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お子様向けラノベファンタジー [ファンタジー世界考察]

 先日の補完、あるいは修正からはじめてみる。

 白人キャラだとキャラの受容に幅が広くなるみたいなことを書いたけれど、その一つとして胸の大きさについて大きめの乳房への許容度が若干あがるらしいというのがある。日本人前提だと大きな胸を好まないけれど白人キャラだと若干構わなく思えてくる。ただやはり巨大過ぎる乳房を見ていると駄目ではある。ちなみに例えば日本の学園ものゲームで白人の、たとえば巨乳白人とかが出てきても、想像力のベースは日本人に固着されるので巨乳は許容できない。白人だけというのが基本の世界でないと許容度は発生しない。
 また、日本人ベースでもいわゆる和姦の場合はいちいち三次元の現実ベースに想像変換させたりするのだけれど、これが強姦などのハードなプレイになると二次元の想像力だけで処理される傾向がある。現実的な強姦などを楽しむ気にもなれないらしい。だから一応強姦などを楽しむといったところでそれは二次元のお話であって三次元の現実的な行為とは結びつかない。こういった二次元の強姦などではアナルセックスを気軽に楽しんでいて事後処理などろくに考えないが、それは二次元の想像力がベースになるからであろう。和姦と強姦だと想像力の次元が異なるのだ。純粋な二次元だからこそアナルセックスも楽しめるのだ。ただこの境界で曖昧なのは露出羞恥ものらしくこれについては和姦ではないが三次元ベースの想像力にもなる気がする。露出羞恥ものはリアリティの欠片もないお話がほとんどなのに、ビジュアル的な想像力は三次元がメインなのだ。

 二次元と三次元の境界で想像力の処理が軋轢を起こす作品としては、レクリエイターズのような作品もある。あれは二次元の世界というのが前提にあってあの作品は三次元との想像力の接続が拒否されている。アニメの中だからこそアニメキャラが具現化して「あのアニメのキャラが本当に目の前に!」なるのであって、これは三次元にまったく持ち込めない。だからレクリエイターズというのは絶対に実写化できない。それはそうだろう、現実世界でセレジアが現界したとして、現実世界であれば筋肉ムキムキの白人女が出現するのだからアニメのキャラでもなんでもないし、そうではなくアニメのキャラがそのまま具現化とかしても現実の人間と隔たりがありすぎてただの3DCGが出現しただけになり初音ミクのライブと大して変わらない。


 先日少女終末旅行について散々な低い評価をした。ヘルメットみたいな些末なことはどうでもいいとしても、あの作品はそれっぽさしかないというわけであり、いわばポチョムキン村なのである。あの作品の世界はいかにもポチョムキン村なのである。

 ポチョムキン村とは、ロシア皇帝エカチェリーナ2世の寵臣ポチョムキン公にまつわる歴史上の伝説で、寵臣グリゴリー・ポチョムキンがクリミア・ハン国を併合したあと、その領土の再開発にあたっていたのだが、エカチェリーナ女帝の御幸を仰ぐにあたって荒野に繁栄した村や村人を描いた衝立、書割を用意して女帝の目を欺いたというものである。史実的には否定されているが。

 少女終末旅行は、文明の崩壊した世界を描いているが、その描写が薄っぺらいので私にはポチョムキン村のようにしか見えない。

 先日からアニメ化されて放映されているグランクレスト戦記にもややそういうところがある。というのも、雑魚兵士の絵が適当すぎるのである。いかにも日本のファンタジーといった感じで、ろくに歴史考察された感じがない。ファンタジーで歴史考察というと言葉は奇異に感じるが、中世ヨーロッパ風ファンタジーであるのだから成り立つ。ところがグランクレスト戦記の雑魚兵士は、いうなればドラクエのドット絵の兵士をアニメに描き起こした感じであり、現実的な中世ヨーロッパの軍装からするといかにも胡散臭い。なんというか、日本のファンタジーの雑魚兵士なんてこんなもの、別に考察とかしていないけれど日本のファンタジー読者なんてこんなもので満足するだろう、みたいな意図が透けて見える。
 具体的には部分的なプレートメイルであるのだけれど、しかしまあ中世ヨーロッパでそんな鎧をつけていた兵士が存在していたことはない。また部分的なプレートメイルなどといったところで、適当に胸と肩を板金で覆ってみました程度の完成度であり、ファンタジーの鎧なんてこんなものでしょ、みたいなやっつけ仕事が見て取れるもので、現実的な防禦や運動性を考えた形跡がまったくない。学芸会のダンボールで作った鎧みたいである。

 一応グランクレスト戦記の兵士にも褒めるところはある。というのは、作中の戦争シーンで、兵士たちが戦列を組んでいることである。日本史では兵士が戦列を組んで戦った経験が、律令時代と戦国時代末期と幕末しかないためか、日本のこういった作画をする人間にも兵士が戦列を組むという発想自体がないらしい。二十世紀の戦争は散兵が基本で戦列を組むことがありえないとしても、日本の戦争アニメは二十世紀の戦闘ばかりだし、戦列を組んだ兵士の絵などほとんど出てこない。だから日本のアニメ界にはおそらく二十世紀以外の戦争を描写する能力はほぼほぼなさそうである。ソ・ラ・ノ・ヲ・トというアニメの最後の最後に戦争の描写があるのだけれど、描写が極めていい加減で不良集団の喧嘩みたいでひどかった。現代日本人は多分戦争と言われたところで二十世紀の戦争、第二次世界大戦と近年の砂漠地帯での現代戦しか想像できない。
 で、愚痴はさておき、しかしながらグランクレスト戦記では兵士たちがちゃんと戦列を組んでいてその点だけは非常に素晴らしかった。といったところでちょっとしかそんな絵は出てこないし、絵自体も大して迫力のあるものではなかった。おそらくはだけれど、兵士を3Dモデルで作って、それをCGで大量に並べて動かしているのだと思う。要するに、トータルウォーでやっていることをアニメでやっているというだけなのだけれど。
 ところが、その元となる兵士のモデルがいまいちのできである。まずは上述の軍装のいい加減さがある。鎧も盾もなんというか学芸会のお遊戯レベルの造形であり、まあダンボールの鎧にペンキ塗りましたみたいにしか見えない。そして、これもひどいのだが、兵士がやたら華奢なのである。まるで女子校生みたいに華奢なのである。というか現実世界の女子校生の方がよほど肉がついていると思えるくらい華奢である。戦う男などという感じが、前述の鎧のいい加減さとあいまって、まったくない。なんの迫力もない。
 しかもこのいい加減なモデルを、CGだけではなくセル画の絵でもモデルにしているので、どんな絵を見ても兵士はぺらぺらの鎧を着た女子校生みたいに華奢な男ばかりで、戦場の臨場感みたいなものが全然生まれない。
 あるいは雑魚だから雑魚らしく弱そうに敢えて描いたのかもしれないが、しかしそれだって鎧のデザインなども学芸会レベルであるから、「雑魚だから弱そうにデザインしました、雑魚だから弱い感じでいいよね」という作り手の手を抜きましたという意図が伝わってくるのだけれど、しかしこんな学芸会のお遊戯レベルの兵隊が並んでいても戦場にはなんの緊迫感も出ない。なにせ雑魚兵士は弱いのが確定的なのだから、こんな雑魚兵士に主人公たちが追い詰められたりピンチになりそうな様子が全然出てこない。多少強そうに見える兵士、一応騎士らしいのだけれど、も出てくるけれど、せいぜいが学芸会兵士に金の縁取りみたいなのを付け加えただけで、ぺらぺら感は変わらない。
 作り手の「雑魚だからこんなものでいい」という驕りも見えるし、そしてその結果として緊迫感の欠けた戦場が現出しただけなので、結局主人公たちを幾ら頑張って演出したところで、雑魚兵士たちは引き立て役にすらならない。見ている側にしても見るからに雑魚なので、ああ主人公にやられるだけの雑魚か、といった印象になり緊迫感を欠く。
 ちなみに主人公クラスの服装や鎧もたいがいなものではあるけれど、これについてはまあジャパンファンタジーのメインの登場人物だしこんなものかなという諦めめいた感覚があるらしく問題にならないようである。


 こういった描写の薄さは、日本のファンタジーそのものの基盤の薄さに基づくようにも思える。
 つまり日本のファンタジーは日本のファンタジーにしか文化的基盤がない。だから兵士の装備だって日本のファンタジーにしか起源がないのだから、ドラクエの兵士のドット絵を描き起こした程度のものでそれが学芸会のダンボール鎧みたいなものになってしまう。

 日本のファンタジーの不幸は、その存在が子供向けと社会的に定義されてしまったことである。
 最大の原因はファミコンだろう。ドラクエなどのファンタジーコンピューターRPGは日本にファンタジーを根付かせるために多大なる功労があった。だがドラクエなどのファミコンゲームは子供向けのものと社会的に定義された。であるがゆえに日本の文化においてファンタジーは子供向けの存在として確立されてしまったのだ。
 もう一方の、コンピューターゲームのためにはるかに陰が薄くなってしまったファンタジーの車の両輪たるTRPGも大人向けになりきれず、結局子供向けのものとなってしまった。この方面でファンタジーの地位を築き上げたといえるのがロードス島戦記であろうが、一応分類としてはライトノベルに分類されてしまっている。当初のロードス島戦記はAD&Dのリプレイであったから子供向けと申せるものでもない。ただ小説が出版されたのは角川スニーカー文庫であり、当時はそもそもライトノベルという概念自体はなかったが、ジュヴナイル小説という扱いであり、大人の読む本ではなかった。そしてそのまま、ファンタジーはジュヴナイルからラノベへと発展し、大人の読む本ではないものとして今に至っている。

 この「惨状」は海外と比較すればわかる。海外ではファンタジーは大人の読むものとしての地位があるし、ゲームだってコンピューターゲームにせよテーブルトークにせよ大人が遊ぶものとしての地位が確保されている。もちろん日本でも大人がファンタジーを読んだりゲームをしたりするが、日本のファンタジーは基本的に子供向けという名目が保たれており、そこでは子供向けとしてゲーム内での行動規範が整備されているし、小説もライトノベルがほとんどでありその中でも子供向けとしての行動規範が相当に組み込まれている。だから日本のファンタジーの登場人物たちは戦後民主主義倫理規範に違反する行為をあまり行えない。
 TRPGも日本では子供向けに舵を切っていると見える。そのわかりやすい例が破棄されたソードワールド無印と新たに展開されたソードワールド2.0であり、破棄されたソードワールド無印はAD&Dなどの影響も強くまだ大人向けな感じであったが、ソードワールド2.0はお子様向けなライトファンタジーになっている。近年はクトゥルフの呼び声が新たなTRPGムーヴメントを巻き起こしており、これは海外産であり当然大人が遊ぶことが前提になっているものの、国内産のTRPGはやはり名目上子供向けなものが主流に思える。


 別に私はそこまでアニメベースな想像力を排除すべきなどとは思っていない。当り前である。先日散々ファイアーエムブレムのキャラに萌えるとか話していた舌の根も乾かぬうちにそんなことをしたりはしない。
 海外の、洋ゲーなどのゲームと日本的アニメベースキャラの接続というのがむしろ悲願のようなもので、例えばスカイリムやオブリビオンの3Dモデルが日本のアニメベースキャラになったりしてくれないかと切に願っている。まあ、日本でオープンワールドゲームを作る能力を有しているゲームメーカーは任天堂くらいしかないし、私の好きなストラテジーに至ってはコーエーテクモしか作っておらずそれも最近はクソゲー続きだ。シミュレーションにしたってあのクソゲーしか作れないシステムソフトアルファーくらいではないか。スカイリムやオブリビオンでMODを作るにしても作らなければならないモデルが膨大で日本にはそんなMODを作れるだけの人がいない。
 これは単純にアニメ絵がいけないという主張ではない。重要なのはシナリオの内容であり、具体的には倫理規範の強度である。アニメ絵などはどうでもいいのである。売春婦を買うことはおろか不倫すら許されないというような「お子様向け」倫理規範の有無である。まあテロリズムは許容されているのだからその基準は曖昧なのだが。


