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ファンタジー世界の自律性 [ファンタジー世界考察]

 私は、よく、こういう言い方をする。つまり、もしこのファンタジー世界が、独立して自律した、確固とした存在であるのなら、という言い方である。そしてその後に続けるのが、甲のような世界の改変は乙のような結果をもたらすかもしれない、と。

 多くの人はこんなものは面倒くさいと思うのかもしれない。
 あるいは創作の立場から立つならば、そんな仮定は些末で無意味とも考えるかもしれない。

 実際に、創作という立場に立つならかなり意味のない想定であるとは思う。小説でも漫画でもゲームでもいいけれど、特に小説や漫画の場合、あとはJRPGもそうだけれど、その体験はリニアであり、そういった創作物にとって最も大切なのは読者に何かしらの感動や感嘆を抱かしむることにあるのだから、別にじゃがいもや紙、あるいは無神論や物質主義思想の存在とその世界の整合性など、考慮する必要はあまりない。
 つまるところ、読者を感動さえさせられるのならば、世界観がどれだけ滅茶苦茶で、こんな国があってもすぐに経済が崩壊するみたいな設定でも、そんなことは読者の涙の前にはどうでもいいことなのである。

 また一方で、CRPGは別の制約がある。つまり容量と開発能力の問題である。それこそ初代ドラゴンクエストなど考えてみればわかる。そこでは大幅な抽象化が行われていて、細かいことなど考えられていない。だいたい、地図には田畑の一枚もない。広い世界は分断されていて、城や街の間は怪物が跋扈していて、交易どころか交流可能かもあやしい。これは当然である。あんな貧弱なコンピューターとROMでどれだけまともに世界を描写できるというのか。だから小説化の際には、点在する街の間には街道があって宿場町もあったり、農村があったりと補足されており、勇者も移動は馬に頼っている。
 これは量的にどれだけ拡大しても完全に埋められる問題かどうか、未だに相当難しい。大手ゲームメーカーのベゼスタや任天堂は、エルダースクロールズシリーズやゼルダの伝説ブレスオブザワイルドなどで壮大なオープンワールドを展開させているが、別に本物の世界を再現しているわけではない。今の段階では、どれだけ本物っぽくごまかせるかというレベルではあり、それが高度かそうではないかの違いである。また逆にいうなら、実のところ本物の世界など完全に再現されても、退屈なだけであるという側面もある。フィールドを進めど進めど森と丘が続くばかりで、たまに貧しいだけの農村があるだけではゲームとして面白いか疑問である。
 ただオープンワールドは言葉だけ流行りすぎたけれど、それによって、なんでもオープンワールドにすればいい、みたいな風潮があったわけである。ところが、オープンワールドなどは、それこそベゼスタや任天堂のような超大手の開発力の高いメーカーではないと手が出せない。どれくらい敷居が高いかというと、コーエーテクモの開発能力でも手が出せない。コーエーテクモはオープンワールドブームに乗って三國無双とかいうゲームをオープンワールドにしたらしいが、散々な出来で、Steamではおま語していたこともあって、その評価は地に落ちている。傘下のガストもアトリエシリーズをオープンワールド化したつもりらしい作品を出したが、オープンワールドの猿真似に過ぎない残念なものであった。そもそもアトリエシリーズなんて初代から別に余計な進化が必要とも思えない。
 オープンワールドには他にも限界は色々ある。例えばAIである。結局、オープンワールドのNPCはあらかじめプログラミングされた行動をとっているだけであって、擬似的にその世界に生きているように見えるに過ぎない。この点で意欲的だったのが中つ国を舞台にしたオープンワールドゲーム、シャドウ・オブ・モルドールのネメシスシステムで、これは自動生成によってNPCの個性を決めて、更には彼らが、まだそこそこ単純ではあるとしても、独自の行動をとって、それらがプレイヤーの体験と重なるのである。
 TRPGというのは、はるか昔にCRPGによって擬似的にデジタルゲーム化されたとはいえ、TRPGの真の意味でのコンピュータゲーム化など技術的特異点の向こうにしか存在しない。普通のボードゲームならAIがプレイヤーを担当すればいいし、ルール判断はもっと簡単だ。そういったゲームがコンピューターシミュレーションゲームということになる。それでも敵AIはベテランプレイヤーの前には赤子に等しく、シミュレーションゲームでの高難易度というのは多量の資源などでのハンデによって成り立っている。しかしTRPGにはゲームマスターが必要だ。なにせTRPGのゲームマスターはただのルール審判ではない。物語をアドリブで作り出し、いざとなれば定められたルールを越える判断を迫られる。汎用AIでもなければゲームマスターは代替不可能だろう。

 私がとりわけ嫌いらしいのが、この不完全さが前提であるはずのCRPGの内部ルールを、事実として反転させ存在させているタイプの作品である。つまり、不完全さを前提としたCRPGの抽象化と妥協の産物が、現実を乗っ取ったタイプの作品である。つまり、アナログなはずの人間の世界なのに、不完全と妥協の産物たるデジタルなレベルや職業がデジタルな想像力で付与されているような作品である。ついでにいうなら、ファンタジーの伝統をぶった切ってファミコンのゲームをそのまま無理矢理現実のものとしたようなタイプの、要するに勇者だの魔王だのが云々という作品も嫌いであるようだ。
 なにが嫌いかというのは、おそらく、劣位にあるべき妥協の産物でしかない不完全なデジタルデータが優位にあるべき完全たるべきアナログ概念より優越しているからだろう。
 極論をいえば、私は戦闘や解錠などの最低限のダイスについての取り決めさえあれば、TRPGにだって数値化などいらないと考えすらする。


 最初の話に戻ろう。
 私はファンタジー世界もできるだけ自律的であるべきだと思っている。
 実際のところ、CRPGの制約はともかく、読者になにかしら感動なり感慨を与えられれば世界の設定など破綻していてもよいなどという作劇論は暴論であり、極論にすぎない。
 作劇においてはむしろ世界の設定を掘り下げるべきというのは正道の考えである。それは何故か。リアリティを重視するからである。例えば、これは世界の設定ですらないけれど、雨に降られたとして、どうなるか。濡れた、だけでは駄目なのである。服が濡れると寒いし、重い。そこまで描写されると読者は自分の雨に降られた体験と重ねることができる。つまり文章にリアリティを感じて作品に没入することができる。しかし例えば、例としてややおかしいかもしれないが、雨に降られたとしても服が濡れるだけで、寒くもならなければ服が重くもならないという世界の設定をしたとしたら、読者はリアリティを感じることはできず作品に没入できない。
 ただ近年の「ライトな(貶下的表現)」読者は雨が降って服が濡れればそれで満足するかのように思われなくもない。病院のICUだか無菌室だかで瀕死の男とセックスして子供を孕む作品があるくらいである。逆に私などはリアリティ気違いだから、自動車の窓ガラスが強化ガラスではない板ガラスなだけでもリアリティが崩壊するし、中世ヨーロッパ風ということになっていると思しいファンタジー世界で政府や中央銀行に価値を保証された貨幣が流通していてもげんなりする。

 ファンタジー世界で設定の矛盾を突こうというのはただのあら探しにも聞こえる。確かにあら探しにすぎないともいえる。しかしわずかなファンタジー世界のリアリティに欠けた設定でも作品のリアリティの欠如を招き、世界への没入を妨げるかもしれない。
 そしてファンタジー世界において、ファンタジー世界の自律性とリアリティは盾の両面でもある。経済でも政治体制でもリアリティのある設定なら自律性を持つだろうし、自律性のあるような設定ならリアリティを感じられるだろう。

 それと、これは前も書いたけれど、特にTRPGにおいて、ファンタジー世界はむしろ自律していないと困る。何故ならTRPGでは原則的にどんなシナリオでも展開可能でなければならないからだ。ファンタジー世界のTRPGで、シティアドベンチャー禁止TRPGとか経済シナリオ禁止TRPGとか貴族の関わるシナリオ禁止TRPGなど原則としてありえない。ゲームマスターはどんなシナリオでも考えうるし、そしてプレイヤーキャラクターの行動も原則的に完全に自由なのだ。どのようにシナリオが展開するのか決まっていないのがTRPGなのだ。つまらない護衛の仕事なのにプレイヤーキャラクターの活動次第でその世界の経済システムや統治機構に関わる話に展開する可能性はあるのである。原則として。だからその世界は、街の統治機構とか経済とか政治体制とかについて自律可能なように設定しないといけない。自律可能でなければゲームマスターは原則手をつけられない。
 もちろんゲームマスターは神なのであるから、すべてはゲームマスターの裁量でもあるけれど。


 最後に。私個人はそれでも必要以上にファンタジー世界の自律性、独立性を求めている。固執している。ファンタジー世界は完全に独立した存在として、自律してその世界が廻らなければならないという、もはや強迫観念に取り憑かれているといってもいい。
 何故か。私がファンタジー世界に関わる理由は、多分その最大の理由は、前から書いているように、現実逃避のためである。私のファンタジー世界は、精神の逃避先として、理念上実在可能でなければならない。これは精神の病である。私は完全に自律した完璧にその世界がその世界として存在しうる世界に暮らすことができなければならない。そういう強迫観念に取り憑かれている。
 この強迫観念ともいえるものが最も強かったのは高校の頃であったと思う。登校拒否をやっていた頃である。私は完全なまでに現実社会との接触方法がわからなくなっていたという時期であった。この頃の私は、完全に自律した自分のファンタジー世界が、しかも中世ヨーロッパ風世界として永遠に存続しなければならないという観念に取り憑かれていた。つまり自分のファンタジー世界において人民が革命を起こして王権を打倒したりして、時代が進歩することが許せなかったのである。私にとってファンタジー世界とは、永遠不変のユートピアでなければならなかったのだ。
 私が社会科学、特に世界史や社会学に興味を示したのは、本当のところ、この永遠不変のユートピアがファンタジー世界において現実的なものとするためにファンタジー世界を構築するためであった。

 今ではこの固執はそれなりに和らいでいる。いや、ファンタジー世界への逃亡への効率が悪くなっているのもある。高校の頃の私は、催眠術にかかるレベルで「あちらの世界」に「トランス」可能だったように思う。今ではそのような精神は退潮したのか、単にそれだけの精神力を保てないでいるのか、強迫観念というようなものは薄くなっている。

 「進歩的」で「幸福な」人々は、きっとこのようなファンタジー世界のあり方を否定するだろう。病的だと。しかしそれは正解である。何故なら私は病人だからである。病人の築いたファンタジー世界のあり方が病的になるのは当たり前である。
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ファンタジー世界の亜人 [ファンタジー世界考察]

亜人
 亜人とは、デミヒューマンとは、いってしまえば人間の亜種という意味であり、ファンタジー世界なのでこういった言い方は相応しくないが、生物学的に見ても異なる種族である存在である。それは人種とか民族といったような現実的な観念とは根本的に異なるとされている。ただしエルダースクロールズシリーズにおける種族はローマ=ラテン人風のインペリアルや北欧民族風のノルドといった民族に近いものと、エルフや猫人であるカジートや爬虫類人であるアルゴニアンをも包摂している。このゲームにおいては、民族の差異のようにも思えるものでも、インペリアルは社交的であるとか、ノルドは強壮頑健であるといった明確な特徴が付されており、それらがエルフやカジートやアルゴニアンと対等に並べられている。
 エルダースクロールズシリーズのことは措いておこう。
 一般的に亜人というのは、神話や伝承に登場する、準神や妖精を発祥とする。だからこういったものに例えば分子人類学的な視点、関心から切り込むのはやや無粋といえよう。ファンタジー世界における亜人とは、前提としては純粋に幻想的な存在なのだ。ファンタジー世界というのは、自然発生説の実在するような世界なのであり、そこに生物学を入り込ませても無駄である。逆に神話は神話でもアルフレート・ローゼンベルクみたいな神話など復活させるのも愚かしいけれど。
 いずれにせよ、元来の神話や伝承における亜人の原型となった存在は、準神、あるいは我々が現代的な語彙で想像するところの、妖精、フェアリー、そういったものに近く、共に世界の近縁で暮らす知的な生物という存在ではなかった。現代的なファンタジーの、共に世界で暮らす知性を有する人間に準じた生物、亜人という概念を完成させたのはJ.R.R.トールキンである。現在ファンタジーで知られる亜人、デミヒューマンの種類も、原型は神話や伝承にあるとはいえ、トールキンの発想が直接的な由来になったものが多い。
 色々述べたが、RPG的な意味で亜人を定義するなら、プレイアブルな種族という意味でだいたい合っている。幾つかの亜人、特に水棲の亜人についてはプレイアブルではないことが多いが。
 こういった「プレイアブルな亜人」のロールプレイには根本的な困難が幾らか存在するように思える。つまり、亜人は幾つかの典型的パーソナリティが設定されているのだが、それをどこまで個性として逸脱できるのかいまいちわからない。例えばエルフは誇り高く変化を嫌い、ドワーフは頑固である。ハーフリングはやたら陽気であり、オークなどは頭に血が上りやすい。変な話だが、こういった人格について心理学的にどのような解釈が可能なのかとも言える。亜人の多くは、上述のような特徴的なパーソナリティが、設定、やや言い方を変えると強制されているわけだが、どこまでそれがロールプレイを制限するのか。また、各個の亜人の中で個性による逸脱がどこまで許容されているのか。あるいは亜人というのはやたら個性のない無個性な集団なのか。その辺が、特にロールプレイをする上で、どう考えるべきなのか。いまいち明確ではないように思える。やや極論になるが、エルフやドワーフには精神病患者が存在するのか。そういう問題でもある。
 また、プレイアブルであり人間がそのパーソナリティを再現する以上、彼らはパーソナリティというレベルで恋愛感情を抱くことが可能になってしまうはずなのだが、実際には亜人の間で、セックスの可否はともかく、子孫を残せるのはエルフと人間の間、あるいはオークの場合だけとやや例外的な扱いである。逆にいうと、人間とエルフの間以外では恋愛感情を抱かないようにロールプレイをしなければならないわけだ。
 彼ら亜人の、ファンタジー世界における特徴の一つは、社会機構、政治的統治機構が欠如する傾向にあるというのがある。ドワーフはやや例外的なことがあるが。彼らはいわば原始共産制に近い社会であるとされることが多い。もし精神病が社会的な病であるのなら、確かに彼らには精神病患者は少なさそうである。


