だからまずもって中世ヨーロッパ風ファンタジーの世界にガラス窓は普及できない。工夫の余地は少ないのだ。魔法で作ればといっても、大抵のファンタジー世界では魔法はポピュラーなものではないし、あるいはドワーフの技法などといってもドワーフが近代的工場を持っているわけではない。せいぜいできるのはドワーフの技術を秘技としてブラックボックス化させることだけである。


 他にファンタジー世界の居住性で問題になりそうなのはトイレである。なにせこれが面倒でこのブログでは冒険者はトイレに行かないと結論づけたくらいである。
 ファンタジー世界のトイレでネックになるのは二つ。一つは下水処理である。中世ヨーロッパ、というより割りと近代まで、パリのような都市でも下水はなくて、おまるにした屎尿を窓からぶちまけていた。ファンタジー世界の都市はなにより臭い。
 もう一つはトイレットペーパーである。そもそも中世ヨーロッパには紙がない。古来から人々が大便をしたあと何で尻を拭いていたか、それが問題である。葉っぱや木箆で拭えればまだましな方で、今だって文明化されていない世界では手で拭って水で洗うような場所もある。
 そんな異世界に転生したいだろうか?


 最後にファンタジー世界の食事である。

 最近はグルメ漫画が流行していて、ついでにファンタジーも流行しているから、ファンタジーグルメというジャンルも確立されつつある。
 しかし間違いなくいえる。

 ファンタジー世界の料理は大して美味しくない。

 まず材料である。
 砂糖がない。極めて高価な輸入品である。香辛料もない。肉は堅い。豚と鳥は食用に飼育されているがそれでも飼料は豊富ではない。牛肉や馬肉などは、そもそも牛も馬もファンタジー世界では食べるものではなく農耕のための家畜である。今で言えばトラクターである。そうそう潰して食べられない。ただ、基本的に冬を越すための飼料を確保できないので、冬が来る前に一定数屠殺する必要はあったのだが。そして牛も馬も、ついでに豚も鳥も食用としての品種改良が進んでいない。現代のブロイラーなどは食味のために特殊な飼育をされている。フォアグラなどよりよほど残酷な飼育をしている。話はずれたが、つまり、中世ヨーロッパというかファンタジー世界の肉は脂も乗っておらず、堅く筋張ったものだと考えた方がいい。特に牛肉については。
 他にも野菜にせよなんにせよ品種改良されていない食材というのは魚介類だけともいえよう。

 といってもファンタジー世界のグルメを一概に否定する必要はないのである。
 つまり、生まれた時から中世ヨーロッパの「まずい料理」に慣れているのなら、ファンタジー世界にも美味しい料理は幾らでもある。
 しかし、現代の「美食」に慣れた舌なら、ファンタジー世界の料理はとても物足りないものであろう。異世界転生など受け入れがたいものとなるだろう。

 もっとも、一年も転生先で暮せば慣れるのかもしれないが。
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名剣伝説 [ファンタジー世界考察]

 久しぶりになにか書いてみる。久しぶりなので脈絡も根拠もなく気ままに書いてみる。


 ソシャゲとかスマホゲームとか言い方は一定しないが、ともかく基本F2Pでできるスマホゲーム。

 私は嫌いである。

 しかしF2Pである以上手を付けやすいし、現状手を付けられる二次元的な萌えのあるファンタジーワールドのゲームはスマホゲームばかりである。なにせうちにはゲーム専用の機械(コンシューママシン)がなにもない。いや、DSがあったか。

 さて、ららマジというゲームがある。シナリオがそれなりに良質である。というかスマホゲームで「いいシナリオ」と思ったのは大人気のFate/GOとシノアリスとららマジくらいで他のゲームは特筆すべきなにものもないと思っている。
 閑話休題。ららマジの中の重要アイテムに「ノートゥング」というのがある。音叉の形状のマジックアイテムである。名前の由来は当然ながらリヒャルト・ヴァーグナの楽劇「ニーベルンクの指環」に出てくる英雄ジークフリートの剣である。ジークフリートのお話はあとに回そう。

 ところが困ったことがある。ららマジでは声優が「ノートゥング」のアクセントを「トゥ」に置くのだ。しかし「ノートゥング」のアクセントは「ノ」に置くのである。ヴァーグナの楽劇を散々(というほどかわからないが)聞いているので私の中でノートゥングといえば「ノ」にアクセントがある。だがららマジのストーリーを進めるとご丁寧なことにフルボイスなものだから散々「トゥ」にアクセントのある「ノートゥング」を聞かされる。私はそのたびに違和感を突きつけられるのである。面倒ったらない。
 これなどは無知な方が助かる好例である。日本人のほとんどはノートゥングの正確な発音など知らない。私にしたってヴァーグナの楽劇でノートゥングの発音など知らなければなんの違和感も持たずにららマジのストーリーを楽しめたことだろう。無知な方が幸せなのである。
 だいたい私にしてもノートゥングの発音こそ気にしているが「ジークフリート」の発音は気にしていないようなのである。ドイツ語なら「ジークフリート」の「ジ」にアクセントを置く。しかし今の日本のファンタジーにせよなんにせよ創作では「リ」にアクセントを置く。
 それに無知を問題にしていたらどこまでも限りがない。ヨーロッパ圏の人名の正確な発音など把握しようがない。まあ、ある程度の法則はあるが。つまり、ゲルマン圏は頭の方にアクセントを置くことが多いし、ラテン圏は尻にアクセントを置くことが多い。