 比較対象としては国内でも比較できるものがある。SFである。日本ではSFというのは大人が読むことが前提とされている。もちろん子供だって読むしライトノベルレーベルでもSFはあるが、SFのコアは大人向けの存在である。ファンタジーも本来はSFの従兄弟のようなものだったはずで、実際海外でのファンタジー、指環物語やエルリック・サーガなどはSF文庫レーベルで出版されている。しかし今や国内産のファンタジーはほぼほぼライトノベルレーベルで占められている。それに日本でエスタブリッシュメントな文学になるにはライトノベルを捨てる要求が今だってあるだろうし、実際ライトノベルには何度も述べているように余計なお子様向け倫理規範の存在が強い。それはライトノベルである以上青少年を主人公にすることが商業的に求められており、青少年に倫理的に「いけないこと」をさせてはいけないという理由もあるのであろうが、それがラノベをしてますますくだらないものにさせている。ゲームだって同じことで、日本のゲームは名目上子供向けしか存在しない。
 倫理規範はさておき、そもそもファンタジーは大人が読むことしか想定していない前提であった。ファンタジーの「始祖」たる指環物語などは、明らかに大人が読むことを前提にしている。こんなことは当り前すぎていちいち書くのも馬鹿馬鹿しい。指環物語などはそもそも言語学者たるトールキンがエルフ語という人工言語を発明したので、それを開陳するための舞台を用意した結果発生したものである。人工言語が先なのであってお話は後付なのである。人工言語など子供に開陳してもよほどマニアックな子供しか相手にならない。

 海外に比べてやりにくい点もある。日本で中世ヨーロッパ風ファンタジーを書いても実写化できないので、商業的に大人向けになりにくく、アニメ化が前提となりやすい点だ。これについていうなら、そもそもアニメだって今の日本では子供向けが前提とされていて、深夜二時にやるようなアニメにだって子供が見るという前提でクレームが入るのだから、そこも問題である。アニメについては日本のほうが海外よりも大人が見ることが前提とはされてきているが、それでもアニメは子供向けという「偏見」は根強いものがある。
 ともかくも日本人の俳優をキャスティングできないというのは大きいだろう。この点をクリアできるのはテルマエ・ロマエのような特殊事例か、どうしても名前の思い出せないよくわかる現代魔法の作者が書いたハリウッド映画化した小説のように海外での映像化に託すかである。
 ただまあこの点を以て日本のファンタジーが大人のものにならないのかどうかは疑わしい気もするが。書いておいてなんだが。


 大きいのは文化的基盤である。これが一番大きいのかもしれない。
 つまり、欧米文化圏にとっては中世ヨーロッパ風ファンタジーというのは、過去の歴史とリニアに繋がったものである。日本にあてはめるのなら、時代劇などに天狗や河童が出てくるとか、そういう感覚を発展させたものだ。日本人にとってファンタジー世界の兵士だとか王様だとかはファンタジーな存在でしかない。しかし欧米人にとっての兵士や王様は、日本人にとっての足軽だとか織田信長だとかのように自明な存在なのである。また源義経の大河ドラマに鬼一法眼が出てきたが、これなどはファンタジーにほかならない。現実的な存在でありそういう伝承が実在するからこそファンタジーとの接ぎ木が自然なのである。
 だからグランクレスト戦記に出てきた学芸会のお遊戯みたいな雑魚兵士などは、日本人の感覚でいえば西洋人のサムライニンジャコスプレのようなものになってしまうのであり、現状の日本のファンタジーはその程度の文化的基盤しかないのだ。


 ちなみにファイナルファンタジーなどによく飛行船が出てきたり、あるいは他のファンタジーでもロボット(ロボットもファイナルファンタジーではあるが)だとかのオーバーテクノロジーが出てきたりするが、あれも西洋人には奇異に映るらしい。案ずるに、日本人の感覚でいえば、大河ドラマや時代劇に飛行船が出てきたりロボットが出てきたりする感覚なのであろうか。まあ登場人物が熱気球で鴉片戦争に参加する時代劇とかあったらしいのでなんともいえないところはあるけれど。


 まあ、言いたかったことは、一つはファンタジーでも一応歴史考察とかしろということと、日本もそろそろ子供向けファンタジーから脱却しろということであろうか。
 特に子供向けを前提としているために発生する日本のファンタジーのプチブル的正義感には常日頃からうんざりしていることは何度か指摘している。ラノベと一般文芸の一番の差異はアニメチックなイラストなどではなくこのプチブル的倫理規範ではなかろうか。
 それにファンタジーにせよアニメにせよそれらが子供向けであることを前提にしているという現状に甘んじている、今ではもう子供でもないユーザーたちにも問題があるように思える。彼らにとってファンタジーはモラトリアムであり、別にそのモラトリアム自体を否定する気はないが、しかしいつまでもモラトリアムであるわけにもいくまい。だいたい、いわゆる表現規制派だってアニメやゲームが子供向けであるということを名目に表現規制を推進しているのだ。なぜそんなものの片棒を担ぐのか。表現規制は余談だとしても、こうも多様性がないのではあまりに創作として貧困である。


 最後に。ちょっと無駄話を。

 前に、中世ヨーロッパには軍師などいないとは書いたけれど、別に中世ヨーロッパ風ファンタジーに軍師がいないとは書いていない。
 中世ヨーロッパ風ファンタジーには実のところ軍師になりうる存在がいる。魔術士である。彼らが、吉凶を占う以上の助言を君主なり軍司令官の貴族なりに行う可能性は十分ある。実際に占星術師が行政的軍事的助言を行い実行されるケースは歴史にもある。アドルフ・ヒトラーなどのナチ党の一部幹部はオカルト崇拝をしていた形跡があるし、ミャンマーの軍事政権では実際に占星術師の影響が強く、ミャンマーが一時期聞いたこともないような小都市に遷都していたのは占星術師のアドバイスを取り入れたからである。ただ一方で、賢王とされるシャルル5世などは、占星術への関心が高く蔵書にも占星術の書籍が多数あったが、占星術を政治運営に取り入れたことは一度もなかったという。
 中世ヨーロッパ風ファンタジーを考える上で重要なのは、占星術などの占術が迷信ではないことである。ファンタジー世界においてこれらは現実的な魔術の一つなのである。だから占術師、占星術師が軍師のような座につくことはファンタジー世界では現実的である。魔術士ともなれば占術にも通じているであろうから、当然彼らも軍師のような役割を占めるかもしれない。魔術が戦争に役立つ方法だって幾らでもあるだろう。無論占術だって戦争に役立つはずなのだ。ファンタジー世界において占いを信じることはなんら問題のないことであり、占いを信じないことの方がおかしいのだ。

 もう一つ。SAOの新作ゲームが家庭用据え置き機で出るついでにSteamでも配信されるそうで、SAOに関してはおま国おま語をしないらしい。高額ではあるけれど、ただどうも主人公を自分で作れて女性でもいいらしく、キリトを使わなくてもいいらしいので、割りと関心があり、セールで安くなったらちょっと買ってみたい気分になっている。女性のプレイヤーキャラクターを操作して遊べるというのは私にとって非常に魅力なのである。SAOといえば、もはや「キリトかなーやっぱりwwwwww」のコピペの印象が強く、頭の弱いイキリオタクが好きなコンテンツというイメージで、配偶者のアスナも嫌いではないけれど腋露出狂だったりするし、特にいい印象もなかったりするのだけれど、それでも女性プレイヤーキャラクターは魅力的であり、ハイスペック向けな萌えるゲーム自体がそもそもパソコンでは貴重だったりするので食指は動く。アスナにしても腋露出狂というのは意味のない揶揄であってキャラ自体は割りと好きではある。
 イキリオタク向けオタクコンテンツというと魔術が高校で劣等生がどうとかいうタイトルの覚えられないラノベもあるが、あれの新作劇場映画のキャッチコピーが「司波達也は伝説となった」みたいな内容で、ここまでくると間抜けで滑稽である。ただ一話で切ったSAOと違い、私はあれの再放送を半年近く見続けられたのだから、そこそこお話としては面白いのかもしれない。いや、アクセル・ワールドは出来がよかったと思ったけれど。思い返すとアクセル・ワールドは最後に読んだラノベの可能性もある。
 魔術がどうとかいうラノベとSAOやアクセル・ワールドを比べると、SAOやアクセル・ワールドはメインヒロインが魅力的であり、一方でサブヒロインがぱっとしない印象がある。私が知らないし、絵だけ見てもぱっとしないし。逆に魔術がどうとかいう方はサブヒロインが比較的魅力的である。逆にメインヒロインの妹は何一つ面白みがあるように見えないし何が魅力なのか理解できない。
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ファンタジー世界の女騎士 [ファンタジー世界考察]

 前の日記で第一次世界大戦で急速に鉄製ヘルメットが広まったのは、榴弾の砲撃数が増えたからだと得意げに書いたが、調べてみたらどうやらあれは曳火砲撃により塹壕の上空で爆発飛散する榴散弾からばら撒かれる散弾から頭を守るものであった。つまりあの頃まだいまでいう榴弾はそこまで一般的ではなかった。
 一応言い訳をするのなら、私の軍事オタク的な戦術の専門はせいぜいナポレオン戦争までであって、19世紀以降、特に20世紀の軍事にはあまり明るくない。専門外なのだ。なので反省も落ち込みもしない。いや反省はするけれど。


 これは本来ならもう一つの萌えブログですべき話なのだが、タイトルを考えると「ファンタジー世界の女騎士」になったのでこちらに掲載する。

 というかそもそも女騎士の発祥とはどこなのだろうかという話しではある。ファイアーエムブレムがその成立に大きな役割を果たしたとはいえ、エロコンテンツの中でも大きな存在であることは確かで、PC98時代のエロゲですでに確立されていた気もする。ファイアーエムブレムの方が早かったとは思うが、しかしドラゴンナイトシリーズなどでも存在していたと思われ、そうなると更に古い可能性もあるが、残念ながらそこまで古いエロゲに詳しくない。あるいは当時ファイアーエムブレムのエロ同人誌があった可能性はあるけれど、こちらは余計に知るところではない。ファイアーエムブレムの方が早かったようにも思えるし、存在としては大きかっただろう。ちなみにファイアーエムブレムのエロ同人誌は何故か結局まったく触れたことがない。
 また起源の一つとしてはロードス島戦記のディードリットという女エルフが強力な存在かもしれない。騎士ではないけれど典型的クッコロな感じがする。
 基本的には西洋由来のファンタジーにおける女戦士、ビキニアーマーを着た筋肉ムキムキボディービルダー女が由来であろうが、とはいえ女戦士と女騎士は別物と考えたい。そう、西洋由来だとどうしたって筋肉ムキムキボディービルダー女戦士になってしまうのであって、日本で見られる女騎士とは明らかに違うのである。
 個人的に大きな起源として存在するのが、手塚治虫のリボンの騎士である。あれが女戦士ならぬ女騎士の源泉ではなかろうかと、個人的にもコンテンツ全体を見ても思える。私が男装キャラを好きになった最大の理由は子供の時ケーブルテレビで流れていたリボンの騎士だと思われる。これに加えてファイアーエムブレムの存在が女騎士とかいうものへの愛好を決定的にした。これらの女騎士は西洋の筋肉ムキムキボディービルダー女と違ってスマートでエレガントなのである。
 ただ戦う女というのは日本では伝統的なものがあり、それは源平合戦の巴御前であるとか、あるいは戦国時代でも立花誾千代のような存在がいたわけである。また、男装キャラという流れでも、日本には白拍子というものがあったわけであり、戦闘少女だの男装キャラだのは日本の伝統だとか言い張ることも可能なのだ。
 逆に欧米などではあまりこういった伝統はなさそうであり、ジャンヌ・ダルクなどは鎧姿で戦ったようなイメージもあるが、彼女は確かに鎧姿であったけれど、戦ったわけではなく、単純にいえば旗を持っていただけである。エリザベス1世、エカチェリーナ2世、マリア・テレジアといった女性君主にも戦うイメージはない。ギリシアに遡るとアテナやパラス、あるいはアマゾーンという存在もいるのだが。北欧神話にもヴァルキュリアというのがいるけれど彼女らは戦場で戦死者を物色するのが仕事であって戦う役割はメインではない。ニーベルンゲンの歌のブリュンヒルデなどは強いという描写はあるが(ちなみにニーベルンゲンの歌での彼女はヴァルキュリアというわけではない)、やはり陣頭で戦うという感じでもない。とはいえブリュンヒルデなどのヴァルキュリアやアテナやパラスといった女神たちが日本の女騎士のイメージに直結されているのは確かだ。欧米文化でのブリュンヒルデの印象はどちらかというと筋肉ムキムキ女であるが、日本でイメージされるブリュンヒルデなどのヴァルキュリアやパラスやアテナなどは西洋的筋肉ムキムキ女ではない。アマゾネスについては筋肉ムキムキ女のイメージが強そうだが。
 ちなみにヴァルキュリアの武器は槍ということになっているらしくFGOなどでもブリュンヒルデはランサーになっているが特に彼女らが槍を得意とした伝承があったかどうか、私には記憶がない。ブリュンヒルデにしてもFateシリーズのクラスで考えればライダーが妥当でありニーベルンクの指環にもグラーネという彼女の愛馬がいるし、何故ライダーかといえばそもそもヴァルキュリアが戦場を馬で駆って死者を物色するのが役割だからだ。
 それはさておき。なので女騎士とかいうのは日本での独自色が強い存在だと思っている。
 男装及び男装につながる女騎士イメージというのも日本の由来が非常に強く思える。欧米の文化では敢えていうなら男装にせよ女装にせよ性別を超えるような行いは軽々しく行えるようなものではない性的倒錯という伝統が強い。手塚治虫は性的倒錯のひどい人であったからリボンの騎士のようなものも自由に描けたけれど、やはり白拍子のような男装の伝統、とりかへばやにあるような性的自由さは日本文化の特色であろう。一応シェイクスピア時代の俳優も女性は風紀を乱しよろしくないから少年に女性をやらせるとかあった気もするけれど、日本のようにそれが衆道につながったりはしない。なにせ西洋では同性愛は恐るべき罪であるからだ。イギリスなど1967年まで同性愛は犯罪であった。同性愛につながらないにしても、異性装は軽々しく行えるものではなかったし、トランスジェンダーなども言い方はともあれ「重大な性的倒錯」である。とある演劇で、日本人が男女の役を性別を入れ替えて上演しようとしたところ、アメリカ側の強い反対により駄目になったこともある。それくらい気軽にできない。
 だからリボンの騎士に象徴される性的自由さが女騎士にはつきまとっているように思えるけれど、西洋のそれはジェンダーやフェミニズムなどの伝統が日本と異なるため、日本の女騎士は西洋的というより日本的な文化の産物とも思える。