エルフ
 エルフの起源を求めるのならば、北欧神話に求めるべきだろう。北欧神話の彼らはアールヴと呼ばれていた。アールヴはアルビオンやアルビノと語源を同じくした。つまり「白色」が語源である。
 彼らは神にほど近い、神に準じた光の種族として登場している。北欧神話の神族であるアース神族やヴァン神族よりは明らかに格下であったが、神に準じた存在ではあった。あるいは北欧の一部の神話では古くは神であったのかもしれないが、アース神族やヴァン神族にその地位を追われたのかもしれない。
 彼らの姿は人間と同じようであり、より強力で優れていて美しいとされていた。ただし現代のファンタジーにおける亜人というよりは、神に準ずるもの、あるいは妖精、現代のイマジネーションでいうフェアリーの方がまだ幾らか近かった。それでも時代の下った他の妖精よりは現代のイマジネーションでいう亜人に近いとも思われる。
 この場合リョースアールヴ、光のエルフとも呼ばれる。それに対してデックアールヴこと闇のエルフや、スヴァルトアールヴこと黒いエルフと呼ばれるものたちもいた。デックアールヴは英語ならダークエルフとなる。しかし彼らは我々が知るところのドワーフ、ドヴェルグを指すのだともされており、いずれにせよ外見も内面もエルフとは大きく異なる。現代の一般的なファンタジーにおけるダークエルフとは大きく異なるものである。現代のそれは名前を借りただけに過ぎない。
 北欧神話のエルフが準神や妖精というには亜人と呼ぶに相応しそうに思える点として、エルフと人間の間に子供を作れるという点がある。ギリシア神話に見られるように神や他の準神もまた人間との間に子供を作るが。デンマーク王ヘルギはあるエルフを強姦し、それで生まれたのがスクルドである。このスクルドは恐らくヴァルキュリアの一人であり、ノルニルの三女であるスクルドのことかとも思われるが、ヴァルキュリアのスクルドとノルンのスクルドは別人という説もある。また、人間の女王とエルフの王との間に生まれたホグニというものもいた。エルフは美しいものであるとされていたため、そのエルフの血を継いだ人間も美しいとされていた。ある北欧神話の王国の王家はエルフの血を継いでいるため皆美しいとされていた。
 その後スカンディナヴィアでは、キリスト教の流入により、エルフのイメージも変化し、小さな美しい少女という、時としていたずらの好きな妖精という方向へと変わっていった。
 ドイツにおいては、エルフは人に害悪を及ぼす加害的な妖精として伝わっていった。悪夢の原因はエルフとされ、ドイツ語で悪夢を意味する言葉はエルフの夢という言葉になる。ニーベルンゲンの歌にあるドワーフの王アルベリッヒは、その名前もエルフの王という意味で、この名前はイギリスに伝わるとオベロンと変化した。
 ブリテン島におけるエルフは、当初は北欧神話と同じような美しい人間に近い存在で、古英語にはエルフの美という言葉もあった。しかし時代を経るに従い、いたずら好きの小さな妖精というイメージに変化していった。特にシェイクスピアはエルフを小柄な痩せこけたものとしてイメージし、あるいは虫のように小さな妖精とした。その結果ブリテン島におけるエルフはブリテン起源のフェアリーとほぼ同一のものとされてしまった。
 劃期が訪れたのは、J.R.R.トールキンの指環物語であった。トールキンの描いた中つ国のエルフは、北欧神話のリョースアールヴ、光のエルフを復活させたものであったといえよう。彼らは神に近い上等な存在で、背は人間よりやや高く、美しく、細身で、男女とも髭が生えない。知性も身体能力も人間より優れ、魔法の力に長け、そして不死の存在であった。
 なお日本のファンタジー黎明期のファンタジー解説書には、トールキンが人種差別苛烈な南アフリカ出身であったため、「理想の白人」像をエルフに託したのではなかろうかと、どこか否定的ニュアンスを込めて書いているものがある。これはやや妥当にも思える。もっとも、エルフは語源からして「白色」なのであるからそういう意味でも妥当なのかもしれないが。
 ついでながら、ウィキペディアの「エルフ(トールキン)」の項目は最初から最後まで専門用語ばかり並んだ、指環物語の読者以外には完全に何を書いているのかさっぱりわからないというかなりひどい記述になっている。ウィキペディアの品質を満たしていない気がとてもする。
 指環物語を「ゲーム化」したともいえるD&Dでもエルフの存在は受け継がれている。しかし指環物語そのままの設定ではエルフが強すぎる存在となってしまうため、成長速度が非常に遅いなどペナルティが加えられている。
 D&Dに並ぶ古典的TRPGであるルーンクエストのエルフはこういった神話的エルフやトールキン的エルフとも異なり、植物の一種といえる扱いとなっている。見た目も植物であり、「麗しい」といえるかどうか怪しい怪物的ともいえるものである。
 外見についてだけ言及するが、エルダースクロールズシリーズにおけるエルフは、ハイエルフ、ウッドエルフ、ダークエルフに相当するエルフが登場するが、どうキャラメイクを頑張っても妙に癖があって変な顔になってしまうので美形にはならない。
 ファンタジー世界、いわゆる現代的な創作でのファンタジー世界におけるエルフの典型は、指環物語並びにそれを受け継いだD&Dの流れを受け継いでいると思われる。特に日本のファンタジー世界におけるエルフのイマジネーションの確立に決定的な役割を果たしたと思えるのが、ロードス島戦記のヒロインであるディードリットである。日本のファンタジーにおけるエルフはやたら耳が細長く尖っている傾向があるが、それはディードリットのせいである。ただこれは、アメリカの映画「ダーククリスタル」に影響されたのだそうだ。
 しかし、ロードス島戦記のディードリットもエルフの中でも高等なハイエルフとされていたが、指環物語に見られるようにあまりにエルフを理想的な種族として作ってしまうと、RPGのプレイアブルキャラクターとしては問題が発生する。つまりゲームバランスが壊れる。というわけで古典的CRPGであるウィザードリィでは知力や精神力に優れているが体力や筋力に劣る存在と設定されている。ロードス島戦記と世界観を同じくしているTRPGであった故ソードワールド無印でも、エルフは知力や精神力、敏捷性などに優れているが体力や筋力に劣る存在となっていた。
 エルフに対してより高度なエルフ、時として神代から存在するものをハイエルフとして分けることも多い。ディードリットの場合は神代からの生き残りである特異な個体だが、エルダースクロールズシリーズのはより原初のそれに近い種族ということになる。
 ちなみにウォーハンマーには海エルフという種族も存在しており、彼らは世界を股にかけた海運交易を行っている。
 エルフは北欧神話の時代から、そしてトールキンの神話の中でも人間との間に子供を作れるとなっていた。これは他の亜人にはあまり見られない特徴となっている。これについてはハーフエルフとして別に項目を立てたい。
 近代的ファンタジー世界のエルフの生活基盤、社会体系は理想化されてごまかされているので、現実的にどうであるのかいまいちよくわからなく思える。自然と共に生きるという理想主義が掲げられており、いずれにせよ本来森林地帯で生活しているのだとされている。なので人間界に出てきて冒険者などを志すエルフはエルフ社会の中では特異な存在であり、時としてはエルフ社会の中でも異端者として疎まれたりすらされている。またエルフは神に近いということで誇り高いともされているが、裏を返せば高慢であるということでもあり、人間にとってもそれほど高慢なエルフは歓迎されているわけでもない。北欧神話で光のエルフに対してドワーフであるところの闇のエルフ、黒いエルフとして対立していた影響からか、ドワーフと仲が悪いことになっている。エルフは土で薄汚れたドワーフを軽蔑しており、ドワーフはお高くとまって偉そうなエルフが気に食わない。
 上の記述だとエルフはエコロジカルな理想主義的思想を持っているように思えるが、しかし実際には神代からの自然崇拝を守っているだけであり、パーソナリティとしては変化を嫌う保守主義者である。エルフの寿命は無限、あるいは数百年ともされているが、その間ずっと変化を嫌うというほどに保守主義的である。神に近い存在であるとかいった誇りを守り、百年単位で現在の生活の変化を嫌う、いわば退屈な種族がエルフである。
 人間界に進出した「変わり者の」エルフはさて措くとしても、エルフの生活、経済、特に食糧生産がどうなっているのか疑問である。森と共に生きるために森を開削してはいけないということなので、どうやら狩猟採集生活を送っているらしいのだが、その生産力で彼らのプライドを保てるような生活水準を果たして維持できているのだろうかと思ってしまう。だから見方を変えるのなら、エルフが生活をしているような森は、あるいはなんらかの超自然的加護があり、一般の森林とは異なった生産力のある豊かさを維持している特別な森なのであろう。そうでもなければ、彼らの高慢さを保てるようなレベルの生産性など維持できないだろう。
 ただこれだけ神に近い存在とされて超自然的加護もあるらしいのに、ソードワールドなど見ると神への具体的な信仰は行っていないのである。だからエルフはプリーストになれないとされている。どうやらより原始的な自然崇拝に近い信仰を持っているらしいのだが、神との関係は複雑な経緯があるような設定も多いようだ。
 エルフの社会組織は、どうやら部族社会レベルであるようである。平和的な種族とされており、また平等主義的でもあるため、ある程度民主的な統治が行われているらしい。部族共和制といえる統治体系が多そうだ。一部のファンタジー世界では国家組織を持つこともあるが、そういった場合でもイロコイ連邦のような民主的な連合体をイメージされやすいように思える。少なくとも専制国家はエルフには似合わなさそうに思える。
 エルフはプライドが高いとされているが、これは一般的な人間にとっては高慢だと映るであろう。なので一般的な人間にとってエルフは人気はないわけである。ところで先日売春について書いた時に、エルフの娼婦の存在について触れた。恐らく日本の古典的なTRPGゲーマー、それこそ山本弘や水野良や清松みゆきに聞いたら、エルフは誇り高い種族だから娼婦になんかならない、と答えるだろうと私は勝手に決めつけている。しかしエルフだって困窮すればプライドよりは生活、つまり娼婦になる道を選ぶのではなかろうか。自殺なんてそうそう簡単にできない。それともエルフは自殺しやすいパーソナリティでも持っているのであろうか。
 さて。ちょっと余談になった。
 エルフは魔法に長けていることになっている。一方でエルフたちは森の中で「模範的な」狩猟採集生活を送っているらしいことになっている。とはいえ鹿や猪を狩るのに魔法を使っていることにはあまりなっていないらしく、エルフは狩猟の道具として扱うために弓の名手ということにされていることも多い。しかしエルフは上記のようにゲームバランス調整のために非力ということにもなっている。ところが弓というのは膂力がないと扱えるものではない。弓を引くには相当な筋力がいる。なのでもしエルフが弓の名手なのなら非力であることはありえないし、もしエルフが非力なのなら弓を引くのに必要な膂力はないはずで弓の名手にはなりえない。恐らくエルフの森にいる動物たちはへろへろな矢でも狩られてしまうような動物なのだろう。
 またエルフは非力なので剣はレイピアを使うとかいうロードス島戦記のディードリットの設定があるが、これも、そもそもレイピアは中世ヨーロッパには存在しないとか、そもそも誰に対して使うためにレイピアで武装しているのか謎というのもある。動物相手に、狩猟のためにつかっているというのも妙だし、エルフは「高等な種族」だからエルフ同士では争わないらしいことになっているのだ。かといって人間に対しては、レイピアは鎧を着ていない相手が前提なのだからこれもまたおかしい。
 また、ちょっとエルフの生産力について書くが、エルフとはいえ、エルフは鉄を嫌うような記述も例えばソードワールドにはあるけれど、エルフとはいえ金属製品のまったくない生活は考えられるのか疑問である。しかしエルフの鉱夫など存在しそうにもない。この場合人間との交易によって金属製品を調達しているのかもしれないが、これだと完全な自給自足といえなくなる。

ドワーフ
 古くはドヴェルグと呼ばれ、現代のドイツ語ではツヴェルクと呼ばれる。伝統的な日本語訳では小人、矮人、侏儒とされた。そしてエルフの項目で述べたとおり、神話の時代にはダークエルフあるいはブラックエルフとも呼ばれてきた。
 北欧神話では元は原初の巨人ユミルの死骸、つまり大地に湧いた蛆虫みたいなものだったが、神々の決定によって知性のある亜人となった。大地と深く繋がった存在であり、地中に住み、岩穴で暮らす。太陽の光を浴びると石化して弾け飛ぶともいわれた。地中に住むということで、鉱業と鍛冶と結びつく。彼らは鍛冶の匠であり、魔力をもった武器やアーティファクトを次々と生み出した。ある時は神々の求めによって作り出し、またある時は神々に脅迫されて作り出した。オーディンの槍であるグングニールもドワーフが作った。女神フレイヤは魔術的な魅了の力を持つ首飾りブリーシンガメンを作らせるために、ドワーフたちの求めに応じて彼らとセックスした。フレイヤはセックス大好きな女神なので別に相手がドワーフでもなんとも思っていなさそうである。また、魔剣ティルヴィングはオーディンの血縁である人間の王がドワーフを脅迫して作らせたが、ドワーフはティルヴィングに呪いをかけたためその王をはじめティルヴィングを手にしたものたちは次々と死んでいった。
 ゲルマン神話だとドワーフの王とえいばアルベリッヒがいる。上述の通りアルベリッヒとはエルフの王といったような意味である。ゲルマン神話を元にしたリヒャルト・ヴァーグナの楽劇ニーベルングの指環だと、彼はラインの黄金を奪い、その黄金から世界を支配する魔力を持つ指環を作った。指環はオーディンの奸計により奪われ、その際にアルベリッヒは呪いをかけた。最終的にその呪いによって神々は滅亡する、神々の黄昏である。
 このようにドワーフは、単純な神の協力者などではなく、むしろ時として反抗的なことすらあった。完全に邪悪とまでされないようだが、善の存在だとは見做されていない。
 その後、神話の時代が終わると、ドワーフも零落し、手先の器用な小人の妖精というような存在になっていった。白雪姫に登場する七人の小人はドワーフである。また、例えば靴屋が寝ている間に小人、ドワーフが勝手に靴を作ってしまうというような伝承もできた。
 このドワーフを亜人として再定義したのがやはりトールキンであった。トールキンのドワーフは神話や伝承よりは大き目のサイズである。男も女も髭をたくわえている。植物も動物も好きではないから農耕もしないし乗馬もしない。鍛冶と石工の匠であり、特にミスリルの加工で有名である。ホビットとはまだましな関係だがエルフとは反目していて毛嫌いしている。エルフもミスリルが好きだけれどどのように融通しているのであろうか。
 トールキン以降のファンタジーにおけるドワーフはだいたいトールキンのそれを踏襲している。背は120〜140cm程度のずんぐりした屈強な身体を持っている。髭をたくわえるが、トールキン以降では女は髭がないとすることも多い。酒飲みで粗暴だけれど職人として手先が器用で繊細な工芸品を作りもする。生まれながらの鉱夫であり、あるいは石工であり、鍛冶に優れ、素晴らしい武具を作る。ただ、魔法の武具やアーティファクトをほいほいプレイアブルキャラクターのドワーフに作られるとバランス崩壊するので、そういった技術は失われたとされることもあり、現行のドワーフはせいぜいが優れたという範囲内の武具を作るのみだ。
 頑健屈強な体躯を持つため、プレイアブルキャラクターとしては戦士の才に優れている。鍛冶のイメージからかその得物はしばしば斧やハンマーが選ばれる。工芸の才能は工業の技術とも結びつけられ、弩を好んだり、世界観によっては銃火器のような機械的武器を扱うこともある。
 攻城兵器であるバリスタやカタパルト、トレビュシェットの扱いも得意そうである。もっとも冒険をする上でトレビュシェットに関わる機会はそう多くもなさそうだが。ドワーフ傭兵隊というのが攻城戦あるいは防禦戦専門の工兵として雇われたりもしそうだ。ドワーフは高慢なエルフなどよりは人間との関わりも強いし、後述するがドワーフは人間との繋がりが他の亜人以上に強いと思われる。攻城戦においては、トレビュシェットのような機械も目立つが、それ以上に坑道がドワーフの出番として想定しやすい。つまり城壁の下に坑道を掘り、空洞を作って城壁を崩したり、城塞内に侵入する。火薬があれば火薬を詰めて城壁の下で爆破する。地雷をmineというが、元来はこの坑道、つまりmineのことであった。
 またどうもドワーフはエルフと違って人間のように神への信仰を行うらしい。知力は低いが精神力が高くその点でプリーストに向いているなどとされる。
 酒飲みと書いたが、とにかく大酒飲みで、好む酒はエールとされておりワインのイメージがない。性格も豪放磊落でなおかつ職業気質で頑固者とされている。誇り高いことは変わらないにしても、エルフのような嫌味は感じられない。ちなみにドワーフはエルフを高慢ちきと思っているので大嫌いである。
 ところでドワーフはエールが好きなわけだが、そのエールはどのように供給されているのであろうか。ドワーフは立派な醸造用設備は作っていそうである。しかしエールの原材料は麦とハーブである。ドワーフは農耕を行わない。これはエールに限った話ではない。一般的なファンタジー世界のドワーフは別に岩や石を食べているわけではない。ちゃんとパンやら肉を食べている。
 つまりドワーフの経済というのは、単独では完全に成り立たない可能性があるのだ。農耕民族、つまり人間と交易を行わなければ食料の調達が不可能なのである。一応自給自足ということになっているエルフと違い、ドワーフは人間なしには生きられない。
 だからファンタジー世界の神話の中でも、ドワーフは比較的新しい種族でないといけなさそうにも思える。誰かしら農作物を交易する相手がいなければ経済どころか生活が成り立たない。
 このように鉱工業への従事やそれに伴う集団生活、交易の必要性などから考えると、ある程度ドワーフという種族は社会性が発達しているものと思われる。人間の国家という程になるかどうかは作品次第だが、社会機構が他の亜人と比べて発達している。ウォーハンマーなどの作品だとドワーフはかなり発達した統治機構を有しているようである。エルフと比べると幾らか専制主義的になるようで、少なくとも君主制であることは多いようだ。
 ドワーフには煙草を好むイメージもある。前に嗜好品のことを書いた時に言及したけれど、ドワーフは坑道や採石場で肉体労働をしつつ、煙草、それもパイプでの喫煙に限らず噛み煙草や、あるいは現在でも東南アジア諸国で好まれているようなガム状の噛むタイプの嗜好品を好んでいそうに思える。煙草は当然アメリカ原産なので中世ヨーロッパには存在しなかったが、こういった嗜好品は存在しても問題なさそうである。
 なお、伝統的な日本語訳が小人、矮人、侏儒などとされていることからわかるように、ドワーフという単語には蔑視的な意味合いもある。つまり、現実世界に存在する、遺伝上の理由など先天的問題で短躯の人物もドワーフと呼ぶ。また、冥王星の惑星降格論争で新たに定義された準惑星も、英語ではドワーフ・プラネットという。この場合は矮小な惑星といったニュアンスになる。

ホビットなど
 ホビットは、J.R.R.トールキンが完全に創作した亜人である。彼らは身長が60~120cm程度で、足の裏の皮が厚く、毛も生えているので靴を履かない。
 農耕に基盤をおいた社会生活をしているらしいが、人間の農耕民族とは異なって、牧歌的な、平和な暮らしをしている。特にエールと食事を楽しむことが大好きであるという。また彼らは煙草を好み、煙草農園も経営している。
 エルフが高貴でエコロジカルな白人の理想像だとしたら、ホビットはイングランドの田園における牧歌的理想像である。明らかなまでにトールキンのホビットはイングランドの牧歌的田園生活の理想の集約である。
 得意武器は投石や弓らしい。
 トールキン以降、指環物語を「ゲーム化」したD&Dをはじめ、ファンタジー世界において彼らの存在は定番とはなったものの、彼らの名前であるホビットは版権上の理由のため他の作品に登場できない。そのためD&Dではハーフリングと呼ばれ、故ソードワールド無印ではグラスランナーと呼ばれる。他の作品でもそれぞれ異なる名前で呼ばれるが、ウォーハンマーのようにハーフリングという呼称が踏襲されることもある。
 彼らは短躯ではあるが、身のこなしは素早く、手先も器用であり、陽気で運にも恵まれているとされている。その特性上、シーフやスカウト、レンジャーなどという職業と相性が抜群にいいわけである。
 他の多くの亜人と同様に神を信仰していない。そもそもが陽気で現世主義的なので、彼らは信仰心という発想すらないようである。
 故ソードワールド無印のグラスランナーなどは、草原で牧歌的な生活を送っているらしいのだが、少なくとも組織的には農耕に従事している様子が見えず、どういう経済生活をしているのか謎である。そもそも家族単位で生活しており、集まって社会的生活を送ったりはしない。そしてその好奇心の高さからしばしば人間社会に飛び込んで、シーフなどとして、あるいは冒険者のシーフとして生活する。故ソードワールド無印のグラスランナーはほとんどが人間社会の中で放浪生活を送る。ここまで人間と密接な亜人は他にいなさそうに思える。
 ウォーハンマーにおいてもハーフリングの多くはその好奇心のために人間社会に飛び込んで、多くは盗賊になるとされている。