 ちなみにジークフリートの剣には三つの名前がある。バルムンク、グラム、ノートゥングである。ノートゥングは多分ヴァーグナの創作である。ニーベルンクの指環は元の北欧あるいはゲルマン神話やニーベルンゲンの歌を大幅に継ぎ接ぎして創作されている。
 だから今では「権威」となったヴァーグナであるが、実のところ創作というレベルでは今のファンタジー作家と同じスタートラインであったともいえる。


 ジークフリートといえば最近ではFate/Apocryphaに登場して……まあ出番がないわけであるが。ジークフリートといえば伝説でも一線級の英雄でアーサー王なみに「英雄度」の高い英雄なのに残念なことである。
 それはどうでもいいのだが。Fateシリーズもすっかり様変わりしたように思える。特に、真名をホイホイ明かしている。何のためにセイバーだのアーチャーだの呼んでいたのかさっぱりわからなくなってしまった。元はといえば真名から弱点を知られないためであったのにもはやただのパワープレイである。
 たとえば、ジークフリートなら竜(ファフニール)の血を浴びたことで傷のつかない身体を手に入れた。いかなる攻撃も弾くとされる。しかし弱点として、竜の血を浴びたときに背中に葉っぱが一枚貼り付いていたため、そこだけは傷つくのである。だからハゲネはそれをブリュンヒルドから聞いて首尾よくジークフリートを暗殺した。
 しかしまあ最近のFateではそんなことお構いなく真名を垂れ流しているし宝具だの弱点だのもない力押しだしそもそもジークフリートにはなんの見せ場もなかった。
 本来であればどれだけ攻撃してもそれが通じないセイバーだが真名から弱点がわかりランサーかなにかに背中を貫かれて死ぬくらいのことはあってもよかったのである。

 Fateつながりでいうと、ジャンヌ・ダルクが聖女様として聖女聖女して登場してくるが、あれは「フランス民族」の政治的でナショナルな民族的英雄に過ぎないので高潔な聖女面されてもさっぱり腑に落ちない。世界史上の位置づけはせいぜいシャルル7世の小道具にすぎない。なによりフランスとかいう近代国民国家のイメージが強すぎる。カトリック教会でも列聖されたのは最近のことである。


 さて、ちょっと話をずらして。記事のタイトルは名剣伝説である。ので名剣つながりで「アロンダイト」の話を。
 今ではすっかりおなじみ……といえるのかわからないが、アーサー王の騎士筆頭であったランスロットの剣であるとされている。
 しかしどうもこれが新紀元社の誤情報あるいは捏造である可能性が高いらしい。不明確なことなので断言できない。

 新紀元社といえば日本のファンタジー界における一つの権威であり水先案内人である。日本のファンタジー界に「正確な知識」を移入したのは新紀元社の功績であったといっても過言ではない。ところが、新紀元社の本は学術的なものではない。一応「出典」にした書籍は載っているのだが、具体的にどの記事が何を根拠にしているのか細かく載っていない。
 で、アロンダイトは「新紀元社の本」以上に原典を辿れない、つまり英語の書籍だの伝承だのにその名前がないらしい。

 まあ、こんな「ソースがない」と放言しているブログに指摘されてもどうしようもないだろうが。あるいは新紀元社の功罪とでもいうべきものが存在するのかもしれない。


 それで最後にファントムオブキルの話をして記事を締めようと思ったのだがいささか疲れた。それにファントムオブキルの何を書こうとしていたのか忘れてしまった気もする。なんだっけ。
 とにかく何故か私はファントムオブキルを気に入っているのである。上に挙げたように特別シナリオ的に評価していない気がするのだが。
 なんだかファントムオブキルは伝承や神話の剣だの槍だのの擬人化だから刀剣乱舞に先行しているじゃないか、とか思った気もするけれど、取り上げたかった話題はそれではなかった気もする。

 というわけで曖昧なままこの記事を終えようと思う。忘れてしまったので。

 そういえば、この手のファンタジーというか二次創作的なファンタジーでジョワイユーズ出てこないなとか思ったのだった。ファントムオブキルにジョワイユーズは出てこないのだろうか。Fateシリーズもそのうちシャルルマーニュが出てきてジョワイユーズ振るったりするのだろうか。アストルフォは登場しているが、ローランすら出てこない。ローランの剣ってなんだっけ。デュランダールでいいんだっけ。ああ、曖昧だ。
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