 ちなみに元々やりたかったことは単にファイアーエムブレムの好きなキャラを並べて悦に浸ろうといういつもの萌えブログであった。

 前も書いたように私は日本人キャラと白人キャラとでは萌えやエロスの機構そのものが異なる。日本人を前提としたモンゴロイドのキャラはリアルな女性への連想と密接しており、場合にもよるが一旦三次元の現実的な女性の肉体を経由して想像することも多い。それに対してファンタジー世界の白人コーカソイドキャラについては純粋に二次元のまま想像力が推移して現実的な女性の肉体を想像しない。
 だからこれには困ったことも起きて、この二つがまぜこぜになると悩ましいわけである。ファイアーエムブレムifではヨーロッパ風の国と日本風の国が戦うので白人と黄色人種が入り乱れるのだが、この場合基盤がヨーロッパ系ファンタジーなので、黄色人種キャラは「平たい顔族」として扱われる。萌えは白人基準になっているから平たい顔族には萌えない。もっと困ったのがシノアリスであり、明らかに一部を除いて白人と思われるキャラばかりだったはずが実は全員現代日本人だったという展開になっており、こうなると白人として萌えればいいのか黄色人種として萌えればいいのか混乱してしまい、結果萌えの方向が定まらず評価が下がる。
 これによって日本人ベースのキャラと白人キャラとでは萌えの傾向も異なってくるらしい。というよりは、受容の幅が広がってくるらしい。
 外見的な面でいうと、白人キャラだと色素薄い系がかなり好きになる。これが白人キャラの萌えのベースとなる。特に銀髪は好きになりやすいらしい。またどちらかというと典型的ヒロインや主役級ヒロインを好きになる傾向が強くなる。日本人ベースだと典型的ヒロインや典型的ヒロインは基本的に好まないけれど、白人だと異なる。
 受容の幅が広がるという面では、色髪やツインテールなどへの受容が見られる。日本人ベースだと色髪など論外というのが基本なのだが、白人ベースだと構わなくなる。ただ、日本人ベースでも、よくいる強気で意地っ張りでその反面努力家だったりする何故かツインテールになることが多くしばしば貧乳になりやすいタイプのキャラに限ってはツインテールで髪色が金や赤でも構わないらしい。ただこのタイプのキャラは性的対象として好きになることはほぼなくて、どちらかというと純粋にキャラのパーソナリティが好きになり場合によっては自己投影的になることがほとんどなので、性的対象にならないという点では他の性的対象になりうるキャラとはそもそも価値判断基準が異なるのであるわけだが。この点については日本人ベースでも白人キャラでも同じであり、どちらにせよツインテール娘は性的対象になりえないらしい。
 ただこの手のツインテール系の女の子に対する受容度はファンタジーの白人キャラだと高まるようにも思える。


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 ここに挙げたのはファイアーエムブレム、そして言うなれば日本のファンタジー的伝統において古くからメインヒロイン格として親しまれた系統のキャラである。カチュアを除いてメインヒロイン扱いのキャラでもある。メインヒロイン格キャラのあからさまな外見的特徴は青髪ロングヘアである。
 前も書いたけれど、日本のファンタジーにおいて青髪とは日本人女性の黒髪清楚系を無理矢理ファンタジーに突っ込んで生まれたものである。ファンタジーなので黒髪のままだとまずかろうと青髪というものを生み出したのであろう。だからここに並んだキャラも古典的和風ヒロインをファンタジーに突っ込んだ感じのキャラである。別にそれで浮いているとかいうことはないのだが、日本のファンタジーにおける青髪の伝統とはそういうものだ。
 だからキャラの造形も今から見るといかにもメインヒロイン然としており、敢えていうなら面白みに欠けるようにすら思えてくる。ファイアーエムブレムが出た当初はそれでも彼女らの存在感はあったけれど、日本でのファンタジーも幅広さを増した今ではやはり満足感や面白みに欠けるようにも思えてしまう。
 最近はファンタジー世界でも構わず黒髪キャラが出てきて主役級ヒロインを占めたりもする。ファンタジーで黒髪なんて現実的すぎるみたいなよくわからない思い込みみたいなものから開放されたようである。
 ただ前も書いたけれど、ヨーロッパ世界をベースで考えるのならば、黒髪の女性は南方、地中海系の女性であるからして、西欧文化ベースだとファンタジーに出てくる黒髪女というのは、日本での清楚などというイメージなどではなく、情熱的で愛に積極的なタイプというイメージになる。
 ちなみに左端のシーダはファイアーエムブレムにおけるメインヒロインであり、典型的清楚系姫騎士なのであるが、しかしやたら男性キャラを説得により敵から裏切らせて味方に引き込むことができるので、色仕掛けで男を籠絡しているように傍からは見えたりもした。昔のファンタジーにはこういう清楚なんだかカマトトなんだかよくわからないキャラがよくいた気もする。単純にファンタジーにおける女性キャラのヴァリエーションが乏しかったのであろう。
 またカチュアは私がファイアーエムブレムで一番最初に萌えたキャラであり、そういう意味では人生初萌えの可能性もあるのだけれど、しかし今見ると造形的に面白みに欠けるとか思ってしまうのである。リボンの騎士のサファイヤ姫の方が先の可能性もあるが。また、カチュアは上司のミネルバと近接させると支援効果が発生するので、これを以て私が百合に目覚めた時だというのは実際そうだと思われる。もっとも、カチュアは主人公の男キャラと近接させても支援効果が発生するが。


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 こちらもファイアーエムブレムのキャラであり、ファイアーエムブレムヒーローズでそれなりに気に入っているキャラの中で金髪のキャラを並べてみた。
 それで気がついたのだが、ファイアーエムブレム初代にはそもそも金髪キャラがほとんどいない。ユニットとして操作できるのはライトブラウン髪の女魔術士一人だけで、あとはユニットしてほとんど登場機会のない王女がいるだけで、他の女性キャラはほぼすべて金髪ではない。青とか赤とか緑とかである。いわれてみれば確かに昔の日本のファンタジーはそんなものだったのかもしれない。しかし青髪は黒髪代替だとは思うのだけれど、ピンクや緑の髪はいったいなにを考えて色をつけたのかとも思える。手っ取り早くわかりやすい個性を出そうと思ったのかもしれないが。今の我々が金髪碧眼に親しんでいるのは実は日本のファンタジー的には浅い伝統であるのかもしれない。しかし当然ながら欧米では金髪碧眼などは当たり前のことでしかない。
 真ん中の二人、クレアとクラリーネはわかりやすいお嬢様な高慢キャラであるけれど、他の二人はそうではない。どうやら今となっては金髪碧眼キャラというのはファンタジーにおいて「通常の」地位を得るに至ったらしい。
 ちなみにこの中ではクレアとクラリーネは好きなキャラであり、どちらも高慢お嬢様だけれど、性的対象とはいい難く、上記の高慢ツインテールと同じような扱いであるようだ。ニュートラルな性的対象よりのキャラとしては残り二人のシャロンやアメリアの方が性的対象度が高い。


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 ファイアーエムブレムのキャラの提示はこれで終わりである。この四人についてはスマホゲームのファイアーエムブレムヒーローズで知ったキャラであるが、全体的に、青髪四人のような「古い」「見知った」ファイアーエムブレムのキャラよりも好きである。
 が、しかし見事なまでに四人ともツインテールの赤とかピンクとかである。性格もなんか高慢だったり強気だったりなんだか似たり寄ったりにも思えてくる。実は私は赤とかピンクとかのツインテールが好きなんじゃないかと傍証にされそうな勢いである。ただまあしかし上述と同じく性的対象でもなんでもない。
 ただファイアーエムブレムヒーローズの中で気に入っているキャラとしてはこの四人は強い。特に一番気に入っているのは左端のルーナだったりする。伝統的な前述のような思い入れめいたもののあるはずのカチュアなどを差し置いてでもルーナの方が萌え強度は高い。


 とはいえファイアーエムブレムでの性的対象としての好きなキャラとなるとどうもいまいち決め手に欠ける感がある。またファイアーエムブレムヒーローズのガチャで引けないでいるキャラなどは対象外である。今回の記事では。
 ただガチャで引けないでいるキャラを見ても、なんというかぴょんぴょん跳ねているキャラとか高慢キャラとかが多く性的対象な感じが一向にしてこない。どうにも、そもそも、私は白人キャラに性的な魅力を感じにくい。というか現実の白人が性的対象ならないようなので白人キャラでもそこまでの誘引力がないのだ。ぱっと思いつく性的対象たる白人キャラなどテイルズオブゼスティリアのアリーシャとグランクレスト戦記のシルーカしかいないしこの二人の存在を知ったのはここ数ヶ月だったりもする。いや、ファイアーエムブレムでも過去においてはセシリアとかもそうだった気がするがしかしやはり誘引力として乏しいのではとも思える。


 ちなみにファイアーエムブレムヒーローズでは「縛りプレイ」をしている。私はゲームが好きだけれど自分をゲーマーだと思ったことは一度もない。にも関わらずゲーマー風に縛りプレイをしていてなんとも大仰なことである。
 当然ながら私のしている縛りプレイとは「女性キャラしか使わない」である。ファイアーエムブレムヒーローズでは本当に男性キャラは無視している。序盤女性キャラが足りないときに使っただけだ。なので男性キャラで高レアでピックアップキャラとか出ても何一つ嬉しくない。本家のファイアーエムブレムでも可能な限り女性キャラを使っており、女性比率が高い。ラスボスをトライアングルアタックで倒すのは暴挙なのだとは思うが。とはいえ攻略的に本家のファイアーエムブレムで女性キャラだけで部隊編成するのは厳しかったり不可能だったりもする。
 同様のことをFGOでもやっている。こちらは何故か高レアキャラが女性ばかりなのであまり困難がない。まあ女装キャラが二名ほど混じっているが許容しているらしい。だいたい元がエロゲーなのだから女性キャラ縛りとは相性がいい。
 ただCardWirthなどでも女性キャラオンリーパーティーを組んではいるものの、こちらも色々不都合もあり、男性キャラが一名以上いないとプレイできないシナリオも多く、一部のシナリオでは進行不能なエラーが起きることもある。全員女性キャラのパーティーはまず想定されていない。全員男性キャラのパーティーは想定されていることがあるにもかかわらずである。界隈でも全員女性キャラパーティーは珍しいらしい。