ハーフエルフ
 エルフと人間の混血がハーフエルフである。ハーフエルフ自体は北欧神話にも登場するが、ハーフエルフという呼称は最近のものであるのだろう。亜人は人間と異なるから混血もないはずということにもなるが、ハーフエルフは神話にも由来があるため、ファンタジー世界でもメジャーな地位を与えられることになった。トールキンの世界でもエルフと人間は混血するという設定を与えられたのだ。
 北欧神話にあってもそうだったが、エルフの血を継いでいるということでエルフの美貌を受け継いでいることになっている。ゲーム上の煩雑さを避けるためか故ソードワールド無印では、エルフと人間の間にはハーフエルフが存在するだけで、クオーターというのは存在しないことになっている。その場合でもエルフの血が混入した場合、つまりハーフエルフと人間との間の子供やその子孫は美貌になるのかは特に設定がなかった気もする。
 ドラゴンランスシリーズのハーフエルフは、人間の種族によるエルフ種族への強姦によって生まれたとされ、望まれない種族となっている。ドラゴンランスシリーズでもクオーターのエルフは存在しない。というか多分ドラゴンランスの方がソードワールドに先行しているだろう。
 故ソードワールド無印のハーフエルフの話を続けてみたい。ソードワールドでもハーフエルフと人間とのクオーターは存在しないが、この場合子孫の中には隔世遺伝で、人間同士の結婚にもかかわらずハーフエルフが生まれることがあり、これをチェンジリング、取り替え子と呼んで忌み嫌う。これの元になったのは、ブリテン島などのエルフに関する、同じくチェンジリングと呼ばれた行為に基づいたものである。ブリテン島のエルフたちはしばしば赤ん坊を誘拐して代わりにエルフの幼児を置いていくといわれ、これをチェンジリングと呼び忌み嫌った。
 また、ソードワールドではドラゴンランスシリーズの他のハーフエルフ設定も受け継いでる。一つにはゲームバランス調整のためエルフは非力になってしまっているためでもあるが、またエルフは美貌であるため、女エルフが人間の男性の強姦の対象とされてしまう。この場合もハーフエルフが生まれることになる。女エルフを強姦してハーフエルフが生まれるというのは北欧神話にもあるわけだが、ソードワールドのエルフは筋力体力が低いため、北欧神話と比べると強姦の対象にされやすくなってしまっている。
 このようにハーフエルフは望まれない子供であることがしばしばある。チェンジリングは人間社会にあって望まれないハーフエルフであり、女エルフが強姦された場合はエルフ社会において望まれないハーフエルフとなる。また、このようなものではない、例えば自由恋愛の結果による、両親に望まれたハーフエルフの子供であっても、人間社会とエルフ社会は互いに無節操に友好的なわけではない。人間はエルフを高慢と疎み、エルフは人間を野蛮と蔑む。なのでハーフエルフの境遇は恵まれないことが多いというのが、故ソードワールド無印ではかなり定番であったし、ドラゴンランスなどでは明らかにハーフエルフは恵まれた存在とは設定されなかった。
 この故ソードワールド無印でのハーフエルフ観は割と妥当に思える。能力バランスもよく容貌も優れ、なおかつ悲劇感を持たせた背景設定を作りやすいハーフエルフには一定の人気があったが、混血という概念が政治的に面倒くさく思われたのか、女エルフの強姦というのが反フェミニズム的とでも思われたのか、ハーフエルフの存在はソードワールド2.0では抹殺された。

オーク
 オークという亜人もまた、トールキンによる創設の度合いが強いが、元ネタがなかったわけではない。
 いや、元来のオークはトールキンとは別個に存在しており、大プリニウスの博物誌にも記載がある、海に棲む怪物であった。ただこれはオルカ、つまりシャチのことである。このオークはシャルルマーニュやローランの叙事詩にも登場し、そこでは豚あるいは猪のような頭に、鱗に覆われた身体を持った巨大な怪物であった。
 トールキンが創設したオークは、その語源は古代ローマの冥府の王オルクスに由来する。正確には、ベオウルフに出てくる化物グレンデルの種族であるオーク=ナスからトールキンは名前を拝借したのだが、このオーク=ナスのオークが古代ローマの冥府の王オルクスに由来し、オルクスの死人という意味である。
 トールキンの創設したオークは、エルフが長い間監禁拷問された挙げ句堕落した存在である。その姿は一般的なファンタジーではゴブリンと呼ばれているものにも近く、実際一部の作中で彼らをゴブリンと呼んでいるのだけれど、トールキンによればゴブリンとはオークの英訳であるのである。このオークは元がエルフだったからというのもあるのか、人間との間に子供を作ることができ、ハーフオークが生まれる。いずれにせよトールキンのオークは凶暴で破壊を好み、知性は失われ惨めな生活レベルとなっている。ただ繁殖力だけは極端に強いとされている。長い間監禁されていたので、肌の色も薄汚い灰色になっている。
 しかしトールキン以降のファンタジーではやはりオークとゴブリンとは区別されることになった。区別されたオークの容貌は幾らかの種類があるが、主要なものは、豚顔や、緑肌、灰色肌で、とにかく醜いとされている。多くの場合凶悪凶暴な性格で、あくまで敵種族として存在することが多いが、D&Dではプレイアブルであり、その場合ハーフオークとしてのプレイを推奨されている。エルダースクロールズシリーズでは、野蛮で粗野だが通常の知性や社会性も有している。
 世界観にもよるが、あまり理知的ではないような場合でも、ある程度社会性を有しており、上下関係に厳しい社会などを築いているようである。彼らの王国を築いていることもしばしばである。無論というべきか、彼らの王国は実力主義的な専制主義である。多くの場合徒党というよりは軍団と呼べるような規模の組織で人間などを襲い、略奪を働く。経済生活はいまいちわからないが、繁殖力の強い彼らの大規模な集団が略奪だけで維持できるとも思えないので、奴隷に農耕でもさせているのかもしれない。ウォーハンマーの彼らは菌類みたいなものなのでそういう必要はないのだが。
 一応そこそこの理性を持っているため、彼らとの交渉や共闘なども可能である。プレイアブルキャラクターとして登場するエルダースクロールズシリーズには人間たちの社会に溶け込んでおり、別に彼らが特別凶暴とかいうこともない。
 トールキン以降のオークのかなりの割合が豚顔になったのは、シャルルマーニュ叙事詩の影響なのか、あるいはアイルランド語でorcが豚を意味するからなのか、また豚飼いがかつて魔術的な地位があったものの零落した姿かなどといわれているが、よくわからない。日本ではドラゴンクエストのオークたちが豚顔だった影響か、豚人間としてのオークは割と強いイメージとなっている。
 近年の日本の、特に二次元的ファンタジーの発想だと、異常に繁殖力が強いというのは旺盛な性欲を持っているということであり、人間との間に子供を作ることもでき、しかも醜いというわけで、女性を陵辱する役回りをあてられることが多い。特に最近の二次元の、萌え文脈でのファンタジー系陵辱作品では陵辱役として大抜擢されている。まあ私はかなり以前に、豚人間としてのオークが陵辱役のエロコンテンツは多いけれど、彼らのペニスは人間型なのか豚型なのかでエロの内容が大きく変わってくる、などと書いたことがある。そもそもオーク同士の交尾を考えると豚型ペニスだとやりにくそうな気もしてしまうのだが、これについてゲームなどで設定されているのを見たことはない。エルダースクロールズのMODで全裸にすると人間型の陰茎がついているが。

ダークエルフ
 ダークエルフは恐らく近年の発想によるものだと思う。嚆矢となったのはやはりトールキン作品に現れる暗闇のエルフである。とはいえ元はといえば、北欧神話で光のエルフに対峙して闇のエルフというものが存在した。そこでそれをダークエルフという形で近年になってから作ったのだろう。しかし北欧神話の闇のエルフとは上述の通りドワーフのことである。それに対して闇のエルフ、闇に堕したエルフというものとして作られたのがダークエルフのことである。
 一般的にダークエルフは、上に書いたようにエルフが闇の側面に堕した存在、光の神への所属を離れて闇の神へ所属した結果などともされる。トールキンのオークもエルフが堕落したものだが関係はない。一般的なファンタジーのダークエルフは、エルフに似たような容姿だが、ただし皮膚は闇の眷属に相応しい色に変化している。暗青色だったりすることも多いと思うが、近年の特にライトなファンタジーでは褐色のダークエルフも見られる。有り体に言って褐色肌のダークエルフはエロティックな妄想に繋げやすいためライトなファンタジーとの親和性が高い。というより、暗青色だとエロティックにならないため褐色肌になったのかと思う。
 闇の眷属とされており、悪の神を崇拝し、邪悪であるとされているが、他の凶暴なだけの妖魔たちと違って理知的である。陰謀を巡らせるのが好きであり、奸計を好み、恐らく表立って戦うよりは下等な妖魔、ゴブリンやオークたちをけしかけるのを好むようだが、自らの戦闘能力が劣っているわけでもない。エルフと同じように魔法の力に長けている。闇の神の加護もある。
 世界観にもよるが、エルフと同じように森を住処としていることも多いらしい。社会生活は不明だが、エルフと比べて略奪が収入源に加わるだろう。理知的であり、ある程度の社会性を有する。命令系統を有した組織を作り、更にその下にゴブリンなどを指揮して、闇の神の先遣隊として活動する。ただ彼らは絶対的な人口の少なさもあり、大体的な規模で活動しないようである。どうもエルフもダークエルフも絶対的人口や繁殖力が他の種族より劣るようだ。政治体制はエルフと同じく部族社会レベルではあるが、エルフと違って専制的傾向にあるだろう。
 他の凶暴な妖魔たちと違って、理知的であり、特に彼らは計算高いため、利害が合致すれば人間とも協力する。ゲームによってはプレイアブルなキャラクターとして選択できる。エルダースクロールズシリーズなどがそうである。彼らは人間社会の中で暮らしてはいるが、それでも胡散臭い連中だとは思われており、それなりに偏見を持たれながら暮らしている。

人魚、半魚人
 英語だとマーフォークといい、男はマーマン、若い女はマーメイドと呼ぶ。マーメイドは美貌とされることが多く、多くの伝承の題材となった。一方で男はあまり目立たないか、醜いとすらされる。
 その姿は有名である。上半身が人間で下半身が魚である。スターバックスコーヒーのエンブレムも人魚だが、古典的な人魚であり、尾鰭が二つに分かれている。明らかに陸上での行動には問題があるだろう。それもあってゲームではプレイアブルではないことがほとんどだ。
 ただ中には、人間に似た姿で、全身に鱗があり、腕や脚に鰭のついた存在もある。日本では彼らはたいてい半魚人と呼ばれる。これに限ってマーマンと呼ぶことも多いらしい。中世ヨーロッパでは海の司教と呼ばれる半魚人の怪物が有名だが、これはカトリック教会の堕落への風刺である。
 人魚には似たような水棲の亜人が多くいる。アイルランドのメロウは、女は美しく、男は醜い。女メロウは人間の男との間に子供を作れる。ハーフメロウは脚に鱗があったり、指の間に水掻きがあったりする。美声で知られるローレライも人魚の一種ともされることがある。セイレーンも同じ水棲の亜人だが人魚ではない。マイナーなところでは、スコットランドにローンやセルキーという水棲の亜人がいるが、彼らも人魚ではなく、アザラシの皮をかぶってアザラシに混じって活動している。ノルウェーにはハルフゥという人魚がいて、女のハルフゥは凶兆であるけれども、男は人間に友好的である。
 ソードワールドでは、マーマンは海の中で部族社会を営んでいる。
 オルカ=シャチは海の怪物だと思われていたが、イルカも海の怪物と思われており、中世ヨーロッパの博物誌には彼らの版画などが載っているが、のっぺらぼうの顔をして、肩や胸に目や口のある人魚の姿をしている。
 なお、日本には人魚のミイラというのがあるが、あれは鯉の死体と猿の死体を縫合したもので、中国向けの漢方薬やヨーロッパ向けのお土産物として作られたものである。日本のこのインチキミイラは日本からの輸出品としてマイナーながら江戸時代まで独自の地位があったようだ。

鳥人、有翼人
 翼のある人類というファンタスティックな姿を想像しやすいが、神話などの伝統では鳥に人間の頭や身体がくっついた存在である。
 ギリシア神話には幾つかの鳥人が存在する。一つはセイレーンである。彼女らは美声で知られ、英語ではサイレンと呼ぶ。災害の時に鳴らすサイレンはこのサイレンである。彼女らはその歌声で船乗りを惑わし、船を難破させる。その姿は、海鳥に人間の頭がくっつき、乳房を持っているという、現代の感覚では美しくもないやや間抜けにも見える姿である。
 ギリシア神話の有名な鳥人にハルピュイアがある。これは女の顔と身体に、翼と鷲のような脚がついたものであり、凶暴で不潔で淫猥な生物である。
 どちらも何故かすべて女、というよりは雌であり、対話可能な知性など持ち合わせていない、邪悪な怪獣である。
 翼がある人類という意味で、よりファンタスティックなのは、むしろギリシア神話のクピドや、キリスト教の天使だろう。ただ彼らはクピドや天使という固有のイメージが強すぎるからか、少なくとも亜人という形でファンタジー世界に登場する機会がやや少ない。神話として天使が存在するなら天使が登場するファンタジー世界もある。ソードワールドでは翼がある人間の姿をしたフェザーフォルクという妖精がいた。他のファンタジーでも天使族みたいな存在があったりもするが、彼らはそこまで神の御使いをやってもいないみたいに見える。日本人好みのファンタスティックな想像力に合致するので登場機会は多そうなのだが、そこまで見かけないように思える。しかし骨格的にあの翼で飛翔することは物理学的に不可能なこと間違いないので、おそらくは風の精霊に働きかけるなど超自然的法則で飛翔しているのであろう。こういうところに下手に生物学的解釈などしようとしたら惨めな結果になりかねない。実際、最近流行しているような、現代社会に天使族的なものを登場させようとさせた作品があったとしても、翼の存在についてはお茶を濁したような理由しか与えられない。
 現代社会に無理矢理亜人の存在を接続させようとする作品は散見されるが、下手な生物学的、現代科学的解釈は、ぼんやりとした失敗に終わるのがせいぜいである。量子力学まで持ち出して何かしら現代科学に適合させようとしているらしいのだが、何が面白いのか理解できなかった。それとも生物学の知見を有しているような理系の人間はああいうのを見て面白いのであろうか。

ケンタウロス
 ギリシア神話の有名な亜人である。半人半馬の見た目を改めて解説する必要もなかろう。
 彼らは山がちな地形のため騎乗の文化のないギリシア人が、蛮族が騎馬に乗っているのを見て驚いて発想されたなどともいわれている。もっとも、この見解はただの俗説視されているようだが。
 一般的なケンタウロスは野蛮で粗野なのだが、ただ唯一ケイロンだけは賢者であり、神々から様々な知恵を授かった。そして様々な英雄を養育し鍛錬しあるいは知恵を授けた。
 ちなみにケイロンが半人半馬なのはクロノスが妻の目を誤魔化すために馬に変身して浮気相手と交わったからであるが、ギリシア神話の半人半獣はそういった理由で生まれたものが多い。しかしそれにしてもギリシア人は獣姦が多い。神話故にタブーが少ないし獣姦自体は他の神話にもあるとはいえ驚くほど件数が多い。
 ケンタウロスには女性形のケンタウレという言葉もあるが、女のケンタウロスはほぼ知られていない。
 神話上の知名度にも関わらず、巨大な体躯を考慮しても、伝統的に女が存在しないのがイメージ上の問題だったのか、人間社会との接続困難と見られたのか、プレイアブルな存在になることもない。もちろん登場はするが。
 現代日本みたいな世界を舞台とした女ケンタウロスの漫画もあるが、アニメを見たら人権ディストピアだった。シリアスな前提で見るならまだよかったのかもしれないが、日常まったり系と誤認した上で吐き気のするようなディストピアだったので気持ち悪くなった。

獣人
 多くの場合獣の顔をした、毛皮を有する亜人。私は知識も関心もいまいち薄いのであまり語ることはないが。
 獣人は神話時代からポピュラーな亜人だといえる。特に獣人を愛したのが古代エジプト人であり、彼らの神の多くは獣人である。アヌビス、バステト、トートなど数多い。
 また、大プリニウスの博物誌にもあったのかと思うが、中世ヨーロッパの博物誌では東アジアのステップ地帯の果には犬頭の人間キュノケファロスが住んでいると本当に思われておた。アレクサンドロス大王の遠征の際には案内役をしたとかいう話があった気もするし(アレクサンドロスの件は記憶が曖昧である)、聖アウグスティヌスも、キュノケファロスは神の被造物だから神の福音を受けられるなどと書いていたはずである。あるいは洗礼者ヨハネも彼らに洗礼を授けたなどというエピソードもあった気がする。
 もう一つの流れとして、ゲルマンなどの北方の伝承に狼男といったライカンスロープという存在がある。これは特に北ヨーロッパの人間にとって恐怖の存在であった。いわゆる「気違い」、日本の伝統でいう狐憑きは狼男化、ライカンスロウピィとして恐れられた。これは中世ヨーロッパにしばしば見られた麦角菌中毒による症状なのだともされており、これが女性に見られた場合は悪魔憑きの魔女と見做された。
 またこれにちなんだ人狼刑というのも存在した。ドイツでは刑罰として、人狼と宣告されると、一切の法的保護を剥奪された。由来としては帝国アハト刑と同じであり、この法的保護の剥奪はマルティン・ルッターにも科された。古代ローマにも法的保護の剥奪刑はあったが、ゲルマンとラテンでは由来が異なるのだろう。フランスでは一定期間、実際に狼の毛皮を着て山野を放浪し、家々に物乞いして暮らさなければならなかった。他にも狼の毛皮を被せられて晒される刑罰もあった。
 近代ファンタジーは、当初トールキンの影響が強くそれほど獣人は目立たなかったように思えるのだけれど、神話時代からの伝統ある存在でもあるし、なにより一部の人間はこの獣人という存在にフェティッシュな愛好があるらしく、近代ファンタジーでも獣人はメジャーになった。ただ神話時代から存在するといっても、また中世の博物誌に登場するといっても、いずれもオリエントの話であるからなのか、あるいは人狼という恐怖や刑罰の伝統のためかあまり親しみのあるものともいい難い。おそらくヨーロッパ文化にとって獣人といえばまず思いつくのは恐るべき人狼なのであろう。
 ただ繰り返すが一部の人間はこの獣人に異様な愛着を抱いており、私などが口を差し挟めるような存在ではなくなっているため、仔細については述べたくない。
 一応エルダースクロールズシリーズの獣人、猫人たるカジートについては若干言及しておこう。彼らは猫人であるため素早く隠密性に優れていて、夜目がきく。ただ故郷以外での社会的地位は低いようで、スカイリムではジプシーに似たような放浪生活を送っているものが多い。城壁の外に不定期的に彼らのテントが張られ、色々なものを売買できる。街道を歩いていると、移動中の彼らに遭遇することもある。

爬虫類人、龍人
 爬虫類人は近代的なファンタジーの産物である。敢えて歴史に存在を求めるのなら、古代ギリシアのゴルゴーンなどもいるが、伝統としてあまり関係はなさそうに思える。
 彼らの知性の高さは、世界観によって様々である。動物に近いような扱いや、原始的な言語を扱うレベルとしたりとか、あるいは人間と同じような知性を持つとされることもある。また彼らには「段階」があって、低い存在は原始的な言語すら操れないが、進化すると知性を持ち、魔法を使い、そしてその窮極の進化の果にドラゴンになるとするものもある。ルーンクエストやソードワールドがそうである。
 多くの場合、リザードマンと呼ばれるが、ルーンクエストのように龍種の起源に重きをおく場合はドラゴニュートと呼ばれる。爬虫類人は下等な存在と見られがちだが、龍種とのつながりが強調されると高貴な生物となる。また龍種の場合でも、ファイアーエムブレムのマムクートなどは、普段は人間の姿で戦う時などだけ龍の姿になる。
 エルダースクロールズシリーズの爬虫類人アルゴニアンは、ただの蜥蜴人である。このシリーズにはアルゴニアンのメイドについての好色本がゲーム内に存在しており、古典的ジョークとなっている。

古代人
 古代人は、古い分より神に近く、人間より優れている、という設定もある。またあるいは、古代文明は現行の文明よりも優れていたため、古代人もまた知性あるいは魔力において優れているという設定もある。これは、光のエルフ、ハイエルフなどと由来としては同じだが、種としては一応人間ということになる。そのためパーソナリティ、人格においてはエルフなどのように、善良であるとかいうような制限は特に存在せず、我々と同じとも思える。しかし古い伝統への固執は特徴的だろうし、変化を嫌う保守主義はエルフ同様だろう。また古代文明が頽廃的だった場合はその影響を何かしら引いて、やたら後ろ向きで意欲的ではない人々であるかもしれない。ただ人間である以上、古代人が古代人として特殊性を保っているとしたら、いわゆる隠れ里のようなものに住んでいるのかもしれない。あとは、古代文明が進歩していたのなら、種族自体に、現代風の言い方なら遺伝子改造などによって、魔力が増幅されていたり、やたら長寿だったりと、何かしら改造が施されて能力が高められているかもしれない。
 また、特殊な人間ではなくても、古代人の血を継いだ人間が、何かしらの魔術を起動させる鍵になるようなこともある。あまりに血族主義的であるが、こういった貴種流離譚的なお話は好まれ、特に日本人は好きである。実のところ天空の城ラピュタもそうであり、ご存知の通りシータとムスカは古代に滅んだラピュタ文明のラピュタ王家の末裔であり、正統な後継者たるシータには飛行石は起動用の呪文が継承されていた。

人造人間
 ファンタジー世界の伝統的な人造人間としては、ホムンクルスが考えられる。また望むのならば、知性のある自動人形、オートマタ、あるいはやはり知性のあるゴーレムといったものも考えられる。前者は生物学的人造人間といったところであり、後者は機械的・工学的人造人間といったところであろうか。こういった想像力はむしろ日本のファンタジーが得意としているように思える。天空の城ラピュタに出てくるラピュタ文明のロボットも一応知性があるようである。そう、人間の姿からだいぶ離れてはいるが、ああいった知性を有するようなロボットでも亜人ともいいうる。
 多くのホムンクルス、自動人形、ロボット的なものは、古代文明の遺産とされていて、古代文明の遺跡の奥でガーディアンとして存在し、宝物を守ったりあるいは選ばれし者を案内する。日本でのファンタジーだと当然のごとく美少女の姿が好まれる。
 ホムンクルスは、そのファンタジー世界の現行の魔術レベルでも製作可能なこともある。ただこういった場合は、ホムンクルスの寿命が短く設定されていたりもする。ホムンクルスは、そのファンタジー世界の設定によって、程度の差はあれ小さな身体をしている場合も多い。これは彼らが試験管で生まれ育つという、中世からの魔術の伝統を受け継いでいる。またホムンクルスは魔術の力から生まれたが故に魔術の伝統の知識を生まれながらに有しているというのはホムンクルスの伝統的設定である。
 ホムンクルスに似たようなものに、SFだけれど、FSSのファティマというのもある。ファティマは突出した知能と優れた身体性能を持っているが、人間に対して絶対服従であると脳にプログラミングされている。彼女らはいわば人型コンピュータといえる存在であった。
 また現代的な発想の産物としては、そもそもがファンタジー世界でもないが、ローゼンメイデンのオートマタなどもある。
 日本以外のファンタジー世界でのロボット的な存在として、エルダースクロールズシリーズには、古代に滅んだドワーフの作ったオートマトンがある。しかしこれは人格などまったくない、遺跡のガーディアンとして配置されているだけの存在である。
 ファイナルファンタジーには昔から古代文明のロボットが登場している。

神族、魔族
 神族や魔族も、一応亜人といえるだろう。無論、人間などよりずっと高級な存在だ。
 旧約聖書には神は自分に似せて人間を作ったと書いてあるのだから、神も人間みたいな姿のはずである。多くのパンテオンの神々は、ギリシアもローマも、ケルトやガリアも、ゲルマンもノースも皆人間と同じ姿をしている。例外的なのは、獣人が好きなエジプトだろう。あと、アブラハムの宗教は神の姿を表してはいけないから旧約聖書の記述にもかかわらず人間の姿として示される機会は少ない。ただ、天使というのを神族に準じたものと考えるのなら、やはりヤハウェ神族は人間に似ているともいえる。しかし旧約聖書の、特にエゼキエル書やエノク書などに見られる天使たちはおよそ人間離れした姿をしている。
 悪魔、魔族も、特にキリスト教の教義に倣うのなら、天使が堕天した結果なのであるから、人間と似たような姿をしていると考えることもできる。ただ、伝統的な魔術によれば、召喚された天使や悪魔はその姿を自由にとれるとされているため、彼らには「本来の姿」は存在しない。ついでに性別もない。だから堕天使でも豹の姿をで現れるオセのようなものもいれば、ラクダに乗った美女として現れるゴモリーのようなものもいる。ゴモリーは美女の姿で現れるが、別にゴモリーは女性というわけではない。
 いわゆる冒険者というのが彼らと関わるかどうかは、なんともいえない。余程壮大な冒険でもしなければ遭遇しないかもしれないし、たまたま出会うこともあるかもしれない。いずれにせよ、強力すぎてプレイアブルなことはないだろう。
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ファンタジー世界を創ろう [ファンタジー世界考察]

 よく、ゴルゴ13とか、沈黙の艦隊やジパングだと、例えば誰かが近づいていくる足音を聞いて、これは軍人の足音だなと判断したり、接触してきた男に対してお前の身のこなしは、あるいは筋肉のつき方、手の皮のつき方は、軍人だなとか、船乗りだなとか、CIAだなとか、判断することがある。つまり、一般人を装って話しかけてきた男に、デューク東郷とかが、お前の身のこなしは民間人ではない、軍人だな、とか指摘するわけである。あれがどれくらい本当なのかは知らないけれど、ゴルゴ13や沈黙の艦隊やジパングとかに描かれていると本当にありそうだなとか思ってしまう。
 それに対して、「ライトな(貶下的表現)」作品だと、軍人や諜報員が民間人を装って近づいたり話しかけたりしてきても、こちらがヴェテランの軍人みたいな人間だったりしても、全然気づかず騙されることが多い。こういう描写を見ていると、ゴルゴ13や沈黙の艦隊やジパングとは格が違うな、などと思ってしまうのである。


 銀河英雄伝説について、登場人物の名前について、特に銀河帝国の方だけれど、ファーストネームがまったくかぶりがないことについては書いたけれど、ファミリーネームの方はそんなに書いていない。しかし銀河英雄伝説の登場人物を見ると、気づいたこともある。つまり、やはり銀河帝国の登場人物についていうのだけれど、歴史上の有名な人物とのかぶりが少ない。あれだけ登場人物がいるのに、歴史上の有名な人物と名前がかぶっていないのである。銀河帝国側の人物の名前を聞いて、実在の歴史上の人物を連想することが、というか連想するような人物の名前が少ない。
 ただこれには二種類の例外がある。敢えて歴史上の有名な人物の名前を使ったと思われる件。それからもう一つは、上述の配慮にも関わらず歴史上知名度のある人物とかぶってしまって、そのイメージが邪魔なケースである。
 敢えてというのは、二つあって、技術総監シャフトと内国安全保障局長ラングである。シャフトは、ヒットラーの銀行家ともいわれたアントン・ヒャルマール・シャハトの名前そのままであり、そのまますぎるので明らかにわざと使ったのだろうと思わせる。ラングは、主人公ラインハルトの名前とくっつけるとナチスのSD長官、最悪の屠殺人と知られたラインハルト・ハイドリヒになる。SD長官という地位を考えるとわざとこの名前につけたのだろう。
 意図せずなのか、歴史上有名な名前がつけられてしまったのが、ファーレンハイトとブラウンシュヴァイク公である。この二人は敢えてこの歴史上有名な名前をつけられる必然性が、上記二人と比べて薄そうなので、意図していない感じがする。ファーレンハイトは、温度の単位としてあまりに有名で、アメリカなどで使われる°FのFはファーレンハイトで、華氏の華はファーレンハイトの中国語表記の頭文字である。ブラウンシュヴァイク公国は複雑な継承をたどってその最大のものはハノーファー王国となり、現在の英国王室の祖である。
 それに比べて、他の登場人物はほとんど歴史上聞かない名前がほとんどである。レンネンカンプという名前の人物は、ロシア帝国の将軍にいて、ロシア史ではやや有名であるけれど、一般レベルではマニアックだろう。キルヒアイスという名前の人物は、19世紀エスターライヒ帝国の外交官にいるようである。
 ただ、ミュラーはドイツ語圏ではよくいる人名で、元は粉屋を意味する。ミッターマイヤーも、真ん中の小間使いみたいな意味だろうから、別に歴史的なものでもない。あとは、グリューネワルト(グリューネヴァルト)はベルリンの高級住宅街にその名前がある。緑の森という意味だけれど。
 ローエングラムとゴールデンバウムは、田中芳樹のオリジナルらしい。ロイエンタールも悲哀の谷みたいな意味らしい。
 ファーレンハイトとブラウンシュヴァイク公は出番も多いし、どちらも歴史上有名な名前だから、なんというか想像の邪魔になる。しかし逆にいうと、それ以外の名前はまったくマイナーな名前ばかり揃っているのだから、驚きなのかもしれない。


 山本弘が、女子高生が異世界転生して売春婦になったみたいな本を批判しているという話を聞いた。私は本も読んでいないし、山本弘の批判内容も知らないのだけれど、私もこの本には批判的になりそうである。
 まずもって私は異世界転生ものが反吐が出るほど大嫌いであり、本屋に行っても異世界転生ものが並ぶ棚はできるだけ目に入らないように歩いているし、異世界転生ものは憲法の保証する表現の自由で保護されないので焚書すべしとか思っている。ただ、私が異世界転生ものを嫌いなのは、異世界転生ものという物語のギミックそのものが嫌いなのではないと思われる。実のところ。私が嫌いなのは、なんというかとりあえず異世界転生とつけておけば売れるみたいなスタンスとか、本屋の棚を見ると異世界転生という文字がやたら埋め尽くしている光景とか、異世界転生ばかり出している出版社とその中でもとくにアルファポリスなどの本の装丁の惨めな汚さなどといった、周辺的な事象に苛立っているのである。要するに蔓延っている状態自体が嫌いなだけである。
 それは措いておくとしても、女子高生が異世界転生して売春婦になったというのは、どこかエロティックな関心が優先されているような、グロテスクさがある。
 ただあるいは、この本は真面目な作品なのかもしれないと思わないでもない。確かになんの取り柄もない女子高生が異世界なんぞに転生したら、売春婦くらいしかやれることがなくて、そういう流れで売春についていささかなりとも真面目な考察に基づいた記述をしているのなら、あるいは多少なりと好感を持てる内容になるのかもしれない。
 だから山本弘の批判の内容もよくわかっていないので、例えば山本弘の批判の拠り所が面白くもないフェミニズム的な、戦後民主主義的発想にばかり基づいたものであるのならば、私はどちらかというとこの異世界転生ものの肩を持つことになるのかもしれない。

 私は基本的に、異世界という言葉は大嫌いなのでファンタジー世界と呼ぶが、ファンタジー世界での売春の存在を擁護する立場である。ファンタジー世界から売春の存在をないことにしようとしている流れに反対している。フェミニズムというより戦後民主主義思想によってファンタジー世界を「綺麗に」しようとしている流れがあるけれど、これに反抗したいのである。ファンタジー世界から「綺麗ではないもの」、つまり売春はもちろん、略奪や強姦、奴隷、虐殺、障害者、レプラのような業病、そういったものをなくして「綺麗なファンタジー世界」を目指そうという、そういう潮流が見え隠れしているのを感じて、それに全力で反対したいと思っている。だからファンタジー世界において、冒険者たちの最大の娯楽は売春であるべきなのだ。
 とはいえ、この女子高生が異世界転生したら売春婦になったとかいう本は、それを聞く限りだと、なんというか野次馬根性で書かれたようなグロテスクな代物に感じて、どこか畸形的なものを感じて、許容する気になれなさそうである。

 ところで、現実の現代社会で、売春婦の代わりに用意された「性の商品」が「アイドル」である。近年のラノベファンタジーなどでは、現代人の貧弱貧困な想像力に合わせて、ファンタジー世界にアイドルを登場させることも多い。彼らの惨めで貧相な想像力では、売春婦を想像するよりアイドルを想像したほうが性の商品として容易なのであろう。
 まあなんの関心もないので貶下的に見て終わりなだけなのだけれど。