 さて。まあ話が外れたのかそもそも元からこういう話をしたかったのかわからないけれど。

 女騎士というのは、日本の二次元のエロコンテンツ的には、色々と無視してごまかしているところも多い。過去に書いたけれど、細かいところだと腋毛の処理とか、主要かもしれないことだと筋肉と傷痕とかがある。前も書いたから長々書かないけれど。
 腋毛などはまあ瑣末とするとしても、しかしファンタジー世界の女騎士であっても剣とか振り回しているから筋骨隆々であることはどうにもごまかしにくい。かといって西洋的な筋肉ムキムキボディービルダー女みたいなのを想像するのは困るわけである。二次元ではこの辺を完璧になかったことにしているものの、前述の通り私の想像過程は二次元をベースにしたエロティックなものであっても現実の地平からそれほど飛び立つ気がないので、他の人のように無邪気になかったことにする気にもならない。
 女騎士が傷痕一つついていないのも大きなデタラメであるけれど、これについては、まあ筋肉もそうだけれど、人によっては傷痕に萌える人もいるのだからそれはそれで想像力がなんとかなる気もする。

 ちなみにファンタジーでやたら妙に女キャラが弓兵に割り当てられるケースも多い気がする。しかし当然ながら弓を引くにも高い筋力が必要であるから彼女らも筋肉ムキムキであろう。おそらく直接傷を負う機会が前線で戦うのに比して比較的にせよ少ないので女性が弓兵に割り当てられることが多いのだろうかと思わないでもない。
 しかし二次元ではまったくもってとても無視されるが、女性に弓兵はまったくもって適切ではない。弓を引くのに乳房は邪魔でしかないからである。邪魔な乳房があるくらいなら槍でも持たせて白兵戦させたほうがよかろう。伝承のアマゾネスは弓を引くのに邪魔だから片方の乳房を切り落としていたとされる。現実の現代の弓道だって女性はブラジャーの位置を調整して胸を小さくさせるとかいう話も聞く。巨乳女弓兵などあまりに存在がありえないはずなのだが、日本のファンタジーでははびこっているようにも思える。
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ファンタジー世界の軍師 [ファンタジー世界考察]

 少女終末旅行というアニメがこの前までやっていた。その中でヘルメットはなんのためにかぶるのかというセリフがあり、それに対する登場人物の答えは銃弾から頭を守るためというものであった。
 しかし実際は、軍用ヘルメットの主要目的は、砲弾の破片から頭を守るためである。他にも機関銃弾の破片からの防護もあるが、銃弾が頭にぶち当たってもヘルメット程度では守れない。
 ヨーロッパでは15世紀から第一次世界大戦までヘルメットをかぶっていないか、かぶっていても布と革でできたものであった。塹壕戦の発展で第一次世界大戦で使われる砲弾の量が莫大なものとなり、また機関銃が普及したため銃弾やその破片が飛び交うようになってきたので鉄製ヘルメットが第一次世界大戦序盤に急速に普及した。そもそも中世では鉄製ヘルメットも多かったが銃火器の出現でヘルメットは姿を消したのだ。
 基本的に少女終末旅行というのはミリオタの夢想だけで描かれた漫画のようで、なんとなくそれっぽいのだが、なんとなくそれっぽいだけで、どこまで行ってもなんとなくそれっぽいだけで、それだけなのである。
 特に文化的概念についてのそれっぽいだけさか目立ち、登場人物はある時は高度な文化的概念について語るのだが、その一方で世界観からいっても諸般の文明文化が破壊された世界であり、高度な文化的概念を登場人物が理解どころか認識できているかも疑わしく、実際幾つかの文化的概念を理解していない旨の発言もあるのだが、しかし登場人物が妙に高度な文化的概念についいて語ることもあり、その辺りの整合性が大変ちぐはぐである。
 まあ個人的に噴飯とか思ったのは、過去の記録映像を見つける場面で、クラシックのオーケストラらしく指揮者が立って音楽が厳かそうに奏でられる映像が流れるのだが、バックに流れる音楽がピアノソロ曲であり、もう画面と音楽がちぐはぐであり、どうしようもない場面であった。間が抜けているにも程がある。
 ちなみに砲弾、あるいは爆弾、といった火薬兵器は、爆発の圧力や熱で兵士を殺傷するのがメインではない。少なくとも地上戦においては。あれは爆風で砲弾の破片を撒き散らしてその破片で人員を殺傷することを狙うものだった。これが海戦だと船を含めた可燃物を燃やしてダメージを与えるわけだが。だから機関銃と火砲がメインであった第一次世界大戦から鉄製ヘルメットをかぶるようになった。だいたい砲弾自体が爆発するようになったのが19世紀のことであり、それまでは弾丸という文字通り丸いものか、あるいはキャニスター弾や榴散弾、葡萄弾のような射程の短い人員殺傷用の特別な砲弾を用いた。純粋に爆発の圧力や熱で直接人員を殺傷することを目的として、比較的最近になって実用化されたのがサーモバリック爆弾である。
 ただファンタジー世界においては、アイドルがうんこをしないのと同じ理由で、主要登場人物たちの頭に打撃や破片が飛んできて負傷することはありえないため、彼らはヘルメットをかぶる必要がない。
 ちなみに世界で一番人間が死んだ戦争は太平天国の乱らしい。

 本当は戦場の話とか戦列歩兵とか兵站について書こうと思っていたけれど面倒になったので別の話。

 ファンタジー世界、日本人が書いたファンタジー世界にはよく軍師とかいうものが登場する。しかし軍師がなんなのかわかっている人もそんなにいないだろう。そもそも、軍師というのは東アジア文化圏に特徴的な存在であるから、他の文化圏には存在しない。
 軍師というのは、東アジアの戦争において、軍を布陣する方角や土地の吉凶を占ったり、兵を進めるタイミングの吉凶を占ったりするのが元々の仕事である。中国三国時代の高名な軍師である諸葛亮などが三国志演義においては奇門遁甲とかいう謎の概念を操ったり石兵八陣みたいな謎の陣形を扱ったりしているが、これらは道教的な占術的なものである。いわゆる風水術というやつである。日本でも、太原雪斎や角隈石宗などの宗教的な素養のある人物が軍師となることが多いが、元々の軍師というものが宗教的な存在であり、純軍事的なものではなかったのだ。
 ただ仕事柄彼らは軍人に対して意見し様々な軍事に関わったため、軍の作戦指揮に介入することが多いため、東アジアでは彼らのような純粋な武人ではない人間が軍事について帷幄で策を巡らせる伝統ができたのかと思われる。

 なので当然こういった伝統のないヨーロッパ世界などでは軍師などというものは存在しない。非軍事的な、宗教的な立場から軍に口を挟む存在としては、古代ローマの卜鳥官みたいなものもいたが、彼らは特に権力は得られなかった。占星術師などが同じ地位を占めたことほとんどもない。あくまでも帷幄で軍略を巡らせるのは軍人だけであった。
 従軍する聖職者はいたが、騎士修道会のメンバーなどがメインであるか、あるいは聖界諸侯として、つまり領主として軍を率いるか、だろう。君主の補佐役というので目立つことはなく、軍事に介入することもなかったようだ。十字軍などではそれでも目立ったが、どちらかというと指導的立場、あるいは旧共産圏の政治将校みたいな立場であり、帷幄にあって軍指揮官を輔けるものではない。
 参謀というのは軍師に相当するようにも見えるが、出自が異なる。参謀、参謀本部というのは、プロイセンのそれが有名であるけれども、その前身は陸軍の兵站を司る部局であった。参謀本部というとモルトケやシュリーフェンが軍事作戦を練っている組織のようであるが、しかし参謀本部のメインの仕事はその立案された作戦についてどのように兵站を準備するかというのをプランニングするのがメインの仕事なのである。
 また、ナポレオンの参謀としてルイ=アレクサンドル・ベルティエなどが有名であるが、ナポレオンの作戦は主にナポレオン自身が立てたものであり、ベルティエはそれを実現するための兵站やら通信やらを整えるのが仕事であった。

 というわけなので、少なくともファンタジー世界の元となる中世ヨーロッパには、諸葛亮や竹中重治のような、日本人が思いつくような「軍師」は存在しなかった。
 だからといってファンタジー世界に軍師が存在すべきではないというわけでもない。そういった軍事的伝統をでっち上げるのは一向に構わないだろう。
 ただ、中世ヨーロッパには元々そんなものは存在しなかった。だから中世ヨーロッパの軍師などというものを探しても無駄ではある。ファンタジー世界に軍師が登場するならそれはその存在そのものがファンタジーである。
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ファンタジー世界の雰囲気 [ファンタジー世界考察]

 ファンタジー世界の雰囲気、というと実に漠然として曖昧模糊としてなんのことやらという気もする。

 ファンタジー世界の雰囲気は大きく二つに分かれる。曇り空のファンタジー世界と晴れ空のファンタジー世界とである。

 たとえば西洋の文化に根ざしたファンタジー、要するに海外産の、本場のファンタジーは曇り空のファンタジーである。指環物語にはじまり、コナンも、エルリック・サーガも、時代は下ってオブリビオンやスカイリムも、曇り空のファンタジーである。
 それに対して日本のファンタジーは晴れ空のファンタジーが多いように思える。ファイナルファンタジーも、ドラゴンクエストも、テイルズシリーズも、ゼルダやファイアーエムブレムも、書籍ならスレイヤーズからダンまちまで、スマホゲームでもファントムオブキルなど、それらのファンタジー世界はやたら空が晴れ晴れとして明るく、晴れ空のファンタジーだと思える。

 これらは当然ながら文化的差異が根底にあるように思えるのだが、むしろ文化的傾向というよりは知識の問題かもしれない。
 どういうことかというと、欧米のファンタジーの世界観は中世ヨーロッパが実在的なモデルとして存在するので、その影響を免れ得ない。それに比べて日本人には中世ヨーロッパについての知見など大して根付いていないので、空想的になる。

 とにかくも中世ヨーロッパというのは陰惨な世界であり、曇り空がよく似合うのだ。
 終わることのない戦争。俗界での封建君主たちによる政治抗争、暗殺、後継者争い。厳格で禁欲的なカトリック教会による恐怖支配。拷問、晒し台、娯楽的死刑。酸鼻を極める異端狩りと十字軍。小氷期による飢饉。癩病やペストなどの疫病。貧しい庶民の生活。人権を剥奪された人狼や賤民、ジプシー。

 中世都市における欠かせないアイテムの一つが晒し台である。
 晒し台は中世ヨーロッパの基本的刑罰の一つだ。街の目立つところに手枷足枷のある晒し台が設置されており、罪人は一日中そこに拘束され晒し者にされるという恥辱を受ける、という刑罰だ。中世ヨーロッパの都市建設シミュレーションなどだとよく設置できることがある。
 これに限らず中世ヨーロッパには公開で行われる刑罰は多い。一つは恥辱そのものが罰であり、一つは公開することで人民に刑罰の恐ろしさと犯罪の不道徳を見せつける抑止力であり、そして刑罰そのものが人民の娯楽でもあった。公開処刑に人民は娯楽としても熱狂した。近年でも中国や北朝鮮の公開処刑には人民の娯楽としての側面がある。中世ヨーロッパ都市建設シミュレーションでも上昇するのは治安ではなく娯楽である。
 中世ヨーロッパの都市というのは、街角を歩けば、公開処刑や晒し台、物乞い、レプラと呼ばれた癩病患者、見世物としての熊使い、売春婦の客引き、と陰惨な要素ばかりなのだ。

 また、カトリック教会というのも、基本的には恐怖で信者をどうにかしようという思想宗教である。カトリック教会に限らずキリスト教が「愛」を売り物にしてなおかつ納得できるような代物になるのはそれこそ二十世紀になってからの話である。二千年間カトリック教会は愛ではなく恐怖の宗教として君臨してきた。カトリック教会は20世紀は第二次世界大戦後の第二次ヴァティカン公会議でようやく恐怖の宗教をやめて愛の宗教になると宣言したようなものだし、プロテスタントなどはローマ教皇や公会議のような人的な愛による補完すら存在せず聖書がすべてであり、予定説などと知られるカルヴァン派の教義は死んですらなお救いなど存在しないのだ。
 だからカトリック教会などは人民を恐怖で支配するために悪魔などという発明に頼ったし、その証拠に今でもヨーロッパの古い教会ではバフォメットであるとかガーゴイルであるとかいうような悪魔たちが恐怖を振りまいている。
 カトリック教会は、というかキリスト教の本来の姿というのは、人間というのは罪に塗れた存在であり、地獄の劫火で苦しむのだから、それを避けるためにはキリストの教えとそれを受け継ぐローマ教皇にひたすら帰依するようにという教えである。恐怖を基盤としてそれから逃れたければ帰依しろという教えである。特にローマ教皇は教皇の「思し召し」次第でその罪を赦すことができるとした。だから十字軍に参加すれば教皇は十字軍戦士達の罪を赦すことができ、十字軍戦士達も罪の贖いを目指して聖地奪還に励んだ。更なる発展が世界史的に有名な贖宥状である。十字軍でも贖宥状でも、それら罪の贖いがあれば地獄の劫火から逃れられるのだ。