 私は、前も書いたけれど、私の独自のファンタジー世界を創造している。
 そもそもがこんなブログを書くような知識をひっかき集めているのも、大学で社会学などという学問をやっていたのも、澁澤龍彦を読み始めたきっかけも、すべては私の独自のファンタジー世界を想像するための予備知識のためであった。
 私がファンタジー世界なるものに関心を持つようになったのは一般的な日本人と同じく、コンシューマーゲームのCRPGがきっかけであった。しかし私の場合、どうやら私の家でコンシューマーゲーム機が禁止されていて自由にプレイできなかったためなのか、自分でゲームを作ってみたいと志向するようになった。親がオタクコンテンツを禁止するとその子供は高確率でオタクになるというが、私などはその典型であった。むしろそのために、単にゲームをすることすらできなかったため、ゲームをすることに留まらず作ってみたいとすら考えるようになった。これで私が理系で根気があったらプログラマになったのだろうが、残念ながら私は典型的文系であった。そして私は物語の創造にも向かわなかった。とにかくひたすら舞台となる世界の設計に没頭した。これは、私が保育園の頃から、絵本よりも図鑑を愛していたという性向に基づくのであろう。子供の頃から物語よりも事物や事象そのものを愛していた。だからはっきり言って私には物語を構築する累積訓練量が乏しいのである。私が小説家の才能にいまいち乏しいのはこれが原因だとは思っている。そこそこ小説も読んできたけれど、それ以上に澁澤龍彦のエッセイに代表されるような事物事象の知識そのものを求めるに至ったのである。ファンタジー世界設計士などという職業でもあればそれになれたのかもしれないけれど、残念ながらそんな職業は存在しない。
 それで、中学校の頃には我らが愛する新紀元社の書籍に出会い、私はファンタジー知識への傾倒を深めていった。高校の時に澁澤龍彦のエッセイに出会い、私の関心は「ファンタジー世界」に限定されたものではなく、ヨーロッパを中心とした全世界の文化、それも幻想といった領域に属する文化へと興味を広げた。これらには美術、芸術といったものへの興味関心にも繋がった。私は出てもいないそもそも大学も違う友人の日本美術史のレポートを代筆してやたら高得点をとったことがあるけれど、それくらいのレベルには知識があるようである。
 ところで一方で、私は人生のかなり初期から精神を病んでいた。父親は早くに幽冥界を異にして、母親は現代日本的な教育失敗の典型例であった。小学校の頃にはまともに人間関係を築く能力を喪失しつつあった。中学校でもそれはひどいものであったが、高校で完全に崩壊し、登校拒否に至った。そこで私が人生の慰めとしたのがファンタジー世界であった。私は現実から逃げてファンタジー世界に「移住」することでなんとか自分の精神を慰めたわけである。結局なんとか高校を卒業して大学には行ったのだが、行った先でいじめにあって鬱病になって登校拒否して私の人生は完全に崩壊した。
 このように私の人生はもはや完全に崩壊してしまったのだが、しかし死ぬわけにも誰かが殺してくれるわけでもないので、私は残り死ぬまでの時間をなんとかしてすごしていかなければならない。そこでやはり精神の慰めとすべく存在すべきなのがファンタジー世界なのである。

 そんなわけなので、私は、死ぬまでの残りの何十年か、自分のオリジナルファンタジー世界でも構築して、死ぬまでの時間を潰そうと思っている。今までは断片的に想像を浮かべているに過ぎなかったが、そろそろ具体的に体系的に形を持たせたらどうだろうかと思っている。質の面で並べられるものではないが、ダーガーやラヴクラフトのような気違いアメリカ人の後塵を拝して私も何か形にしたいと思いはじめている。一つには精神の安定のためである。形にしていれば気も晴れるかもしれない。あとはまあ、死ぬまでの時間を潰すためである。

 というわけでどこかのWikiでも借りて自分のオリジナルファンタジー世界のデータでもまとめてみたいななどと思いはじめているわけだが、しかし思うに実に無益な作業でもある。ダーガーやラヴクラフトのように後世に評価を受けるとも思わない。そういうことを考えると虚しいだけの作業であるけれど、そこはもう諦めているのではある。死ぬまでの時間潰しとして。

 ただまあ、世界のすべてを記述しないといけないわけなので、まずは項目を作るところからして大変だったりはするのだけれど。
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ファンタジー世界のリアリティへのアプローチ [ファンタジー世界考察]

 結構前にグランクレスト戦記の兵士がひどい、学芸会レベルとこき下ろした。ただ、シルーカを筆頭として主人公格のコスチュームの方は不問に付した。
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 一つには諦めもある。こんなもの言及するにも取り付く島もないレベルで滅茶苦茶でもう諦めるしかないということである。特にこの作品はシルーカ筆頭に破綻しまくっている。こんなもの本気になって批判しても批判するだけ馬鹿くさくて間抜けくさい。
 もう一つには、それを決して求めていないわけではないというのがある。要するにシルーカの滅茶苦茶で破綻した衣装を受容どころか歓迎してすらもいるのである。

 このブログはファンタジー世界の考察といいつつ、中世ヨーロッパの生活史などを紹介するのが基本となっていて、それに対してイマドキのファンタジーはクソだのなんだのとこき下ろすことがしばしば見られるパターンとなっている。そこではすっかり私はリアリズム気違いと化している。

 しかし一応言っておくと、私は基本的スタンスとしては、中世ヨーロッパの現実を紹介しているだけである、と少なくとも名目上そういうことになっている。別にファンタジー世界はこうでなければならないなどとは主張していないことに名目上はなっている。異世界転生は憲法による表現の自由の保証の対象外なので焚書とか思っているけれど残念ながら私はスターリンではないのでそんなことはできないのだ。
 あとこの手の知識披瀝型の文章は高慢だと嫌われているのは知っているが、そういうのを想定すると、じゃあお前がやってみろ、とか言いたくなってみたくなる。
 まあ茶化すのは措いておいて。

 私も、中世ヨーロッパ風ファンタジー世界の範を中世ヨーロッパに求めるあまり、色々調べたりはしているけれど、とはいえ「私のファンタジー世界」に無原則に中世ヨーロッパの現実を適用する気も特にないのである。
 実のところ私はファンタジー世界について萌えでもなんでもJRPGあるいはラノベファンタジーと妥協する準備も満々だったりもするのだ。まるで金正恩の核開発戦略みたいである。


 ファンタジー世界の設定、設計の思想には二つの方向性、アプローチがある。
 一つはここでよくやっている、現実の存在、現実の社会モデル、現実の技術や文化に範を求める方法論である。これは基盤となるべき考えだと、優先的な考えであるべきだと思っている。実際、特に中世ヨーロッパ風と限定しなくても、ファンタジー世界といえば中世ヨーロッパになにかしらの範を求めることになる傾向は強かろう。「騎士」「剣」「魔法」などというキーワードは明らかに中世ヨーロッパ由来のものである。それはそれこそFSSだってそうである。あれはSFにして中世ヨーロッパ風ファンタジーのテイストも盛り込もうとして成功した恐るべき作品だけれど。
 一つには、人間が完全にこの世にありもしない世界を想像する能力など底が知れているというのがある。そんなものには知性の限界がある。一枚絵程度ならなんとでもなるだろうが、そこで物語を紡ごうとするのならば、フランツ・カフカみたいな幻想小説を目指すのならともかく、そうではないのならなにかしらのモデルを欲することになる。現実に着想を得ない完全な自由な発想による幻想世界などやれると思っているのは、余程の天才か、ただの思い上がりだろう。そして、それがそこそこにせよ社会的なつながりがあるような物語である以上、現実の歴史に範を求めたほうが楽である。ゼロから社会構造を構築する幻想世界など社会学者だってしようと思わないだろうしすることだってできないだろう。あるいはトマス・モアのユートピアなどはそれに該当するのかもしれないけれど。
 いずれにせよ、余程の社会学的傲慢さでももっていなければ、自分の知識だけでファンタジー世界をゼロから構築するなど愚かしいことであり、いかなるレベルであれ、いかなる度合いであれ、現実世界に、中世ヨーロッパでも啓蒙主義ヨーロッパでも、何かしらの範を求めることになるのだ。


 もう一つは、ここではたまに触れている形けれど、とにかくまず最初に「やりたいこと」「具現化させたい幻想」を用意して、それをそのファンタジー世界で矛盾なく存在できるように逆算してファンタジー世界を構築するというアプローチである。なんというか帰納に形だけは似ている気もする。ファンタジー世界の構築方法としては、これが正道であり、現実の中世ヨーロッパからのアプローチというのはこれを補完するためのものにすぎない。当たり前である。私だって欲しているファンタジー世界は神や魔法の実在する幻想世界であり、現実の中世ヨーロッパで遊びたければ「混沌の渦」でもプレイしていろ、って話なのである。今どき混沌の渦なんぞプレイしている人がいるのか知らないけれど。
 まあ混沌の渦はさて措き、私にしたって私のファンタジー世界はこちらのアプローチで作っている。当たり前なのだ。私は私なりの神話体系を創り出してそれに合わせたり、また時としてその神話体系を中世ヨーロッパに適合するよう調整したりしつつ、ファンタジー世界を構築している。今は興味がないから構想から外しているけれど、FSSに影響されて操縦型ゴーレム、要するにロボット的なものすら構想していたこともあった。

 それに「やりたいこと」「具現化させたい幻想」は別に神話体系や魔法体系だけにも限らない。文化や生活習俗、生活レベルもそうである。極端な例を挙げるのならトイレとトイレットペーパーとかもそうである。まあこれについては「冒険者はうんこしない」方が楽に解決できるけれど。むしろこの部分のほうが、現代の、私が侮蔑的にいうところのJRPGやラノベファンタジーなどでは表に見えやすい。

 例えばメイドである。メイドは人気である。私も昔ほど熱意はないけれどそこそこ好きである。しかしメイド自体は19世紀ヴィクトリア朝大英帝国の存在であることもよく知られている。とはいえやはりメイドは大人気である。その辺のファンタジー世界でもよく見かける存在である。

 一例を挙げたいのが、これは中世ヨーロッパ風ファンタジーではなく、というよりもはやファンタジー世界ですらないのだけれど、ブラック・ラグーンである。ブラック・ラグーンは現実世界、現代世界が舞台である。舞台となる都市ロアナプラの存在こそ架空の都市だけれど、ロアナプラは現実のタイ王国に存在することになっている。
 しかしブラック・ラグーンには十分荒唐無稽といえるようなキャラクターが存在する。多量の銃火器と爆薬で身を固めたメイドだとか、重機関銃や斧を軽々と扱う小学生くらいの年齢の双子の子供だとか、そういうキャラクターである。明らかに荒唐無稽であろう。
 しかし私はこれを批判するつもりなどまったくない。むしろ双子キャラの方など大好きなお気に入りのキャラクターである。メイドの方は眼鏡なので駄目なのだけれど。

 メイド服に関しては、特に中世ヨーロッパ風ファンタジー世界に登場させても、そこまで無理があるとも思わない。そのメイドがハルバード振り回して戦うとなると、リアリズム的には破綻の危機にやや瀕しているとは思うけれど、別に責める気にもならないというか、受容可能な範囲内だろうと思っている。ただこれは辻褄を合わせるという意味ではなく、どちらかというと妥協の産物である。また、言い方を変えると、というより視点を変えると、別にメイドの一人二人がハルバード振り回したところで、その世界全体が破綻することはありえまい。だから別にそれに目くじら立てたりもしない。ただメイド服の女兵士がハルバード振り回すような軍隊が存在したりしたら問題視するレベルにはなるだろう。

 しかしこれらはどちらかというと辻褄合わせではなく妥協の産物になる。ファンタジー世界構築手法などといった偉そうなものではない、まったくただの妥協の産物でしかない。別に現代日本オタク文化メイドをファンタジー世界に数名登場させるのに、辻褄合わせすら必要もあるまい。そんなのは局地的妥協に過ぎない。
 とはいえ局地的ではなく全面的なことであっても妥協を求めたくなることもある。これが顕著なのは生活に密接に関わることであると思う。その代表はトイレである。「冒険者はうんこしない」だってそういった妥協である。冒険者はうんこしないというのはとりあげるのはやめたいが、しかし例えば窓ガラスの存在も実はレベルとしてはあまり変わらない。前も書いたけれど、板ガラスを量産する技術が確立されたのは、王侯貴族の宮殿などに安定供給できるようになったのですら17世紀などであり、一般に普及するレベルだと18~19世紀になる。しかし板ガラス、ガラス窓のない生活は、現代人の基準では大変厳しい生活になる。だからここも多くのファンタジーで妥協が見られる。オブリビオンなどの都市では窓に板ガラスが普通に嵌っている。中世ヨーロッパレベルの技術力で板ガラスの量産を多少無理して可能にできるのか、ガラス工業の専門家ではないのでなんともいえないところがあるが、しかし窓ガラスのない生活の厳しさを考えるのなら、妥協したくもなる。
 窓ガラスは妥協するには乗り越えるべき技術的ハードルが存在するが、ハードルの低い、妥協したくなる要素もあるにはあるだろう。例えば下着などはそうかもしれない。ワイヤー入りブラジャーこそさすがになさそうだが、下着はあってもよさそうだし、あるいは綿の下着を存在させるのもそれほどリアリティに負荷をかけなくて済むかもしれない。だからメイド服というのは割とこういうハードルが低くて済むと思われるのだ。

 この辺は、妥協ともいえるし、辻褄合わせといえるところもある。
 たとえば、中世ヨーロッパに寄り添って考えたとしても妥協と辻褄合わせを想定できる。古代ローマの都市設計の文化、技術がある程度残っていたと想定すれば、ある程度上下水道が整った、路上に屎尿をぶちまけなくて済むような都市になるかもしれない。また、公衆浴場があって、人々の身体はある程度清潔に保たれているかもしれない。実際、中世ヨーロッパでも、東ローマ帝国の領域では上下水道の技術が生き残っており、また古代ローマ由来の公衆浴場が存在した。そして東ローマ帝国の公衆浴場の文化はそのままイスラーム世界に受け継がれ、現在でもトルコではハマムと呼ばれる公衆浴場が普及している。

 また、これは本来は田中芳樹が軍事的必要性から行ったことなのだが、中世ヨーロッパ風ファンタジー世界に芋を登場させることもできる。別に芋の存在など大したことではないか、そう思われやすそうである。実際、芋が存在するファンタジー世界など掃いて捨てるほど存在する。しかしそう簡単なことでもないのである。
 芋を登場させることは簡単である。芋、じゃがいもの原産地を当該世界に設定すれば済むだけの話である。現実のじゃがいもの原産地はアンデス山脈であるから、中世ヨーロッパには芋は逆立ちしても存在し得るはずがないのだけれど、ファンタジー世界ならアルプス山脈にでも芋が生えていることにすれば即座に解決する。そうすれば我々はファンタジー世界で好きなだけ揚げじゃがを食べることができる。
 しかしファンタジー世界に芋を登場させることはそれほど単純に解決できる問題ではなかったりもする。田中芳樹が中世ヨーロッパ風ファンタジー世界に何故芋を登場させたかったのか。別に揚げじゃがを食べるシーンを挿入するためではない。それは農業生産力を上げて、王侯貴族が戦争に数万人単位の兵力を動員できるようにするためであった。田中芳樹は、戦争のシーンで数万人単位の兵士を動員するためにファンタジー世界に芋を登場させたのだ。
 つまり、ファンタジー世界に芋を登場させるというのは、別に登場人物に揚げじゃがを食べさせるためではない。農業生産力を増大させ、軍事動員力を増強するためなのだ。逆に言ってみよう。もし登場人物に揚げじゃがを食べさせるためだけにファンタジー世界に芋を登場させたとする。ところがそうしたら、もしそのファンタジー世界が世界として自律しているのならば、農業生産力が中世ヨーロッパの範囲を超えて増大し、王侯貴族は軍事動員力を増強することが可能になるという結果に繋がってしまうわけだ。更には、農業生産力の増大は社会構造の変化にも繋がる可能性がある。貨幣経済が発達して、地主としての騎士の地位が没落する可能性もある。騎士が没落すれば、それはもはや中世ヨーロッパの範疇を超えた世界が広がるだろう。もっとも、日本で想定されやすい中世ヨーロッパ風ファンタジー世界はルネサンスから啓蒙主義時代の様相が加わる傾向にあるので、それはそれで正解なのかもしれない。しかしそれでも中世ヨーロッパ風ファンタジー世界から騎士がその地位を追われるというのは考慮に値する。ただ日本で想定されやすい中世ヨーロッパ風ファンタジー世界は、更にいうなら、別に騎士の地位や封建制度に対する理解などろくにないような、独自解釈に基づいたような完全創作の架空の社会体制であることがしばしばであるから、そう思うと心配するのも無駄にも思える。
 上述の下着の発達や綿布の普及、あるいは公衆浴場の存在も、それだけでは済まないものだったりする。つまりそれだけ衛生状態が向上すれば、中世ヨーロッパを襲った黒死病も威力は大幅に弱められただろう。人口増加率も上がり、そうなるとやはり農業生産力をはじめとした社会生産力全体にも影響が出る。板ガラスだって、普及すれば健康の増進にもつながるし、あるいは中世ヨーロッパは鬱病患者も多いような世界だったが、これだって緩和されて、こういったことも社会生産力の増大につながる。なにより、採光が良好ということは室内での作業がしやすいということに繋がり、それは単純に工業生産力を増強させる。暗い部屋より明るい部屋の方が明らかに仕事がしやすい。
 他にも、ファンタジー世界ではやたら識字率が高いことが多く、時として金属活版印刷が発達していることも多いが、これによって人々の啓蒙が進み、上述の経済構造の変化と合わせるとブルジョワ階級が勃興している可能性があることも合わせると、人権思想や民主主義思想が発達するかもしれないのだ。ファンタジー世界でもガラス窓のマニュファクチュアで工業生産に従事する労働者たちがカール・マルクスみたいな人物の共産党宣言を読んで社会主義革命を起こすことだってありうるのだ。それはそれで楽しかろうが。

 批判的には書いているのだけれど、それを別に否定しようというのではない。ただ、真にそのファンタジー世界を真面目に作ろうとするのなら、そこをいい加減にして済ませるのは、問題があるということである。ファンタジー世界というのはあくまで独立した世界なのであり、それは自律した世界なのであるから、なんでも好きな要素をなんでも無闇につめこめばいいというわけではないのである。
 ファンタジー世界になんでもつめこみたいのならつめこめばいい。それがファンタジー世界というものである。しかしつめこんだならつめこんだなりの責任を、そのファンタジー世界は持つべきなのである。いや、ある程度でいいのである。責任といっても。ただあまりに無責任なのはいかがかと思うのである。


 しかし私はより「ゆるい」レベルでこれらのファンタジー世界の自律性を、ここまでこんなにうるさく言っていたのに、普通に無碍にすることはあるので、やはり大したことは言えないのである。

 それは、上にもちょっと書いたけれど、メイドあるいはメイド服の許容とかそういうお話である。私はファンタジー好きだけれど、それと同時に二次元オタクでもある。だから二次元キャラの造形という観点からは割とこの辺がゆるい。
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 だいたいが、この記事の切り口にしたのがグランクレスト戦記のシルーカである。彼女のやたら露出の多い服装は羞恥プレイのためだと作中で書かれている、設定されてはいるわけだけれど、いずれにせよ滅茶苦茶なことは変わらない。これでも現代日本のラノベファンタジーでは硬派の部類に入るのである。
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 それに私のCardWirthのプレイヤーキャラクターたちだって、女ばかりでパーティー組んでいるわけだし。男ばかりのパーティーは想定されているシナリオはあるらしいけれど、女ばかりは想定されていないようで、とあるシナリオでは六人なのに女四人というセリフにされているし、あるシナリオに至っては進行不能バグに陥る。
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 このアリーシャのように太ももを露出するケースは近年多く見られる。太ももは太い動脈も通っており、深い傷がつけば致命傷になり得るが、太ももを露出する女騎士女戦士の二次元萌え絵はよく見かける。
 というか太ももならもはや幾らでも二次元では露出している。最近は腋や背中などもよく露出している。ここまで来たら妥協するしかないのだ。何故なら、萌えてしまうからである。さすがにビキニアーマーを許容する気もないし、というよりはビキニアーマーに萌えないので基準に引っかからないのでそれ以前の話となっているらしい。逆にいえば下手をしたらビキニアーマーに萌えていたら容認したかもしれないのだ。程度の問題に過ぎないではないか。
 いや、程度の問題であったとしてもやはりそれなりの矜持とでもいうのか、やはりそれなりの基準を守りたいと思わないでもない。無節操にビキニアーマーを認める気にはならないのだ。とはいえ太ももくらいなら構わないというのは、そこは最低限の矜持なのか、なんなのか。
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 ちなみにここまで来ると諦めているが、このゲームはファンタジー世界ではなくてSAOみたいなVRMMORPGというのが本来の設定だったのでそういう意味でも本気で怒っても仕方がない。それにこのキャラへの萌え度は私の萌えキャラの中でも相当に高いランクなので別に怒る気もないらしい。いい加減なものである。


 ところで、萌え絵を幾つか載せたついでに。
 私は私のファンタジー世界を創ってそこを庭として遊んでいる、というよりもはや現世に慰めはないのでこの幻想世界に引きこもっているのだけれど、その中で私が私としてある人物、キャラクター、RPGの言い方をするならプレイヤーキャラクターのデザインにはなかなか困っていた。私は二次元オタクであるから当然彼女を二次元で想定するのだけれど、しかしオリジナルキャラであるため、彼女の図像をどうにかして創造しないといけない。しかし私は元美術部とはいえもはや絵を描く能力はひどく乏しくなってしまった。風景画は普通に描けるけれど。というわけなので、例えばサクセスの英雄クロニクルに付属している英雄キャラクタージェネレータなどを使ってキャラの図像を創ってみたりしたのだけれど、萌えブログで触れたように、カスタムメイド3D2で創ればいいんじゃないかということに今更気づいたので、作ってみた。
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 一応同じ3DCGなのでファンタジー世界であるスカイリムの画面と無理矢理合成してみたけれど、ひどい雑コラ感あふれる絵になってしまった。まあスカイリムとカスタムメイド3D2では開発費が百倍以上違うだろうから仕方ないのだけれど、なんというかもう初代PSのポリゴンキャラをPS4のポリゴン背景に突っ込んだどころか、もはやスーパーファミコンのドット絵キャラを無理矢理PS4の世界にねじ込んだみたいになってしまった。
 まあ、光源とか色合いとか、色々調整すればそこそこまともにはなると思うのだけれど。

 一応銀髪の目付きが悪いのが私のプレイヤーキャラクター、自己投影相手で、金髪のほうがその従者みたいなのでレズ相手である。銀髪の目付きが悪いのは目をいじっているのでもはや面影も薄いが渋谷凛顔MODであり、金髪のほうが島村卯月顔MODである。ちょうどレズカップルである。

 服装も残念だが、カスタムメイド3D2にはファンタジー世界に合いそうな服もなく、DLCにはあるかもしれないけれど買う気もなく、MODにもこれといったのがなかったので、仕方がない。
 私は以前、スカイリムみたいな壮大なゲームに日本的アニメ的キャラクターデザインが融合するのが望ましいとか書いたのだけれど、しかしこの雑なコラみたいな映像を見ていると、なんというか説得力がしょぼしょぼになってしまう。いや、日本にも金をかけたゲームにはファンタジー世界にちゃんとアニメキャラを、まあそれでもスカイリムよりぱっとしないグラフィックだけれど、存在させているし、この絵は10分くらいで作ったいい加減な絵なので、光源とか工夫すればもっとましになるのかもしれないけれど。

 本来ならファンタジー小説のネタとして彼女の物語でも書けばよさそうなものだけれど、今のところなんだか全然それは形にまとまりそうもない。私が現実逃避に妄想するのに留まっている。



 あと最後にちょっと過去記事の反省みたいなのを。

 このブログにはあんまり当てにならないアクセス解析がついているが、遺憾なことに「ファンタジー世界の剣」はあまりアクセスが伸びていないらしい。多少は真面目に書いたのだけれど。

 ヴィーンのホーフブルク宮殿に聖槍があると書いたが、後の調査によると、これは聖モーリスという古代ローマの別の聖人の槍であるらしい。ただヒットラーが聖槍、ロンギヌスの槍と思い込んで世界を支配するという霊感を受けたとかいうのはあるらしいのだが。
 他の聖槍の候補としては、オスマン帝国のスルタンが聖墳墓教会から持ち出してローマ教皇に贈ったというものもある。こちらは現在もヴァティカンにあるが、非公開である。

 他にも書くことがあったはずなのだけれど、忘れたので、もうおしまい。
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ファンタジー世界の古代文明 [ファンタジー世界考察]

 ファンタジー世界には古代文明が存在していることが多い。
 これはなによりファンタジー世界をTRPGというゲームとして成立させるためである。というのは、ゲームの基本として、遺跡、つまりダンジョンに潜って探索して、そして敵と戦い、お宝を手に入れるというのが流れだからである。
 ダンジョンというのはただの洞窟ではなく、人為的な構造物であり、そこにあるのは原始人の磨製石器や前文明人の素朴なビーズの工芸品などではない。なにかしらの価値ある宝、古代の金貨、貴金属、宝石、そしてなにより強力な力を秘めた超自然の遺物、アーティファクト、つまりマジックアイテムが眠っている必要がある。何故なら、それらをプレイヤーキャラクターへの報酬として用意する必要があるからだ。
 というわけでファンタジー世界には超古代文明が存在している必要があるのは、ゲーム上の需要であり、必然である。

 ただこれらの古代文明は現実の中世ヨーロッパにも実際のモデルがある。そう、中世ヨーロッパに対して実在した古代ローマである。実際、古代ローマは都市衛生や法学、文学、彫刻芸術などが明らかに中世ヨーロッパより優れていた。生活レベルも、上級市民に関していえば中世ヨーロッパの貴族たちよりはるかに豪奢な生活を送り、洗練された教養を持っていた。


 もちろん古代ローマの遺跡といったところで、ダンジョンとかラビリンスなどというものは存在しなかった。ネロ帝の黄金宮殿などは中世には地下遺跡化していたが。
 ただ、ラビリンス、ラビュリントスというものは実際に作られたようで、記録が残っている。伝説で有名なのはミノス王のラピュリントスであり、そこにはミノタウロスがいて、テセウスとアリアドネの物語があったわけである。しかしこの元来のラビュリントス、迷宮というのは、一本道であり、分岐もなく、迷うことはない。やたり曲がりくねっただけの一本道であった。これはなにかというと、宗教的施設であった。曲がりくねった道というのは、この世とあの世をつなぐ暗い闇に包まれた道の象徴であった。あの世である胎内からこの世へ現出するために通る産道であり、死んだ魂があの世へ行くのに通る道でもあった。宗教施設たるラビュリントスを訪れた参詣者たちは、ラビュリントスを通ることによって彼らの魂の再生を果たすのである。今でもシャルトル大聖堂にはこのラビュリントスがある。シャルトル大聖堂の床には曲がりくねった線模様が円を描いている。これがラビュリントスで、複雑に線が渦巻いているが一本道で繋がっている。他のゴシック聖堂にもこのやや異教的なラビュリントスが描かれている。ラビュリントスは、その本質は道であればよいのであって、別に壁で仕切られている必要もないのだ。
 伝承に残るミノス王のラビュリントスは、実際にそれと思しき遺構がミノス王の宮殿跡から発見されている。ほかの古代ギリシアや古代オリエントの遺跡にもラビュリントスと見られる遺構が発見されている。また、大プリニウスの博物誌にも様々な神殿をはじめとする建築物にラビュリントスが設置されているという記事があるものの、記述された中には破天荒な構造のものも多く、文献を引用した大プリニウスですら眉唾と書いている。この頃までにはすでに、ラビュリントスは迷宮と迷路と混同されるようになっていた。つまり大プリニウスの記述にあるラビュリントスの幾らかは、宗教的意義からはずれた、ただの分岐や行き止まりがあるような迷路だった。これらは半ばは迷路で遊ぶという目的もあり、時代を下って近現代でもイギリスの庭には生け垣で作ったラビュリントスがあるけれど、それは零落したとはいえ宗教的な精神的遺産でもまたあるのだ。

 ダンジョンというのは、西洋の城の天守のことである。西洋の城の天守と日本の城の天守はその使用目的や存在意義や成立史がまったく異なるので同じく天守と呼ぶべきではないのだが、便宜上天守と呼んでおく。西洋の城の天守は、英語ではキープあるいはドンジョンと、城塞用語ではそのように日本では発音されているが、このドンジョンをRPG用語ではダンジョンと呼ぶ。つまり本来なら地下迷宮でもなんでもない。
 ドンジョンは城の中心であり、あるいは宝物などが収められていたのかもしれないし、また地下には虜囚を幽閉するための牢獄などがあったので、その雰囲気がどこか今のダンジョンという概念に繋がったようである。別にこれはJRPG用語とかいうわけではなく、世界初のRPGからして「ダンジョンズ&ドラゴンズ」という名前であった。


 ファンタジー世界の古代文明は、古代ローマの影響あるいは印象はもちろんとしても、現行の文明より高度である必要がある。何故なら、そうでないと古代文明の遺跡から得られる物品の価値が高くならないからである。それらの宝物がただの貴金属、金貨や銀貨などの硬貨、装飾品、宝石などだけであればその必要はあまりない。貴金属や宝石の価値は別に時代によって変化するわけではないからである。一部のゲームやシナリオで、古代の硬貨は現行の貨幣ではないから無価値だなどとされることがあるのだが、これは明確な誤謬である。何故なら硬貨の価値というのは使われている貴金属の価値に依存するのであるからであって、古代の金貨であっても(中世相当時代)現在の金の重さで価値がつく。銀貨などは錆びている可能性があるけれども。古代の硬貨は無価値というのは、貨幣の価値が国家に保証されているという現代の観念に囚われた結果である。
 こういったわかりやすい、いってしまえばただの金銭的価値しかない宝物の中でも、美術品は文明の発達度とも関連する面もある。つまり、古代ギリシアや古代ローマの美術品は中世ヨーロッパのそれより余程「発達」していたといえる。


 さて、何故古代文明は現行の文明より高度でなければならないか。それは遺跡の宝物の中でも、実用的なものに着目しての話である。つまり古代の強力な魔法で作られた魔法の武器、あるいは失われていたはずの古代の強力な魔術を記した魔術書、そういった「報酬」のために、古代文明は現行の文明より強力でなければならないのだ。
 冒険の報酬というのが単なる金銭的価値というだけでは、はっきりいえば物足りないのだ。ファンタジー世界にはやはりファンタジー世界ならではの価値あるアイテムが欲しい。つまり、神話や伝説にあるような、グラム=バルムンクやミョッルニル、フラガラックのような強力な武器がほしいわけである。だから一つは神代のアーティファクト、神話の武器などを報酬に与えるという手もあるのだけれど、しかしたくさんいることになっている冒険者にそんなほいほい神代のアイテム、神話の武器など与えていたら、神話も価値がインフレしてしまう。ありふれた伝説の武器などありがたみがない。
 というわけなので、古代の高度な文明が作った強力な武器というのを用意することになる。それならある程度は古代に量産まではいかなくても数多く作られたことにできる。そしてある程度の量それらを冒険者への報酬として用意できる。

 この場合、この古代文明は、現行の文明より高度で、なおかつ滅んでいるべき必然性もある。現行の文明が古代文明に並ぶ水準なのなら、現行の文明で強力な武器やアーティファクトが製作できるからである。現行の文明ではもはや作れない強力な武器やアーティファクトだからこそ冒険者たちへの報酬として希少価値があるのである。
 こういった古代の文明は、魔法の存在とも結び付けられる。古代の優れた武器というのは、冶金という面で優れているというのではなく、何らかの魔法の力により、ただの金属の武器の威力を越えた強力さを発揮できるべきのだ。ただ鋼が冶金的に優れていくら硬くても限界がある。魔法の力なり、あるいは失われた製法をもった金属、ミスリルのようなものでできている必要がある。ミスリルなどはしばしば魔法の力と結び付けられている。
 こういった魔法の力が失われた古代文明の核であったとするなら、古代文明の遺産にはその魔法の原理そのものについての書籍、魔法書なども含まれるだろう。これらはグリモワなどと呼ばれるだろう実践的な本に限らない。魔法に関する理論書なども重要な「お宝」である。それらは魔法の学院などといった施設やそれに所属する導師に売ればいいだろうし、冒険者パーティーの魔術師が研究熱心なら自分で読むために保有したがるだろう。別に魔法書に限らず、法学や哲学の本でも文学作品でも研究者なり好事家なり、あるいは教養ある貴族に売ることもできる。

 実際の古代ローマは、冶金技術で特別中世ヨーロッパより優位にあったわけでもなく、中世ヨーロッパも盛期ともなればより優れた鋼の生産も可能になっていた。機械工学も、中世には機械時計の発明などもなされたが、しかし一方で古代にはアンティキティラ島のアナログコンピュータのようなオーパーツレベルのアーティファクトもある。
 古代ローマの芸術については、どちらかというと中世ヨーロッパの芸術水準が低すぎたという面もある。中世ヨーロッパは厳格なキリスト教により音楽を除けば芸術が抑圧されていた。
 魔法などは当然存在しないが、哲学や法学などが進んでいたのは確かだ。ただ、魔法の伝統自体は、古代ギリシアや古代ローマだけではなく、ゲルマンやケルトにもあった。またユダヤやオリエントも起源である。特に魔術におけるユダヤの伝統は強い。


 こういった遺物の中でも、特に書物として残るものは、現物がそのまま残っている必要がないという点で他の遺物とはややことなる。つまり、写本という形で、修道院や魔法の学院などの図書館に連綿と受け継がれている可能性もある。もし魔法が古代文明の産物であるのに現存しているとしたら、むしろそういった写本という形で伝わっていたのかと思える。とはいえ、修道院の図書館に魔法書が伝わっているかは怪しくもある。魔法の学院というのも、古代文明から直接続いていたということはあまりなさそうだ。設定的には、歴史が浅いことも多い。
 逆に、書物というのは物理的な性質上失われやすい面もある。状態が悪ければ腐敗もするし、火災や戦災で焼失もする。あるいは政治的意図で焚書される危険もある。ただ魔法書であれば保存魔法がかけられている場合もあるだろう。その場合は死海文書やナグ・マハディ写本のようにやはり冒険者たちが発見することもある。

 なお、こういった魔法書、魔術書は、極めて高い価値がつくこともある。かの有名なヴォイニッチ手稿は、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世が600デュカートで購入している。デュカート金貨は一枚で10万円~20万円の価値があるから、6000万円~1億2000万円に相当する。ヴォイニッチ手稿はインチキ魔術師エドワード・ケリーが作ったともされているが、いずれ魔術書と見做されていたと思われる。
 他のマジックアイテムの価値としては、聖王ルイ9世は聖遺物である茨の冠を1万あるいは13万リーヴルで購入している。現代の日本円にしたら億単位の金額になるであろう。聖遺物とは現実に存在したもののなかでは「マジックアイテム」に一番近いだろう。逆にいうとファンタジー世界の聖遺物とは何らかのマジックアイテムとしての魔法的「威力」があるはずだ。例えば聖杯伝説(グラール)において聖杯はあらゆる傷を癒やし、聖槍は癒えることのない傷を与える。ヒットラーはヴィーンのホーフブルク宮殿で聖槍を見て世界の支配者になるという霊感を得たという。
 芸術品の価値は、現代でもサザビーズなどのようなオークションではトップクラスの芸術品が10億円程度でやりとりされている。ファンタジー世界の貨幣でいうなら金貨1000枚とかするだろう。ただ中世ヨーロッパにおいて、現行の時代の絵画というのは、芸術ではなく「高価な工芸品」でしかなかった。だから工房の画家たちには大した金額は支払われていないこともしばしばだ。そもそも芸術という概念自体、啓蒙主義時代になって生まれたものだ。ただ、これは和朝の話になるが、安土桃山時代の芸術品、大名たちが国一国より欲しがった茶器などの当時の取引価格は、最高峰のものは現代の価値にして3~5億円程度かと思われる。