 中世ヨーロッパとはこういう世界なのだから、そもそも晴れ空なファンタジーにはなりようがない。

 日本のファンタジーは勃興期にCRPGの影響を強く受けたのも晴れ空ファンタジーになる要素となった。ファミコンでは使える色数の問題から陰気な雰囲気を出せるような繊細を求め得なかったし、また、ファミコンが子供向けのものとされてしまったので、子供向けに陰惨な世界を展開させるわけにいかなくなってしまった。
 それでも、スーパーファミコンの名作とされるタクティクスオウガなどは、中世ヨーロッパの陰惨な雰囲気を充溢させており、当時としてはなかなかに異色であった。オープニングからして曇り空に煙る太陽であったし、中身を開ければ処刑シーンや虐殺や拷問、レイプを示唆するシーン、薬物で廃人にさせられる主要登場人物など、中世ヨーロッパの雰囲気が芬々とした素敵な世界であった。もっとも、このゲームの虐殺などは同時期に行われていたユーゴスラヴィアの民族浄化をモチーフにしたもので、民族、あるいは民族自決などというのは19世紀になって確立されたむしろウッドロウ・ウィルソンなどを思わせる20世紀独特の要素だから、いたずらにタクティクスオウガを中世ヨーロッパ的などとは申せない。
 同時期の真・女神転生なども、ファンタジーなどではなく世紀末的SFなのだが、陰惨とした世界観で知られ、日本のファンタジーゲームの世界観としては豊潤な時代であったと申せよう。真・女神転生IIなどに至ってはラスボスがヤハウェである。
 しかしこれらの遺産を特別今のファンタジーが発展させられているかというと疑問である。タクティクスオウガはファイナルファンタジータクティクスとして、真・女神転生も同シリーズあるいは派生作品、並びに同ゲームメーカーの作品として独自の世界観を築いており、また奈須きのこのタイプムーンなどというニューウェーブもあるが、現代日本のファンタジーはファイナルファンタジーの気持ち悪い宗教やテイルズシリーズの胡散臭い正義などといった唾棄すべきものもまた目立つ。

 日本のファンタジーで唾棄すべきものは胡散臭い薄っぺらいくだらない正義のドグマである。
 日本のファンタジーは、西洋のそれを受け継いでおらず、また勃興期に子供向けとされてしまった関係もあり、やたらと正義のドグマに縛られている。
 海外のファンタジーを見ると、主人公が冤罪にしても罪人として登場するケースが割りと多くある。オブリビオンもスカイリムも主人公は犯罪者として収監されたり処刑されそうになるところからはじまる。これはJRPGには出来ないことなのだ。何故ならJRPGの主人公は見目麗しい青少年でなければならないからだ。コナンシリーズの最新ゲームなどはバイオレンスな世界であり、敵を倒したら殺すのはもちろん、奴隷として売り払ったり、奴隷に奴隷がよく回しているなんか丸いレバーの付いたアレを回させたりとやりたい放題である。こういった邪悪な主人公は、日本ではもはやドラッグオンドラグーンくらいでしか見かけない。エロゲならランスがいるが。あるいはFate/Zeroの衛宮切嗣なども、本人は正義の味方になりたいなどと称しておきながら正義の味方に全然見えない。

 だいたい、何故ファンタジーの主人公が正義の味方でなければならないのか。そこが謎である。確かに海外のファンタジーでも、主人公の最終的な目的とされているのは、世界を救うというおなじみのテーマをはじめとした「正義」とは設定されていることが多いが、しかし彼らが正義の味方を気取ることなどまったくない。そうせざるをえずやったとか、過程は色々あるにせよ、日本のファンタジー的な反吐が出るような正義の味方気取りとは無縁である。
 何故日本のファンタジーの主人公たちは品行方正な正義の味方でなければならないのか。
 それはもちろん、一つには、客層として子供向けというのがはじまりにあったことがある。今にしても、実際に購入しているのがおっさんおばさんであったとしても、名目上青少年がプレイしていることにされているわけである。これは購入しているおっさんおばさんもたいがいなものであり、お前らも年を取ったのなら年相応の成熟したシナリオを好めよとか思うのだが、彼らは年を食っても青少年向けシナリオしか楽しまない。
 いたずらな品行方正さも疑わしい。なんというか、公人になんでも品行方正さを求めて不倫しただけで公職から追放すべきみたいな近年の風潮にも合致しているように思え、一層気持ち悪い。別にファンタジーの登場人物が売春婦を買ってもなんの問題もないだろう。ランスロットにせよトリスタンにせよ不倫で高名である。

 更に疑わしいのは日本のファンタジーで賛美される正義の内容である。
 当然のことながらゲームメーカーやシナリオライターなどに社会哲学者や倫理学者、政治社会学者などが助言することはありえないから、日本のファンタジーで称揚されている正義などというのも軽薄なものである可能性が高い。当たり前であるが。いや、別に学者でなければ正義がわからないというつもりもないけれど、シナリオライター風情にそんなものを求めるのもどうかと思う。彼らの中にダヌンツィオや三島由紀夫みたいな人物、まあこの二人はどちらも極右になるが、がいないわけでもなかろうにしても、三島やダヌンツィオみたいなのでも実際困るわけだが。
 一応こういった日本のファンタジーの正義とやらは戦後民主主義に根ざしていることになっている。幾らネトウヨ全盛期とはいえこの名目はどうやら外せないように思える。
 だがそもそも中世ヨーロッパをモチーフとした世界なのであるから、戦後民主主義などという思想が合致するはずがない。だから製作者はファンタジー世界から戦後民主主義にそぐわないものを排除する。なので日本のファンタジーには公開処刑や晒し台、レプラ、淫売婦、乞食などが登場しない。日本産ファンタジーの中には「民衆が苦痛を味わっている」みたいな設定もあるのだが、乞食すら存在しない世界ではなんの説得力もない。こういった賤民などを登場させると、有識者やジンケンハの「抗議」も怖いのだが、一つにはシナリオ的に面倒にもなる。正義の味方気取りの主人公たちはおそらく「最初の町」でレプラ患者や売春婦や乞食を救うだけで物語は終わってしまうであろう。

 ダンまちなどは「敵モンスター」を幾ら「たおして」「やっつけて」もまったく血が出ない。そう。彼らは何も「殺して」いないのだ。ダンまちのモンスターたちは血も出ない生物でもないあやふやな存在であるのだから、幾らでも彼らを虐殺できるのだ。虐殺してもなんの問題もない。血も流れない。比喩ではなく事実として血が流れない。モンスターなら好きなだけ殺せる。虐殺賛歌である。
 これが日本のファンタジーにおける正義の蹉跌となる。主人公たるもの、正義のためであれば「悪」を好きなだけ虐殺できるのだ。虐殺魔にとってはこんな理想郷もあるまい。
 以前に語ったようなテイルズオブゼスティリアなどはその窮極なわけだ。正義のためなら幾ら人を殺してもいい、それが同作品の「テーマ」であった。イスラム原理主義もびっくりである。

 彼らの正義を別の角度で馬鹿にすることもできる。
 たとえば、以前に日本のファンタジーの騎士団は国王直属の軍事組織となっていると書いたが、これは君主制に対する奇妙なまでの信頼とつながっている。つまりこの手の作品としてありやすいのが、大貴族や大臣が悪政を敷いて民衆を弾圧しているが、実際は国王あるいは王族、近年のファンタジーでは王女のケースが多くなるわけだが、彼らは心を痛めており、主人公は国王に直訴し、良識ある国王なり王族なり王女は「勅命」を下し、王権と直結した「正義の」騎士団と主人公たちが「騎士的な」交友を育み、邪悪なる大貴族や大臣を懲らしめる、という構図である。
 こういった正義の構造で失笑ものなのは、主人公たちは一見「戦後民主主義」的ドグマに従って、それらしい正義を口にするのだけれど、結果的に主人公がすがるのは「慈悲深い君主様」だということである。これは儒教的な考えでもあり、「綺麗な天皇」という日本的な思想にもつながる。無論、水戸黄門などというものと同じ発想であることはいうを俟たないわけだが。

 というわけで日本のファンタジーもへそで茶を沸かすような正義を気取るのはやめて多少は大人でも楽しめる作品を作って欲しいものである。
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ファンタジー世界の音楽 [ファンタジー世界考察]

 前に幾つかの企業のゲームに関する特許や商標登録はゲーム全体に対してむしろ悪影響なのではないかと書いた。極端に申せばコマンド型ターン制バトルなんてものについて、ゲーム黎明期にどこかの企業が特許を取ったりしていたら、その後のゲームの発展は遅滞をきたしていたであろう。ファイナルファンタジーでおなじみのアクティブタイムバトルはスクウェアエニックスが特許を取っていたはずであるが。
 かといってこういった特許や商標登録は重要でもある。特に近年、中国においては多数の剽窃ゲームが世に出されている。海賊版はもちろん昔からかの国では横行しているが、それに加えて、ゲームコンセプトだけではなくUIやデザインなど、明らかに特定のゲームから剽窃したようなゲームが多数存在する。あくまでも海賊版ではなく彼らはオリジナルと称しているが外側が変わっただけでほぼ剽窃といえるものが多数だ。
 近年特に中国で人気のPUBGなどは顕著で、日本などでも中国産のPUBG剽窃ゲームがスマホで人気になってしまっている。中国本土でしか遊ばれていないものも含めれば多数に及ぶ。だいたいPUBGの中国展開をしているテンセントがスマホで剽窃ゲームをリリースしているはずである。テンセントは日本でもソフトウェア展開を図っている。
 更にいうならPUBGのチーターの九割以上が中国人ユーザーである。確かにPUBGは中国で人気でユーザー数も多いがそれにしてもという数字である。
 ただ中国共産党政府はPUBGを歓迎しておらず当初はプレイ禁止の可能性もあった。理由はゲーム内容が共産主義にそぐわないという理由である。そのため血の色を緑色にして内容も「共産党国家の国家安全保障」をテーマとするよう改変された。
 しかしまあ海賊版やら剽窃ゲームやらチーターやらが跋扈している中で共産党的正義など掲げられても片腹痛いとしかいえないわけである。
 中国共産党は少し前にゲームプラットフォームであるsteamのコミュニティから中国国内からのアクセスをかの金盾で遮断した。ゲーム購入は普通にできるが。これも仮にsteamの全アクセスを遮断されても海賊版があるから問題ないなどと人民には思われている。
 中国共産党は金盾のような技術面と、インターネットの国家統制という思想とをパッケージして諸外国への輸出を図っている。これをば新たな価値観と称している。
 最近は国際政治の場で中国共産党、習近平が世界のリーダー気取りで正義を訴えることも多くなってきた。元々中国というのは国際的に特別共感も同調もされないなんの正義もないハードパワーだけの国家だったが、アメリカでトランプが大統領になり、アメリカが民主主義的正義を掲げるというソフトパワーを自ら放棄してみせたので、空いた「正義の座」に習近平がやってきて世界のリーダー面するようになったわけだ。トランプというのは中国の覇権のためにお膳立てしたわけである。
 余談が長くなったが。

 ここに書くネタというのは万物の事象の数だけあることになっている。いわば大プリニウス先生の博物誌のようなもので更にそれを人文科学や社会科学にまで敷衍しようというわけだ。
といっても内容は薄っぺらいのだが。
 今日は何を取り上げようか。

 ファンタジー世界の音楽というと二つの捉え方がある。
 ファンタジー世界で演奏されている音楽と、ファンタジー作品の劇伴として流される音楽とである。

 ファンタジー作品で流される音楽は、伝統的にはクラシックをベースとした、映画音楽の延長線上のものが多い。中世ヨーロッパ的な世界に、電子楽器や黒人音楽は似合わないということでもある。それから、一般的に中世ヨーロッパの音楽は馴染みがなく知られてもおらず、そもそも中世ヨーロッパ音楽は発展途上の音楽だから表現力に乏しいというのもあるだろう。それに浅い考えでは中世ヨーロッパもいわゆるクラシックのオーケストラの音楽だという誤解もしやすそうだ。
 コンピュータRPGだと、音楽製作者が伝統的に映画音楽からの兼務ということも多く、ドラゴンクエストなどのオーケストラ調の音楽に親しんできた歴史もある。この点、女神転生などは世界観は異なるものの、近代的大衆音楽をRPGに移入した旗手ともいえよう。
 古臭いファンタジー的中世ヨーロッパに対する典型的誤解として、ヨーロッパ貴族というと絶対君主時代のものを想像される場合があり、この場合音楽も華やかなヨーロッパ的クラシックという誤解もあるかもしれない。しかし絶対君主時代的な貴族像というのは中世ヨーロッパより三百年時代が下るし、一般的なクラシック音楽が成立したのはフランス革命やナポレオン戦争が終わって後のことだ。比較的「古い」作曲家の、ヨハン・ゼバスティアン・バッハですら活躍は18世紀だ。中世とはかすりもしない。

 では中世ヨーロッパでどんな音楽が流れていたか。
 そもそも中世ヨーロッパという世界は比較的娯楽に乏しく、世俗音楽よりまず宗教音楽、教会音楽が音楽を牽引していたともいえる。いわゆるグレゴリオ聖歌などというのがそれである。我々が思いつきやすいもう一つの教会音楽たるパイプオルガンなどは、中世ではまだ技術的に発展途上であった。
 禁欲的教義のカトリック教会が支配的な中世ヨーロッパであっても教会音楽は宗教的法悦を高める手段として重要視されていた。

 しかし世俗音楽が発達していなかったかというともちろんそんなことはない。音楽の発展しない文明など存在しないだろう。
 では中世ヨーロッパの世俗音楽とはどのようなものだったかというと、いわゆる民族音楽に近いものであった。楽器は後にオーケストラを構成するような楽器、ヴァイオリンやフルートの原型となる素朴なものであり、あるいはギターの祖先であり、またほぼ滅んでしまった楽器もある。現代の楽器に比べると音も素朴である。たとえば現代の弦楽器は金属などでできた弦が張られているが、当時の弦は畜獣の腸などでできていた。現代の楽器より音も小さく、いわば非効率的な楽器であった。音楽的には、クラシックの音楽などと比べると、小規模なのはもちろんだが、打楽器が多く、リズミカルで「クラシック」などと比べると旋律や和音なども実に素朴な、あるいは稚拙なものである。ちなみにギターをはじめとする「素朴な」楽器がオーケストラに生き残れなかったのは音量が小さかったからである。チェンバロやハープシコードなどもそうであるが。
 古いファイナルファンタジーの重要アイテムにリュートというのがあるが、これも生き残れなかった弦楽器、撥弦楽器の一つで、有名なファイナルファンタジーのテーマというのもこのリュートによって奏でられているという設定であった。撥弦楽器は全体的に音量が小さく、リュートもギターもチェンバロもハープシコードも、あるいは絵的には有名なリラや、すっかりマイナーになって日本人には存在も知られていないツィターなども、撥弦楽器であったが、音量の小ささ故にオーケストラのメンバーに加われず、ギター以外はほぼ滅んでしまった。
 これらの音楽は現代特に「古楽」として知られ愛好を集めている。

 しかしこういった情報などは、音楽であるのだから、百聞は一見にしかず、この場合は百文は一聞にしかず、実際に聞くのが早い。
 NHK-FMで午前6時から、古楽専門チャンネルが流れているので、それを聞けばすむわけである。まあ、古楽という場合「クラシック以前のヨーロッパ音楽」という意味であるから、14〜17世紀の音楽がメインでありやや中世とは外れるが、雰囲気をつかむのにはいい。朝早いが今ならインターネットでタイムシフトで聞ける。

 中世ヨーロッパ音楽であるから、欠かせないのは吟遊詩人というものである。彼らはリュートやリラなどをかき鳴らしながら歌詞に英雄譚や恋愛譚などを歌った。あるいは楽器がなければアカペラで歌った。
 Skyrimを遊んでいて宿屋に入ると男が歌っているのが吟遊詩人で、なんか適当に節つけて歌っている感じにすぎないのだが、とても雰囲気が出ている。
 クラシックに連なる音楽にしても、元々は即興性が強く、決まっているのは通奏低音と呼ばれる低音演奏だけであり、演奏者がかなり自由に低音に合わせた和音で即興的に演奏するものであった。

 最近はファンタジー作品のBGMとして古楽的な音楽の見直しも進んでいて、狼と香辛料やダンまちなどのBGMはヨーロッパの古楽を思わせるものになっている。
 一方でテイルズシリーズなどは古楽の欠片もない壮大感を全面に出した古典的BGMだが、別にそれが悪いというわけでもない。大して関心もしないが。
 またタクティクスオウガなどは現代大衆音楽の要素も色濃く黒人音楽由来の打楽器で構成される音楽もあるが世界観とはマッチしておりよいものであった。
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ファンタジー世界の杞憂 [ファンタジー世界考察]

 杞憂という言葉がある。

 春秋時代に杞という国があった。夏王朝の末裔であり伝統はあったが弱小国家であった。杞に住むある男は、天が崩れて押しつぶされてしまうのではないかと心配で、ろくに食事もとれないありさまだった。この故事にちなんで心配しなくてもいいようなことを心配することを杞憂という。

 つまり、春秋時代も杞の国も存在しないファンタジー世界では杞憂という言葉は使えないのだ。ただ、ただの二字熟語にも見えるから、語源を考えなければつい使ってしまいそうにも思える。


 宋襄の仁という言葉もある。

 同じ春秋時代にあった宋の国の襄公が、戦争の際に、相手の陣形がまだ整っていないのを見て、それを慮って相手の陣形が整うまで待ち、戦争に負けたという故事である。いらない仁を見せて大切なものを失うというような意味だ。

 これは使いにくい。杞憂はぱっと見て二字熟語にも思えるけれど、これはまず宋襄と仁とで二つに分かれているし、この故事を知らなくてもなにかしら故事がありそうに見える。


 ピュロスの勝利になると更に使いにくい。

 古代ローマのライバルであったマグナ・グラエキアの都市国家に傭兵として雇われたエペイロス王ピュロスは軍事の天才であったが、古代ローマ共和国軍を破るたびにピュロスの軍も損害を被り、決定的勝利も得られず、兵力が減っていき、勝ち続けているというのに損害ばかりで最終的に勝てないという故事からピュロスの勝利という言葉がある。

 これになると、ピュロスは明らかに一般名詞ではないし、ファンタジー世界にピュロスという過去の人物を用意する必要もあるし、使えない。


 実際のところどうなのか、ファンタジーなのにこういった言葉を使ってしまっていいのか、一度編集者などの事情に通じた人に聞いてみたい。

 とはいえしかし。ずっと前に書いたように、ダガーという言葉はダキア人という民族名に由来するし、短剣のバゼラード、弩兵が背負う盾であるパヴィス、銃剣の英語名バイヨネットなどはそれぞれヨーロッパの都市名バーゼル、パヴィア、バイヨンヌに由来するのだから、厳密性は追求できないのである。
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ファンタジー世界の騎士団 [ファンタジー世界考察]

 最近脱線した話題が多かったり個人的かつエモーショナルな話題が多かったので、面目躍如でもないが今日は真面目にファンタジー世界についての知識を披瀝したい。


 その前にちょっと枕の雑談を。

 役者不足という言葉がある。おそらく誤用されることの多い日本語筆頭だと思われる。というか役者不足という言葉自体が本来は存在しない。正確には役不足である。そして役不足という単語自体が誤用されている。役不足の本来の意味は、役者の技量に比べて役が端役である、小さい、不足している、ということである。しかししばしば、役回りに大して役者の技量が不足していると誤用される。
 何故こうなったか。一つには銀河英雄伝説が悪いと思われる。銀河英雄伝説で役不足という言葉が誤用の方で何度も使われているのだ。

 こういうことは別に以前にもあったようだ。例えば、すべからく、という言葉がある。しばしば誤用される用例として「すべからく滅ぼさねばならない」というのがあったとする。誤用としては「すべて滅ぼさねばならない」という意味だとされがちである。しかし「すべからく」の正確な意味としては「必ずや滅ぼさねばならない」という意味である。
 この誤用も「戦犯」ははっきりしているらしく、戦犯は唐十郎である。唐十郎が自著の中で「すべからく」を「すべての」という意味で使っているため他の文章書きもその意味で使ったのだという。



 さて本題。

 騎士団というものがある。ファンタジー世界では定番の存在であり、とりあえずとにかく格好良さげな組織とされている。しかるに現実に存在した騎士団をまったく参考にされていない感じもまたとてもする。ファンタジー世界を象徴する組織だとは思うが、日本のファンタジーにおける騎士団はそのほとんどが(しばしばいい加減な)想像の産物である。

 日本のファンタジーにおける騎士団は、たいていが軍事組織である。多くの場合国家に直属する軍事組織として描かれる。いわば国軍のことを騎士団とをば称する。これはソードワールド無印のでっち上げた設定である。
 あるいは同じ国家の軍事組織でも特別な地位を与えられている場合もある。ファイブスター物語などはそうである。この作品の場合騎士の存在自体が人間とは違う特別な存在だとされているので、その特別な騎士で作られる騎士団と普通の人間による国軍とは厳密に区分される。
 これらにはじまってタクティクスオウガからナイツ&マジックに至るまで、日本では騎士団といえばとりあえずなんかかっこいい軍事組織みたいな地位としてふわふわといい加減に定着している。


 さて、ここからは現実に存在した騎士団について振り返ってみる。

 まずそもそもの話なのだが、騎士団は英語ではオーダーと呼ぶ。ドイツ騎士団はチュートニックオーダーとなる。ただホスピタル騎士団とテンプル騎士団はそれぞれナイツ・ホスピタラー、ナイツ・テンプラーであるが。所属する騎士もオーダーと呼ぶ。

 騎士団の起こりは十字軍であった。騎士団は十字軍の修道組織として発足した。
 有名な三大騎士団は十字軍の興隆と共に生まれた。三大騎士団とは、テンプル騎士団(キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち)、ホスピタル騎士団(聖ヨハネ騎士団、ロードス騎士団、マルタ騎士団)、ドイツ騎士団(チュートン騎士団)の三つである。三つとも修道院組織である。所属の騎士たちは修道僧でもある。だから本職は祈りを捧げることであり、彼らは妻帯も許されていない。
 基本的には聖地イェルサレムの守護という使命もあるが、修道騎士団の一番大切な役割は聖地巡礼の信者たちの保護であった。保護というのは軍事的な護衛というだけではなく、巡礼者たちが泊まるための宿泊施設の提供なども含まれている。つまり軍事組織という色合いはそもそも濃いものではない。

 テンプル騎士団はフランスの騎士たちが中心になって結成された。正式名称はキリストとソロモン神殿の貧しき戦友たちである。名前の通りテンプルとはソロモン神殿のことを指す。
 テンプル騎士団で有名なのが金融活動である。メンバーたちの所領は修道会であるから騎士団に共有されたし、世俗領主からの寄進もあり、そしてそれが複数の子供によって分割相続されることもないので不動産をはじめとする資産は貯まる一方であった。また彼らは巡礼者たちの財産を保護するために、現金を持ち歩かなくてもすむよう、彼らの財産を預かった。預金口座である。預金通帳などもテンプル騎士団のアイデアだったという。
 フランス国王フィリップ4世はそのテンプル騎士団の莫大な資産に目をつけた。そして当時の騎士団長ジャック・ド・モレーをはじめとする幹部たちを男色など様々な冤罪で逮捕、拷問の末に処刑した。この事件と莫大な資産故にテンプル騎士団は様々な陰謀論あるいはファンタジーの題材にもされた。
 しかしフランス国外ではテンプル騎士団は生き残る。ポルトガルではキリスト騎士団として現在も存続している。