 古代ローマ、特に古代ローマ帝国は、文化という面でも「滅亡した古代文明」のモデルとしてふさわしい部分がある。それは皇帝を筆頭とした上流階級の文化的頽廃である。『皇帝列伝』などに記されているような記述は誇張があるなどとされているが、ローマ皇帝や上級市民たちの性的放埒、放縦、倒錯、またあるいは暗殺などの陰謀劇などは「文学の域」にまで達している。その筆頭格はかのヘリオガバルス帝であり、またネロ帝、カリグラ帝、コンモドゥス帝など様々だ。また、古代ローマは一方で人類世界の黄金時代と理想視とされていて、なおかつそれでも実情は奴隷社会に他ならなかった。
 つまり、古代ローマというのは、「自らの邪悪さと傲慢により滅んだ古代文明」という風格に相応しい「邪悪さ」と、それでいてなお人々を惹きつけてやまない「人類世界の黄金時代」という二つの側面を持っているのだ。これほど魅力的なモティーフはあるまい。


 なお、ファンタジー世界を時として実在の、人類の未来と想定して、古代の超文明というのを現代の科学と工業の世界として想定することもしばしば見られる。風の谷のナウシカはそうであるし、またJRPGによくある古代文明の「ロボット」というのもその影響かもしれない。
 これは魅力的な面もあるが、幾つか難点もある。
 まず一つは単純に魔法、魔術、超自然の入る余地がないこと。まあ、「十分に発達した科学は魔法と変わらない」という言葉もあるが。
 それから、現代科学技術のアイテムは、武器にせよなんにせよ、メンテナンスやエネルギーの供給が必要なことだ。「古代文明の」アサルトライフルが遺跡から出土しても、弾薬がなければ意味はないし、メンテナンスの技術や道具がなければすぐに故障して使い物にならなくなる。ハマーでもキューベルヴァーゲンでも、燃料がなければ動かないし、メンテナンスの道具やオイルがなければやはりすぐに使い物にならなくなる。電子機器に至っては、電力が必要だし、蓄電池があったとしても電力量に不安があるし、発電所など簡単に動かせない。無論、AIに完全管理された核融合発電所などありえなくもなかろうが。



 このブログは、大昔、日本にTRPGが上陸したばかりの頃、ドラクエなどによってCRPGが出現した頃、まだ日本人の多くがアーサー王もジークフリートもクーフーリンも一部のマニアしか知らなかったような時代に書かれたような、ファンタジー世界の紹介本に影響を受けて書き始めたものである。『ファンタジーRPG100の常識』とか『アイテム・コレクション』とかいった、なんというか今となっては古文書みたいな本の存在から影響を受けて書いている。文章が高慢なのは澁澤龍彦の影響だが。だから今のこのインターネット時代にこのブログにあるようなことを偉そうに書いてもどうしようもなくも思える。実際、ここより詳しくて丁寧な記事は幾らでもネット上に存在する。
 しかし『ファンタジーRPG100の常識』の書評みたいなのを書いているサイトが幾つかあるようなのだけれど、なんというかこんなRPG黎明期の、日本人がアーサー王もジークフリートも知らないような時代に書かれた本を、そうであることも考慮せず現代の視点で容赦なくこき下ろしているらしく、なんというか死体に鞭打つ感があってわびしくなった。それはアイザック・ニュートンの著作に「この男は相対性理論も知らない」などと書評するのと同じレベルだと思うのだが。先人への敬意の念などなにもないのであろう。
 しかもJRPGだのラノベファンタジーだの全体を見渡せば、用語の語彙だけ増やしただけで、『ファンタジーRPG100の常識』で指摘されたような中世ヨーロッパとの視座の転換というポイントに至っては後退劣化すらしている気もする。
 たしかに、この本にしても、中世ヨーロッパの庶民は芋を食べていたなどという明らかな間違いはあるのだけれど。
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ファンタジー世界の剣 [ファンタジー世界考察]


 中世ヨーロッパ世界で最も普及していた剣は剣である。英語でいうならソードである。剣は剣であり、ソードはソードであり、特に特別な呼び名はない。ソードワールド2.0などのように無理矢理多数の種類を用意する必要に迫られると色々な時代も文化もバラバラな呼び名をかき集めるのに必死にならなければならないが、ファンタジー世界でも恐らく剣は剣であり剣である以外特に剣だけで済むのだ。そこにあるのはいい剣と悪い剣だけである。
 ファンタジー世界において剣は主要な武器とされている。これは一つには当然中世ヨーロッパにおいても剣が主要な武器だったからである。中世ヨーロッパにおいて剣が好まれた特殊な理由の一つに、剣が十字架に似ているからというのがあった。時として高級な剣の柄頭には聖遺物が安置されることもあった。戦いに際してこの柄頭の聖遺物に口づけをする仕草が現在の敬礼の源流の一つになったともされている。
 しかし実際にはヨーロッパ世界に限らず、イスラーム世界であっても、中華世界であっても、和朝であっても、剣あるいは刀というのは主要な武器であった。適度なコンパクトさ、適度な重さであり、持ち歩くのにもよく、それでいて威力とのバランスもとれていたからであろう。槍はむしろ戦術的な兵器であり、戦場という開けた場所での集団での使用に合わせたもので、その長さから携行性に劣る。狭い場所での使用にも適さない。斧は、ヨーロッパでは文化的に蛮族のものとされていた面もあるが、威力は高いものの、コンパクトさ、持ち運びやすさの面や、重量といった点で剣に劣ったのかもしれない。鎚はヨーロッパにおける鎧の重装甲化に対して着目されるようになった武器であり、鎧の発展がヨーロッパ世界に比して進まなかった他の文化圏では威力不足の武器であった。長柄武器は、槍と同じで、兵器の部類であろう。槍と斧を併せ持った威力であったが、同時に長さや重さという欠点も併せ持っていた。
 剣は大変バランスのとれた武器であり、世界的に普及していたことは上記の通りである。使用するにしても、斬ることも突くこともできるのがいい。軽装甲の相手は斬るのがいいし、重装甲なら突けばいいわけだ。また、戦場の広さに余裕があり、人が密集していなければ斬るのがよく、戦場が狭かったり、人が密集していたら突けばいい。また室内のような限られた空間なら、むしろ斬るのは上下運動で済むので斬る方が戦いやすい。
 ヨーロッパ世界において、特に古典時代、ラテン圏では歩兵の密集隊形、つまり戦列歩兵が発達したため、歩兵に剣を使わせていたローマ共和国では、剣は突くことを主眼に使われた。また密集隊形であったため、剣は短くなった。これがグラディウスである。
 それに対して蛮族、つまりゲルマン圏やケルト=ガリアでは密集隊形や戦列歩兵をとるような社会的機構が発達しておらず、前線の兵士といえどまず個人主義で動く戦士であったので散兵が中心であった。彼らは個人の技倆に頼り大型の剣を振り回し、剣で断ち斬ることを主眼にして戦った。基本的に彼らはローマに劣勢であったものの、すべてがローマに屈することもなかった。
 この二つが恐らく、中世ヨーロッパの剣術の二つの流れ、ラテン系剣術とゲルマン系剣術に繋がったのかと思われる。ラテン系剣術は刺突を主眼にしており、ゲルマン系剣術は斬撃を主眼にしている。また、戦術的にも、ゲルマン圏では中世にあっても、個人プレイの傾向が強かったらしい。ただ中世ヨーロッパは全体的に、少なくとも古代ローマと比べ、騎士の個人プレイが基本であり、集団戦術というものの発展度が世界史的に見て低い時代であった。
 ちなみに斬撃と刺突では、斬るのと突くのとでは、当然ながら単純に比べるなら、斬るほうがダメージが高い。何故なら突くのは点に過ぎず、斬るのは線であるから、傷の大きさが違う。針で刺した傷とメスで切開した傷を比べてもわかる。強力な斬撃なら腕でも首でも断ち切れるだろう。しかしチェインメイルやプレートアーマーなどの重装甲が兵士などに普及しているのであれば、そうもいかなくなるわけだ。


ロングソード
 ロングソードというのはファンタジー世界では一般的な呼称だが、中世ヨーロッパに着目するなら、中世ヨーロッパでも盛期になってから現れた言葉であり、それまでは別に長めの剣は長いからロングなだけでロングソードが特別なにか特定の武器を指したわけでもない、ただの長い剣という意味でしかなかった。
 ロングソードは、騎士による戦争が発展し、馬上で取り回すために長めの剣を求められたために特に生まれた剣の分類である。それまでは剣を長くするには単純に巨大化させるしかなかったが、そうすると馬上での取り回しも面倒である。しかし、剣に樋を作ったり、鋼の冶金技術が発展しため、馬上でも取り回しやすい長くてさほど幅広でもない重くもない武器が現れた。これがロングソードと敢えて呼ぶ場合のロングソードである。

ショートソード
 ロングソードの逆である。ロングソードという分類ができたので、それに対して短めの剣をショートソードと呼ぶというのが分類としてはショートソードなのだろう。
 とはいえ、ローマ歩兵の使ったグラディウスなどのように短い剣は普通に使われてきたし、それらは短い剣なのであるからショートソードである。
 敢えてショートソードといった場合、これはロングソードの登場にあわせて登場した短めの剣を指す。というよりはロングソードに比べて短いからショートソードなのでそれほど目立って短いわけではない。馬上で振り回すロングソードに対して、下馬した重装歩兵、マンアットアームズが戦場で密集した状態で振り回すのに短めのショートソードが発達した。密集した状態だと、当然振り回して斬撃するより刺突したほうがやりやすいので、ショートソードは突いて攻撃するのが主要な攻撃手段になる。また、マンアットアームズ同士が戦うという性質上、斬撃より刺突の方が効果的である。重装甲だから斬るより突くほうがいいのだ。
 どちらにしても、短く軽い、力のない人間でも扱いやすくロングソードなどより威力の劣る剣としてショートソードが存在したわけではない。

グラディウス
 今までも述べてきたが、古代ローマの軍団兵が使っていた短めの剣である。当然ながら中世ヨーロッパの剣ではない。古代ローマ軍団兵は密集隊形の戦列歩兵なので短めのグラディウスで突いて攻撃するのがよいとされてきた。しかしグラディウスが短くなったのは、ポエニ戦争の頃のことで、由来はイベリアの短剣で、そうさせたのは大スキピオだともいう。そして帝政がはじまってしばらくしたらまたローマ軍団兵の剣は長くなったのだという。五賢帝の頃には確実に長くなっていたようだ。
 グラディウスは古代ローマ独自の特殊な剣ともいえるから、ファンタジー世界にグラディウスが登場する必然性は疑わしい。古代魔法帝国などは古代ローマ帝国をモデルにしていそうだが、魔法の世界なのだからグラディウスがあるかも怪しい。
 結局ファンタジー世界にグラディウスがあったとしても、それはただのショートソードである。

グレートソード
 大きな剣。基本的には両手で扱う、両手でないと扱えないような剣をグレートソードと呼ぶ。
 当然威力は高いが、振り回すと疲れるし、集団だと邪魔だし、狭い場所でも邪魔だし、長くて重いから動きも遅い。実用性にはやや乏しい。

トゥーハンドソード
 両手で持つ剣という意味の両手持ち剣。要するにグレートソード。兵器としてはドイツで発達したらしい。なので仔細は後述のツヴァイヘンダーの項目で述べる。

クレイモア(両手剣)
 スコットランド特有のグレートソード。名前もゲール語が由来である。
 両手持ちだが、グレートソードに比べて短く作られており、素早く振り回せるのが利点である。鍔につけられた三つのリングの飾りも特徴である。
 しかしクレイモアにはもう一つある。それは啓蒙時代の、片手持ちのブロードソードをスコットランドではクレイモアと呼んだ。しかし両手持ち剣のクレイモアと片手持ち剣のクレイモアではまったく別のものを指す。片手剣のクレイモアについては後述する。

ツヴァイヘンダー
 ドイツ発祥の両手持ち剣。日本ではツヴァイハンダーなどと呼ばれるがこれは新紀元社の誤読が広まった結果である。
 剣の根元部分には刃のないリカッソと呼ばれる部分があり、革で巻いて手で持てるようにしてある。この場合武器の重心としては、持ち心地としては長柄武器に近くなる。このリカッソは中世後期以降流行ったらしくサイズの小さい剣にもリカッソがあるものが見られたと思う。レイピアにもある。
 この長大な剣でドイツの傭兵隊ランツクネヒトはスイス傭兵などの密集隊形を組んだスイス傭兵のパイク兵のパイクを断ち切っていったなどというが、最近新紀元社ソース情報を信じていいものかわからない気がしてきてなんともいえない。ソースはありませんとか書いているブログが何言っているんだという気もするが。そもそもこの記事を書くのに現に参考にしているのは新紀元社の本だし、私のファンタジー知識もその多くが新紀元社によってもたらされたというのに。

フランベルジュ
 フランス語でフランボワイヤンと呼ばれる火焔模様がデザインされた、波打った刀身を持つツヴァイヘンダー。日本ではフランベルジェなどと呼ばれるがこれは新紀元社の誤読が広まった結果である。
 ゴシック様式の教会などの縁の部分が波打っているのを見ることができるが、あれがフランボワイヤン様式である。
 有名なことだが、刃が波打っているため、人体を斬ると鋸のように肉がえぐれて激しい苦痛をもたらし、また傷を治りにくくする。見た目の華麗さとは対照的に実に残虐な武器である。見た目の華麗さから二次元女キャラに持たせることも多いが、こんな残虐な武器を持っている女には嗜虐趣味があるとしか思えない。
 なおドイツ語ではフラムベルクと呼ぶが、これはフランボワイヤン様式の刃を持ったレイピアを指すので、フランベルジュとフラムベルクは刀剣学上別の剣を指す言葉である。

エクセキューショナーズソード
 中世後期に登場した斬首刑に用いられた大型の両手剣であり、首を刎ねるためだけの武器であるから戦闘には用いられない。だから武器ともいえない。日本ではエクゼキューショナーズソードなどと呼ばれるがこれは新紀元社の誤読が広まった結果である。
 そもそも武器ではなく処刑器具と見るべきであり、冒険者が使うことはありえないが、中世ヨーロッパのものなのでファンタジー世界にもあるかもしれない。
 武器ではない証拠でもないが、この剣には切っ先がない。先端が丸くなっている。だから突き刺すのに使えないし武器にはならない。
 ただ、切っ先のない剣としては、現在英国王室のレガリアとして伝わっている、シャルルマーニュのパラディンであったオジェ・ル・ダノワの剣カーテナというものがある。これはトリスタンが持っていた時に刃こぼれしたのだとも、オジェ・ル・ダノワの身体のサイズに合わせて短くしたのだともいわれてる。

バスタードソード
 言葉の意味は「合いの子剣」「私生児剣」である。どちらにしても「二つの特性を持った剣」という意味である。従来からの説明では、片手でも両手でも使える剣とされてきた。しかしまた別の説としては、斬撃でも刺突でもどちらでも使える剣という意味だといわれている。つまり斬撃のゲルマン系剣術でも刺突のラテン系剣術でも使える、ゲルマンとラテンの合いの子、私生児という意味である。この場合、斬撃は両手で、刺突は片手で行ったのかもしれない。また、この説に従うのなら、そもそも大きさは基準にしなくてもいいように思える。

レイピア
 細剣などと呼ばれることもある、刺突を目的とした剣であることは有名である。
 しかしそもそも中世ヨーロッパには存在しなかった。この剣はルネサンス以降、プレートアーマーが廃れてから登場した。だから前も書いたけれど、レイピアは鎧やチェインメイルの隙間を狙って攻撃する剣ではない。鎧を着ていない相手に戦う剣である。マスケットが普及して以来、鎧をつけているのは胸甲騎兵くらいになって誰も鎧などつけなくなったので、発達した。つまりそもそもが鎧がないことを前提として発達した剣である。そして鎧の存在しない中では十分威力のある強力な剣であり、非力なものが持つために細くなった威力の劣る剣ではない。戦場で使う剣ではあるものの、戦場の主役は完全にマスケットであったため、予備の武器として使われた。
 中世ヨーロッパには存在しなかったのだから、中世ヨーロッパをモデルにしたファンタジー世界には存在しないはずではある。ファンタジー世界は鎧が発達しているのだから、レイピアが活躍する余地はないはずだ。
 ただ、冒険者は、シティアドベンチャーなら鎧を着込んでいないこともあり得るし、冒険者は行動の自由さが重要にもなるからそもそも重装甲の鎧をつけないかもしれないのだし、鎧を着込んでいない相手が想定されるケースはあるから、レイピアが皆無とは言い切れない。
 まあ、ファンタジー世界の構築理論として、やりたいことをなんでも、可能な限り矛盾を抑えて詰め込むというのがあるだろうから、レイピアを登場させることは不当ではないし、そうであるのならレイピアが存在する理屈をこねる必要もある。
 なおレイピアは細くて軽いので非力なエルフが持つというファンタジー世界的認識もある。なのでファンタジー世界でレイピアが発達したとしたらエルフ社会特有の剣として発達したのかもしれない。これもそもそもエルフが狩猟社会なのか採集社会なのかどういう生産基盤なのかも不明だし平和を愛するらしいエルフ同士は争いをしないみたいな設定も見られるしなんともいえないところがある。
 またレイピアのもう一つの有名な側面は、ルネサンスらしい華麗華美な剣の拵え、装飾にある。発達したレイピアなどは、ぱっとみてどこをどのように使うのかわからないくらい複雑に装飾されている。ツヴァイヘンダーと同じくレイピアにもリカッソがあり、指をかけて戦ったらしい。