 ホスピタル騎士団、聖ヨハネ騎士団は南イタリアの都市国家アマルフィの商人たちが中心となって立ち上げられた。アマルフィはナポリ湾にあった都市国家で、現在でもイタリア海軍旗には四大海洋都市国家の一つとしてアマルフィの旗がデザインされている。他の三つはヴェネツィアとジェノヴァとピサである。ホスピタルという名前からわかるように騎士団は巡礼者を保護する病院の運営からはじまった。
 聖地が陥落した後、彼らはロードス島に本拠地を移し、異教徒並びに異教徒と貿易する不埒なキリスト教徒への妨害活動を継続した。要するにイスラム国家とヴェネツィア共和国などへの海賊行為を行っていた。ロードス島はオスマン帝国により制圧されるものの、彼らはマルタ島に移転して活動を続けた。つまり海賊行為を続けた。一応地中海におけるキリスト教徒の海軍勢力としての地位があり、プレヴェザの海戦やレパントの海戦でもキリスト教連合軍として参戦している。
 その後も数百年彼らはマルタ島に居座っていたが、十字軍など遠い過去の昔となったナポレオン戦争の時にマルタ島を追い出された。その後もマルタ騎士団として、騎士団の本分に立ち返って福祉活動に従事している。国家ではなく、領土も有していないが、国連のオブザーバーとして国連のメンバーである。

 ドイツ騎士団はその名の通りドイツの騎士たちによる騎士団である。他の騎士修道会との違いとして、彼らはドイツ人の巡礼者しか保護しなかった。
 聖地陥落後はドイツ人の東方植民を目指す団体として、最初はトランシルヴァニアの領主に招聘されてトランシルヴァニアに根拠を置いたが、すぐに今度は北方十字軍に従事するためバルト海沿岸のプロイセンなどに展開した。北方十字軍は本家の十字軍以上に激烈なものであり、改宗しなければ殺すというものであり、多くの異教徒プロイセン人が殺された。そうして樹立されたのが、いわゆるドイツ騎士団領である。
 ドイツ騎士団領は宗教改革の頃、ホーエンツォレルン家の騎士団長の際に騎士団長がルター派に改宗して世俗のプロイセン公国となった。その後後嗣が途絶えたためそのままブランデンブルクのホーエンツォレルン家に併合され、後のプロイセン王国となる。
 ただドイツ騎士団の騎士修道会としての組織はカトリックの騎士修道会として、ハプスブルク家の元で存続した。

 これらが三大騎士団と呼ばれているものであり、いずれも騎士修道会である。主要な活動はあくまでも巡礼者の保護であり、そのための聖地防衛もそうであった。
 同様の組織には、東ローマ帝国の修道院の病院を起源とする聖ラザロ騎士団、イベリアでレコンキスタに従事したサンティアゴ騎士団、アヴィス騎士団、アルカンタラ騎士団、カラトラバ騎士団、イタリアの聖アヌンツィアータ騎士団、バルト海沿岸で北方十字軍に従事したリヴォニア帯剣騎士団などがある。


 これら騎士修道会、聖界騎士団に対して、修道僧をメンバーとはしない俗人で構成された俗界騎士団、世俗騎士団がある。

 俗界騎士団の先駆けとなったのがガーター騎士団である。これはイングランド国王エドワード3世が伝説のアーサー王の円卓の騎士に憧れて作ったものであり、十字軍的情熱とは無縁な代物であった。英語では「オーダー オブ ザ ガーター」であり、これはガーター騎士団とも訳されまたガーター勲章とも訳される。
 ガーター騎士団であるから騎士団員はガーターを帯びる。ガーターにはかの有名な"Honi soit qui mal y pense"「悪意を抱くものに災いあれ」という文句が書かれている。これはエドワード3世が、舞踏会で貴婦人がガーターが解けてしまって恥をかいてしまったところでそのガーターを自らの脚につけこの言葉を述べたとされる。有名だが、本当にあったのかどうかはわからないという。

 もう一つの有名な世俗騎士団として金羊毛騎士団がある。ブルゴーニュ公フィリップ善良公がイングランドのガーター騎士団が格好良さそうなので自分も作りたいとか思って作ったものである。金羊毛はギリシア神話のアルゴルナウタイのことであるが、また旧約聖書のギデオンもモデルであった。聖アンデレを守護聖人として異端と戦うのが目的とされていた。一応十字軍が前提であったのだ。

 これらの世俗騎士団は修道会ではないわけだけれど、そもそも軍事組織ですらない。ガーター騎士団とか金羊毛騎士団とかがイングランドやブルゴーニュの軍隊として戦うわけではない。これらは、いわば名士クラブであり、王侯貴族の社交が目的であり、そしてまたただの栄典であった。だから騎士団員も戦士としての騎士などではなく、王侯貴族である。
 こういった世俗騎士団には他にハンガリーのドラゴン騎士団というのもあったが、こちらは一代限りで消滅してしまった。また、聖アヌンツィアータ騎士団はルネサンスの頃にサヴォイアの栄典として吸収され、他の世俗騎士団と同じような存在となった。


 これらの騎士団は、多くが今も存続し、活動している。

 テンプル騎士団はフランスでは壊滅したものの、ポルトガルで生き残り、今でもポルトガル大統領が騎士団長を務めている。
 聖ヨハネ騎士団は前述の通り今でも国連オブザーバーとして紛争地帯での医療活動に従事している。
 ドイツ騎士団は領土を失ったあとハプスブルク家のオーストリアに根拠を置き、今でも聖ヨハネ騎士団ほどではないが、同じように福祉活動をしている。
 聖ラザロ騎士団は、その後は世俗騎士団と同じように王侯貴族の名士クラブとして存続している。

 ガーター騎士団は今でも大英帝国の栄典として高名である。
 金羊毛騎士団はブルゴーニュからオーストリアのハプスブルク家に相続され、その後スペイン系とオーストリア系に分かれて存続している。
 前述の通りこれらは栄典であり勲章である。オーストリア系金羊毛騎士団はカトリック教徒限定ではあるが、これらの騎士団員の地位は各国の君主や元首に授与されている。ガーター騎士と金羊毛騎士の地位は、それぞれ英国王室やスペイン王室から日本の天皇にも送られている。天皇というのは騎士団員なのである。
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ファンタジー世界のペガサスナイト [ファンタジー世界考察]

 結論から申し上げると、ファンタジー世界にペガサスナイトはほぼ存在しない。正確にいうと存在できない。存在してはいけない。

 これはただの一発ネタで前から書きたかったのだけれど、まあ特に中身のある記事ではない。

 どういうことかというと「ペガサスナイト」は任天堂に商標登録されているので存在するわけにいかない。しかるべく手続きすれば構わないのかもしれないが。この件はファイアーエムブレムの開発者が独立したあと作ったゲームで「ペガサスナイト」を登場させたら裁判を起こされて負けたことがある。
 類似のゲームではペガサスライダーなどと呼称されたりする。だからペガサスキャヴァリアとかペガサスリッターとかペガサスシュヴァリエなどは大丈夫なのだろう。ペガススナイトとかペガソスナイトはわからないが。

 ファンタジーでの似たような事案に「ホビット」がある。ホビットはトールキンが作った単語なので著作権的に使われない。似たような「小人」「矮人」はハーフリングとかグラスランナーなどオリジナルの呼称が与えられる。エルフとかドワーフはゲルマンの神話や伝承に登場するので問題ない。

 この手の版権というとコナミが悪名名高い。一時期コナミが「ホワイトベース」などの自社とは関係のない商標登録を多量に申請していたのは有名だ。コナミは他にも多くのIPを持ちながら開発を放棄して死蔵したり、ゲーム関連の特許を持っていてなおかつゲーム開発から撤退したりとゲーマーから憎まれている。
 他にもゲーム関連の特許は色々あるが、全体的に見るとゲームにおける特許というのは、知的財産であるし守られないといけなのは確かなのだが、ゲーム業界全体の発展やユーザーの利便性からするとどちらかというと不便さを増しているように思える。例えば、ギャルゲーユーザーが望むであろう合成音声で自分の名前を呼んでくれるというのはどこかの会社(コナミの気がする)が特許を持っているから他のゲーム会社が使えないとか。

 まあこの話はただの一発ネタなので特にこれ以上書くつもりもない。


 今日はクリスマスイヴである。いわずもがな日本では一番セックスの件数が多い日である。

 ガチャゲームでもクリスマス衣装は課金のネタとして重要である。どのガチャゲームもクリスマスコスチュームのキャラを用意している。しかしまあ世の人々はこんなクリスマスコスチュームで喜んで金をつぎ込むのだから安いものである。

 クリスマスコスチュームで多そうなのが、サンタクロース風の衣装で、赤い服に白いふわふわをつけたものである。しかしこんなものの何が嬉しいのかは私にはわからない。こんな格好するのはせいぜいがクリスマスケーキを売るアルバイトかクリスマスにピザを配るお兄さんくらいであろう。キャラのこんな格好見ても飲み会の余興みたいにしか見えない。何が楽しいのか。
 ただグラブルの一部キャラなどは、さすがに開発費があっていいデザイナーがいるからなのか、白を基調としたクリスマスカラーのコートなど着ており、欲しいと思わせるものであった。

 私はこの手の季節コスチュームにはあまり興味を持てないようだ。
 他のブログでも書いたけれど、近年導入が進んでいるイースター衣装などは明らかにただの珍奇な服装でしかない。せいぜいが十二大戦の卯の戦士みたいで、というか卯の戦士を思わせてむしろ気持ち悪い。ハロウィンも魔女コスチュームと思えばまだマシなのだが、特別に興はそそられない。この辺の海外から無理やり輸入させたイベントにはそもそもがなんの思い入れもない。
 季節イベントで多少興味を持てるのは、ジューンブライドとか正月の晴れ着あたりだろうか。といっても花嫁という概念に興味はないのでジューンブライドといってもただの白いドレスだし、晴れ着も私は振り袖がいまいち好きにもなれない。ややマイナーなものだと桃の節句があり、これは興味がある。和服でも振り袖はいまいち好きではないのだが、女房装束は好きである。正月だと巫女服もありえるが、巫女服は好きである。ただ、近年巫女服もいたずらに肩に切れ込みなどをいれてセコく肌露出を増やそうとしているものなどがあり、これは嫌いである。ちなみに近年のフリルつきの丈の短い和服なども嫌いである。
 季節イベントとしては水着があるが、これはやはり興味はある。いたずらに露出を増やすのはうんざりするのだが、水着はまた別であろう。特に貧乳娘がビキニを着るのはとても素晴らしい。もちろんこれも世界観などにもよるのだが。


 さて。本題である。といってもペガサスナイトの話は枕で終わりなのだが。

 ここ数日クソゲーのレビューを読んでいたずらに時間を費やしている。クソゲーのレビューというのは読んでいてそれこそ寝食を忘れるくらいに楽しい。こういうのは私の品性が下劣だからなのか、とも思ったけれど、しかし世の中にはゴールデンラズベリー賞とかイグノーベル賞とかダーウィン賞とかあるので普遍的な興味であり品性下劣などと思う必要もなさそうだ。

 ここで着目したいのが二つの記事である。「ファイナルファンタジーXIII」と「テイルズオブゼスティリア」である。テイルズオブゼスティリアは立派なクソゲーだがファイナルファンタジーXIIIはクソゲーとはされていない。ただ、JRPGを象徴するゲームという感じがしたのでここでネタにしたい。

 ファイナルファンタジーXIIIは、容量の七割、それも数十GB単位の量でストレージを占めるとにかく長いムービーと終盤以外本当に何一つ行動の自由のない一本道シナリオで知られる。もちろんムービーはファイナルファンタジーでおなじみの気持ち悪い美男美女である。どちらもいかにもJRPGといった感じである。
 更にその一本道シナリオも気持ち悪い。要するに世界の危機なのだけれど、それに対して主人公がなんの考えもなく突っ込んで何故か奇跡が起きて解決するといういかにもJRPG的な安易極まりないくだらない三文芝居のデウスエクスマキナである。
 ファイナルファンタジーというのも、PSにプラットフォームを移してからムービー重視になり、気持ち悪い宗教的な独自世界観を全面に打ち出すようになったのだが、そのわけの分からぬ宗教世界は気持ち悪いとしかいえない。映画版ファイナルファンタジーで大コケしたくせに。

 テイルズオブゼスティリアは満場一致のクソゲーであった。
 何が悪いといってシナリオである。特にこのゲームのシナリオはテロリズムを賛美するというどうしようもないくだらない内容である。正義のためなら暗殺というテロリズム、人殺しは賞賛されるべきという内容なのである。まるでイスラム過激派である。更にいうなら、近年の「正義なら何をしても許される」という社会的風潮にも合致する。例えばとある自動車事故に関してそれとは無関係の企業を容疑者の親がやっている会社としてネットに晒して一日百件とか「抗議の電話」をするような社会的風潮と、テイルズオブゼスティリアのシナリオは思想発想の点で同じ流れなのである。社会的影響力のある大手ゲーム会社がテロリズムから名誉毀損まで賛美しているのだからどうしようもない。
 またテイルズオブゼスティリアはメアリー・スーと逆メアリー・スーでも有名である。メアリー・スーとは何かというとキャラの依怙贔屓である。逆メアリー・スーはその逆で特定のキャラをやたら冷遇することである。
 メアリー・スーはこのゲームの暗殺ギルドの頭であるキャラであるロゼである。暗殺というテロリズムを賛美するこのゲームのテーマに合致しているともいえる。ただこのゲームの場合プロデューサーがこのキャラを好きであると高言するのみならず担当した女性声優にも賞賛だけではない感情を表しており大変気持ち悪い。あとこのキャラは自分に似ているみたいなことを述べているのだが、テロリストで逆メアリー・スーのいじめをしたりするキャラを好きだとか自分に似ているとかいうのも気持ち悪い。
 逆メアリー・スーもいる。アリーシャというキャラなのだが、当初、テイルズオブゼスティリアでは宣伝段階でアリーシャを「重要なキャラ」「ヒロイン」と謳っていた。あるいはそうであると勘違いさせるような喧伝をしていた。ところが蓋をあけると、実質メインヒロインはプロデューサーお気に入りのロゼであり、アリーシャはパーティ途中離脱するし、さらには扱いがひどく主人公やロゼを筆頭に多方面の登場人物からいじめを受けている。更にはプロデューサーは、後のインタビューで、彼女がメインヒロインとされたのはユーザーの勝手な勘違いだといい切り、各種メディアにもアリーシャに冠されたヒロインという単語を削除するよう手を回した。
 あまりにこのプロデューサーの仕儀がひどく、ユーザーからはもう二度とこのプロデューサーにゲームを作らせないでくれ、という署名活動が5000人分ほど集まったという。彼は結局退社したのだが、今度はスクエニ系列のゲーム開発会社のトップになっている。
 おそらくは元々逆メアリー・スーのアリーシャがメインヒロインになる予定だったのか、彼女はフィギュアすら作られている。
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 アルターのフィギュアだけあってなかなか良い造形で、再販までされている。私もこれを見てほしくなったのだが、残念ながら市場価格はプレミアがついており、購入の機会はなさそうだ。中の人も茅野愛衣だし、不遇キャラということでなんとなく愛着めいたものも覚えるのだが、プレミア価格では手を出すのが厳しい。

 どちらもJRPG的なゲームであり、それでいてそのJRPG的な部分で大変くだらない出来になっているように思えてならない。特になんの考えもない主人公が情熱のまま突っ走るとなんかうまいこと奇跡が起きてなんとかなるとか、正義のためならテロリズムを賛美するとか、くだらない。
 洋ゲーなどは確かにむしろ暗殺テロリスト組織などが主人公の所属組織になったりもするけれど、しかし正義のためならテロリズムを賛美する内容になったりはしていない。

 私がソードワールド2.0を嫌いなのも、ラノベ的なのが嫌いというよりむしろJRPG的なのが嫌いなのだと思えてきた。まあ、どちらも似たようなものだとも思えるけれど。


 しかしクソゲーオブザイヤーなどを見ていると、明らかに常連企業というものがある。例えばシステムソフトアルファーとかがそうである。バンダイナムコなどもよく見かけるが、しかしバンダイナムコはゲームの総数も多く、いいゲームも出している。それに比べてシステムソフトアルファーなどは見ているとクソゲーしか出していない。あと一分野に限るのなら、コーエーも本来の得意ジャンルであるはずの歴史シミュレーションでは、最近だと信長の野望創造を除くとほぼほぼ否定的な扱いをされている。
 システムソフトアルファーは傍目から見ていると本当に謎で、ここまで出すゲームがすべてクソゲーな会社もないだろうに、なぜ今まで潰れないで存続できているのか、本当にわからない。私の中ではゲーム業界の謎である。

 クソゲーというのは、よくいわれるけれど、なんでこれがOK出たんだと思えるようなものが多い。「修羅の国」ことエロゲーであれば、もうデバッグするのがせいぜいで、どうしようもないものが散発するのはわかるのだが、大手ゲーム会社でも、テイルズオブゼスティリアのようなクソゲーを生み出す。
 例えばこれが書籍であれば、編集がチェックするので、小説家がひどい作品を書いてもとりあげられない。すべての場合ではないにせよ。山田悠介の処女作はひどいといわれたけれど、あれは編集部のチェックの入らない、一種の自費出版であったという。
 しかしゲームの場合そういったチェック機構がない。プロデューサーとディレクターという職掌の違いはあるが別に編集と作家のようなチェック体制というわけでもない。だいたいテイルズオブゼスティリアみたいにプロデューサーが率先してクソゲーを作ることも多い。プロデューサーの上にも上司はいるが、幾つかのクソゲーはゲーム会社の社長からしてその出来を賛美することもある。

 だいたい、シナリオライターにせよプロデューサーにせよ特にシナリオ面でテストされたわけではないこともある。小説家であれば、ケースによるけれど、新人賞などといったわかりやすい関門がある。ゲームのシナリオライターも参考作品の提出などはあるだろうが、関門は曖昧だ。ましてやプロデューサーだのディレクターだの、シナリオ作家として選ばれたわけでもない。
 別にそれが一概に悪いわけでもない。例えば、俺の屍を越えてゆけやリンダキューブで知られる桝田省治などは元々はハドソンに出入りする広告代理店のサラリーマンだった。今では作家としても活躍している。

 とはいえこういったクソゲーの事例を見ていると何かしらチェック機構が必要にも思えてくる。というか、テイルズオブゼスティリアのプロデューサーなど「こいつに二度とゲーム作らせるな」などという署名活動まで起きているのに何故まだゲーム業界に居られるのか謎ですらある。政治家とかならともかく、ゲームなんて売上がすべてで、ユーザーに嫌われるようなゲーム作家に何故居場所を与えるのかと思える。
 まあ、テイルズオブゼスティリアはアリーシャというキャラとフィギュアの存在を知ることができたのでそれはよかった。
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色々書いたけれど消えて疲れた [ファンタジー世界考察]

 今日は特にテーマを決めないで細かなつまらない話でもしてみたい。本当は何かあった気がするのだが忘れてしまった。枕のどうでもいい話も忘れてしまった……のだが書いていたら思い出した。


 前から書いているとおり私は「異世界」「転生」を蛇蝎のごとく嫌っている。本屋でも特別「異世界」「転生」「チート」などの単語が目立つ棚は平積みのも目に入らないように移動経路も視線も苦心惨憺して避けるようにしている。
 ところが最近人との話の中で出てきた本がどうやらラノベ系単行本であるらしく、その本が少し気になったのだが、かといってアマゾンで済ませるのも一応表紙だけは確認したけれど、私はサヨクであり反グローバリズムでありトランプ大統領と同じくアマゾンが嫌いなのでアマゾンで購入したくもない、ということで頑張って「異世界」「転生」などの単語が並ぶラノベ系単行本のコーナーに行ってきた。

 そこでわかったのだが、たしかに私は「異世界」「転生」「チート」などの単語が反吐が出るほど嫌いである。しかしそれ以上に、どうやら本の装丁、デザインが気に食わないのだ。特にアルファポリスなど新興と思われる出版社に顕著なようなのだが、はっきりいってデザインが下品なのである。特にフォントが実にチープでキッチュで薄汚くうんざりさせられるのである。
 「異世界」「転生」という単語だけでも不快なのだが、それをより一層亢進させているのが下品なフォントの装丁なのである。背表紙だけでうんざりする理由はこれである。背表紙のフォントからして吐き気がする安っぽさなのだ。
 やはり見てみると新興と思われる小規模そうな出版社ほどフォントは薄汚い。ケチなスーパーのPOPあるいはパチンコ屋的な場末感の漂うフォントなのだ。角川などはまだ品を感じる。

 もう一つ発見があった。あの新紀元社がラノベ単行本のノベルレーベルを出しているのだ。しかもタイトルには「異世界」「転生」などの単語が踊る。新紀元社には失望した。


 と、ここまで枕を書いた後でスカイプチャットをはじめて日をまたいでその後今日になって続きを延々と数千字書いたのだがこのブログでエラーが起きて全部消えてしまったのでもう書くのやめた。
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我が麗しのファンタジー世界 [ファンタジー世界考察]

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 こんなものが我が家に届いた。

 いや、自分で注文して金払ったのだから届いて当然なのだが。


 私は基本的に鬱病患者であり、精神的に衰弱しているのだけれど、たまには懐かしいものでも読んでみたらどうだろうかと思い立ってアマゾンは嫌いなのだがアマゾンで探してみた。さすがに新刊などとうに絶版なのだが、古本が1円とかであった。とりあえず三つ注文してみた。同じ古本屋で注文してまとめて届くのだから運送料安くならないかなと思ったのだがならなかった。
 しかしまあ届いて目の前にしてみると、懐かしいどころか、もう記憶の彼方に飛ばされてしまったらしく、あまり懐かしくもなかったような気がしないでもない。

 ロードス島戦記はライトノベル黎明期の作品であり、ラノベの基礎を築いた作品の一つでもある。
 めくってみたのだが、まあなんというか日本語書法の一部がめちゃくちゃである。具体的には、「」のつけかたが全部間違っている。ある意味すごい。水野良は生粋の小説家でもないしデビュー作に近いものだから仕方ないのだろうが、編集は何をやっていたんだという気もする。

 残りの二冊は安田均のファンタジー世界の知識本である。
 この手のファンタジー知識本としては新紀元社のものが有名で、日本のファンタジーは新紀元社抜きには語れず、新紀元社の功績はとても大きい。
 しかし前も書いたけれど、新紀元社の本には致命的な欠点がある。それは出典がいまいち不明なところである。たしかに新紀元社の本には資料にしたおびただしい文献の名前が書かれているのだが、いったいどこをどの本から参考にしたのかまったく書いていないのだ。
 だから、ウィキペディアなどにも出典として新紀元社の本はしばしば挙げられているのだが、しかしウィキペディアとしては新紀元社の本はその上の出典にたどり着くことができない。新紀元社の本はすべて「要高次出典」で無効なのである。
 これも前書いたけれど、新紀元社の本には「前科」がある。つまり、日本のファンタジーではサー・ランスロットの剣はアロンダイトということになっているのだけれど、しかしその出典は新紀元社の本だけであり、他の欧米の書籍には見当たらず、新紀元社がいったいなにを参考にしてアロンダイトなどという剣を持ち出してきたのかわからないのである。
 ちなみにウィキペディアの一部の項目では、安田均のこのシリーズの本を出典にしているのだけれど、こちらの本は新紀元社の本よりも問題であり、どんな本を参考にしたかすら書いていない。どうも書いてある内容からすると、せいぜいがD&Dのゲーム設定にしか過ぎないのではないかと思える。
 しかしまあ出典などと偉そうにいったところで、例えば澁澤龍彦などは名前もあるしそれなりに信頼されているかのような出典元にも見えるけれど、澁澤の著作はすべて澁澤の浩瀚な知識を元にしたエッセイにすぎない。だいたい古代に遡ってみたらみたで、大プリニウスなどは澁澤に適当にいい加減なことばかり書いているとかいわれている有様だったりもする。


 と、まあ、何一つ内容にろくに触れない文章になってしまった。

 ロードス島戦記の元の世界も、安田均のコレクションシリーズにしても、まだファンタジー黎明期の指環物語であるとか、D&Dであるとかの空漠たる純粋な欧風ファンタジー世界の空気を表していて、そこが大好きだったのである。どうもこういう空気を吸って育ったからか、最近のラノベファンタジーは好きになれない。もちろん最近のラノベファンタジーでも作者たちは同じ空気を吸ってきたはずの人も多いはずなのだが。なんというか、世界全体が世界創生の胡散臭さを残していて、泥臭くて、生活臭があって、よいのである。
 これらの初期的な、伝統的欧風ファンタジー世界の色を残した、安田均のコレクションシリーズを元にロードス島戦記と共に作られたのがソード・ワールド無印なのである。どうも私のファンタジー想像力はやはりソード・ワールドの影響が大きいらしい。
 だからラノベ的なソード・ワールド2.0が大嫌いで、他にも原因はあってそれは前の記事で書いたけれど、ともかくソード・ワールド2.0が嫌いなのだけれど、しかしソード・ワールド無印をグループSNEはこの世から根絶するつもりのようで、すべての書籍が絶版となっているのである。


 まあ、ここでろくに内容に触れていないのは、そもそも今日届いたばかりでたいして読んでいないからなのであるが。
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