フラムベルク
 ドイツ語でフラムベルクと呼称した場合、フランボワイヤン様式の刃を持つレイピアを指す。フランベルジュと同じく、傷口をかき回し肉をえぐるため、傷は痛くて治りにくい。

スモールソード
 レイピアと同時期に発達した剣である。市民が護身用に持ったらしく、いずれにせよレイピアと同じく鎧の存在しないことを前提としている。
 まあ字義は小さな剣である。ショートソードは軽くて使いやすくさせるために短くなったわけではないが、スモールソードは軽くて使いやすくさせるために小型化した剣である。
 鎧が存在しないことを前提としているけれど、レイピアから発達した、スモールなレイピアであるから、どちらかというと刺突を前提としている。
 豊かな市民、つまりブルジョワが持つことも多かったし、スモールソードはレイピアのように装飾が施されることが多かった。

タック、エストク、コリシュマルド、メイルピアスィングソード
 中世ヨーロッパに存在した細剣。
 こちらはレイピアと違って刃がついておらず、純粋に刺突にのみしか使えなかった。両手で扱う剣であり、巨大な針といった形状だった。
 そしてこれらの剣はレイピアの誤解された用法、つまり鎧の継ぎ目などの隙間やチェインメイルの隙間を狙うという用法の剣である。ただ実戦としてはこの剣で戦ったというよりは、とどめを刺すのに使う方が多かったらしい。
 どちらにしても重装甲の相手に特化した武器である上に、扱いづらいから、メジャーな武器にはならないだろう。冒険者にはほとんど用途がなさそうだ。

エペ
 フランス語で剣。だから剣のことであるけれど、エペと敢えていう場合、様式化したフェンシングでの使用を前提とした細剣を指す。中世どころかルネサンスを通り越して啓蒙主義の時代に発達したので、そういう意味では中世ヨーロッパ風ファンタジー世界とは縁がないはずである。
 この剣は決闘によく使われた。なにか民事で揉めたら、法廷で民事訴訟を起こすのではなく、決闘で理非を決めるのである。もちろん決闘の結果次第で、どんな不当な主張でも、飲んだり飲まさせたりするわけである。この伝統は古代ゲルマンの神明裁判に遡れるが、神明裁判も決闘も世界中で行われていたことである。決闘は19世紀でも普通に行われていた。現在の法体系では、大抵の近代国家なら、民事の揉め事は民事訴訟で解決するべきとされており、決闘は禁止されている。
 というわけなので、ファンタジー世界では民事訴訟の代わりに決闘は日常茶飯事であっただろうし、冒険者がそれに、決闘代理人を筆頭に様々な形で介入することはありそうだが、しかしそこで使われるのは普通の剣であり、啓蒙主義時代のエペではあるまい。

フルーレ
 エペよりも更に様式化の進行したフェンシングを目的とした細剣。ファンタジー世界ではなんの利用価値もないだろう。
 またフルーレは柄の持ち方も様式化が進んでいるため、特にベルギー式フルーレなどは珊瑚の枝みたいな柄の形状をしている。

ブロードソード
 幅広の剣という意味の剣。幅が広いというのは、普通の剣と比べてではなく、レイピアと比べて幅が広いという意味である。比較対象が比較対象なので、要するにただの剣である。別に幅がそんなに目立って広いわけではない。
 レイピアに比べて幅広なのだから、当然ながらレイピアの時代の剣である。つまり中世ヨーロッパには存在しなかった。だから中世ヨーロッパ風ファンタジー世界にも本来なら存在しないはずである。ソードワールド無印ではブロードソードが標準的な剣になっているが、本来ならおかしい。
 レイピアに対して明らかに斬撃に使われた。といってもすでに戦場の主役はマスケットであった。ブロードソードを使ったのは主に騎兵である。馬上から振り下ろして斬撃するのに使われた。
 ブロードソードの特色の一つは、柄を覆う籠状ヒルトである。これはスキアヴォーナと呼ばれるらしいが、スキアヴォーナはヴェネツィアで発達したブロードソードの名前とかとも聞いた気がする。どちらにしてもこの名前はヴェネツィア共和国のドージェ護衛隊のスラヴ人部隊に由来する。
 ブロードソードは色々な国で色々な呼称がなされ、またその幾つかには細かな特徴もあった。ワルーンソード、レイテルパラッシュ、バックソード、クレイモア、カッツバルゲルなど色々ある。しかし個々の剣については解説しない。

サーベル
 騎士の時代が終わって騎士がいなくなったあとの、啓蒙主義時代の騎兵の剣。彼らは、ウーランやフサリアと呼ばれる一部の槍騎兵を除いてランスも装備していない。
 サーベルの外見はブロードソードより細長く見えるが、十分な重さがあり、馬上から振り下ろして斬撃を加えた。また、騎兵突撃する際は前傾姿勢をとりつつ肩から腕を突き出し剣を前方に構える。
 サーベルの形状は大きく三つに分けられる。直刀、半曲刀、曲刀である。曲刀の方がよく見かけるように思われ、サーベルは斬撃に主眼を置いた武器とわかる。また一方でサーベルの切っ先は槍状に尖っていたり、疑似刃といって剣の先の三分の一だけ両刃になっていて、刺突にも使用されていたことがわかる。
 こういった騎兵の曲刀の伝統は東欧やオリエントからのものかと思われる。

バックソード、パラッシュ
 サーベルに似た刀剣だが、こちらは刺突を主眼にしたもので、斬撃には適していない。ウーランやフサリアなどの槍騎兵が使ったようだ。切っ先が槍状あるいは疑似刃により尖っていた。もちろん啓蒙主義時代の剣であるから中世ヨーロッパには存在しない。
 なお片手剣のブロードソードのクレイモアのこともバックソードというため面倒である。

サクス、スクラマサクス
 中世暗黒時代以前、サクソン人をはじめ北欧系の戦士たちが使っていた片刃の剣。ゲルマン系の伝統は斬撃と書いたが、まさに片刃の斬撃のための剣である。中世暗黒時代であるから、古い剣の形状である。サクスはナイフを意味するので、短いものであった。スクラマサクスは殺傷用ナイフとでもいった意味で、やや長大だった。
 アーサー王時代はこのサクスを使っていたはずなのでエクスカリバーが片刃のスクラマサクスであってもおかしくはない。

フォールション
 中世ヨーロッパで使われていた大振りの斬撃剣。片刃で、湾曲した刃を持っていたが、棟は真っ直ぐで、曲刀ではない。サクスが起源ともされているが、それよりもアラビア世界からの影響と思える。重さで断ち切るデザインになっており、小さいものではないが、片手で扱う。軽装甲の相手なら有効だろうが、重いから振り回していると疲れる。片刃なので、よく抜き身のまま肩に担ぐところを絵に描かれている。重いけれど、あまり長い剣ではないので、また攻撃方法も単純に上から振り下ろすのが基本だから、室内などの狭いところでの戦闘には適している。

ハンガー、カットラス
 歩兵用の短い、断ち切るための曲刀。発想としてはサーベルを歩兵が扱うために短くしたというものであり、歴史に登場したのもかなり遅い。東欧発祥の武器である。
 船乗りが愛用するのはカットラスと呼ばれるが、これも歴史は浅い。カットラスは船上でも扱うので、短さが有利につながる。また、帆船のロープ、索具を断ち切るのにも使われたようだ。


冒険者の剣
 冒険者の剣はどのようなものがふさわしいか。冒険者は兵隊や騎士ではないのだから、つまり歴史に直接範を求められないのだから、ファンタジー世界では冒険者向けに独自の剣の様式が発達しているのではなかろうかとも考えられる。
 まず冒険者は、長時間の移動や探索が行われるだろうから、剣にも携行性が求められる。つまり大型の剣は忌避されやすいのではなかろうか。また、敵対する存在も、人間であれば山賊や追い剥ぎのような、あまり重装甲とも思えないような相手が多そうだし、ゴブリンなどの妖魔がプレートアーマーなどを製造できるとも思えない。また、冒険者は地下遺跡などや室内といった狭い場所で戦う必要もある。なので、そう考えるのなら、コンパクトで、斬撃に重きを置いたような、中世には存在しないサーベルやブロードソードに近い剣が冒険者にとって主流なのかもしれない。まあレイピアは存在しそうにないから、ブロードソードとは呼ばれないだろう。
 とはいえ冒険者も装甲の硬い相手と敵対することはないわけではないだろう。人間、マンアットアームズなどを相手にする可能性は比較的低くはある。何故なら、マンアットアームズなどというのは基本的に統治者の側、騎士や貴族やその兵士に多いだろうからであり、そんな統治者に叛逆するような真似は、一時的にならともかく、恒常的なものにはなりそうにない。叛乱軍、レジスタンスが主体になるシナリオキャンペーンならあるだろうが、冒険者はリスクを嫌う職業であるから、冒険者一般に考えるならそれほど頻繁にあることではない。
 妖魔などといわれる準知的生命体の場合、上述の通りプレートアーマーなどを製造する能力もなく、あってもせいぜいが人間から奪ったチェインメイルくらいだろうか。だからそこまで重装甲にはなるまい。
 あるいは不死者、アンデッドであれば、場合によっては重装甲な場合もある。マンアットアームズがアンデッド化したらそれは悪夢かもしれない。もっとも、アンデッドにはそもそも普通の武器が通用しない場合も多いから一概になんともいえないところがあるが。
 ゴーレムなどは厄介であろう。そもそも石や金属でできたゴーレムなど、普通の剣では通用しない。グレートソードであっても剣の方が折れかねない。むろん、グラムあるいはバルムンク、またはデュランダールのように岩や鉄床を一刀両断できる伝説の剣も存在するわけだが、それこそ一部の「英雄」しか手にする機会はないだろう。ファンタジー世界であれば、古代魔法帝国みたいなのが作った魔術の剣、エンチャントウェポンが存在するから、グラム=バルムンクやデュランダールのような活躍もできるだろうけれど、それだってそれらが普及しているというわけでもない。だからそもそもゴーレムなど出てくるのであれば、むしろ予備の鎚などが必要になるかもしれない。
 そういう視点では、ゴーレムなどは別格としても、冒険者の剣は、斬撃を主眼に起きつつも、重装甲の相手にも対応できるような、斬撃にも刺突にも使えるバスタードソードなのかもしれない。
 だから冒険者の剣の主流は、斬撃重視のブロードソードか、斬撃刺突両用のバスタードソードになるのではなかろうか。いずれにせよ携行性や継戦能力の面からコンパクトなものが好まれるだろう。


名剣
 価値の高い武器の、価値の高さというのは、四つの要素がある。拵えなどの装飾品としての価値、由来や伝承からくる価値、威力という価値、最後に刀身そのものの価値である。
 拵えなどの装飾品としての価値はわかりやすい。日本を除けば、西洋に限らず単純に価値の、特に美術品としての価値の高い刀剣といえばこれである。鍔や柄頭、鞘などを金や宝石で飾ったりするわけである。あるいは刀身に金などで象嵌を施すこともある。しかしこれは純粋に美術品としての価値でしかない。現在、ヨーロッパの美術館には誰々の使った剣などというのが展示されているが、価値としてはこの意味での価値しかないのがほとんどだ。
 由来や伝承で価値ある名剣というのは、例えば上述の英国王室のレガリアであるパラディンであったオジェ・ル・ダノワのカーテナ、ルーヴル美術館にあるシャルルマーニュの愛剣ジョワユーズ、ヴィーンのホーフブルク宮殿にある聖槍別名ロンギヌスの槍、そしてまた本朝は熱田神宮に保管されているといわれる草薙剣などである。もしもグラム=バルムンクやデュランダール、カラドボルクやフラガラックなどが現実に存在したらこの要素での価値は比類ないものであるだろう。デュランダールは存在しないけれど、ジョワユーズやカーテナは一応そうであるとされるものが実在するのである。Fateの世界ではフラガラックが、フラガラックそのものが実在現存するけれど。
 威力というのは、剣本来の最も重要な価値のはずであるが、現代的な価値はほとんどない。それに、剣が現役であっても、剣はそこそこ折れやすいので、威力の強い剣は当然高い価値だったとはいえ、名剣と呼ばれるまでに大事に扱われるのに至らないかもしれない。とはいえ、剣が現役の時代にあって、剣の価値といえば威力が一番の価値だったはずだ。ジョワユーズ、カーテナ、聖槍などは現存しているが、正確には現存していることになっているだけであって、その威力の程は疑わしい。聖槍には、一度つけた傷は治らないとか、手にした者は世界を手に入れるみたいな伝承があるけれど、現在ホーフブルク宮殿にある聖槍にそんな力があるわけがない。そもそもジョワユーズもカーテナも聖槍も本物であるのかわかっていない。それにジョワユーズやカーテナは別に切れ味など問題にされたこともなく、存在する価値はただ魔術的意味を含めた伝承の存在だけなのだ。だいたいが、ファンタジーの名剣とはただ物理的な威力だけではない、超自然的な威力、魔術的な威力があるのであり、ファンタジー世界とはそれが実在する世界のことである。ファンタジー世界なのであれば、ヴィーンのホーフブルク宮殿にある聖槍にも、一度つけた傷が癒えない力や、手にした者が世界を手に入れる力があるのである。ちなみにFate世界の実在するフラガラックには、そういう威力が実際に存在するわけである。そもそもFate世界のフラガラックはエネルギーをまとった球体だし。ともかくも、特にヨーロッパの伝承の名剣は、物理的な鉄の剣を遥かに凌駕した魔術的な威力を誇っている。岩や鉄床を切り裂くデュランダールやグラム=バルムンクなどはまだ生易しく、一度投げれば無数の槍に穿たれるゲイボルグなど、明らかな超自然的威力なのであり、そしてファンタジー世界はそれが実現する世界なのだ。まあさすがにデュランダールやゲイボルグのような武器はそうそうベテラン冒険者でも手に入らないが、魔法で切れ味の増幅されたくらいの剣ならそこそこ普及している世界も多い。
 最後に刀身そのものの価値である。現存するジョワユーズやカーテナには、実は刀身には別に価値はない。ただの、まあ高品質かもしれない剣でしかない。由来や伝承が重要なだけだ。聖槍に至っては言ってしまえばただのローマ兵の槍に過ぎず、考古学的価値しかない。西洋刀剣は品質の上下はあるだろうけれど、しかし西洋刀剣の価値は、基本的には装飾的価値から見た美術品としての価値か、伝承や由来に基づいた価値しか評価されない。世界的な例外は日本刀だけである。日本刀は世界でも例外的に、拵など一切関係なく、刀身そのものに美術品としての価値がある。その証拠に、世界の美術館で展示されている刀剣は拵えの施された状態で展示されており、それ以外考えられないが、日本刀は普通、美術館に展示される時、刀身だけが裸の状態で展示される。言い方は悪いが、ジョワユーズやカーテナが刀身だけ展示されていてもなんの価値もないのだ。


剣術
 西洋の剣術については詳しくないので、語れるといえばゲルマン系剣術とラテン系剣術の違いくらいである。
 この項目は、単に悪態をつくためだけに最後に蛇足として設けた。
 JRPGやラノベファンタジーでは、登場人物たちが「奥義! ナンチャラカンチャラスラーッシュ!」とか叫んで「技」なるものを繰り出すシーンがあるわけだけれど、しかしまあ僅かな想像力でもあればこれがへそで茶を沸かすような荒唐無稽なお遊びごとであることはわかるわけだ。
 こんな間抜けな風習が生まれたのは当然コンピュータRPGのせいである。コンピュータRPGの戦闘システム上、そういう技というのがあると面白いから作っただけで、またコマンドとして名前をつけて作る必要があるから作っただけで、現実的な戦闘でこんなこと叫んでいたら失笑ものだろう。
 まあ、アホくさいので責める気にもならないので勝手にしてくださいといった程度だけれど。
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ファンタジー世界の雑談 [ファンタジー世界考察]

 雑談というか、最近の反省。


 この前、売春について書いた際に、「売春は世界最古の職業である」というのを冒頭に掲げるのを忘れて大変遺憾な思いをした。これが誰の言った言葉なのか軽く調べてみようと思ったが不明であった。
 しかし検索すると、なぜだかこの言葉にケチをつけようとするよくわからん記事が多数散見された。まあぱっと見た感じ浅薄皮相なことしか書いていなさそうだったけれど。こんな誰が言ったのかもわからない古典的格言にケチをつけてもどうしようもないと思うのだが。そういう意味では私は大変保守的である。

 トイレットペーパーについての補足。
 中世ヨーロッパではうんこをしたあといったい何でケツを拭いていたのか。王侯貴族は、羊毛やレース、リネンなどで拭いていたらしい。それ以外だと、木の葉、草、かんなくず、おがくず、干し草、苔、砂、石、ボロ布などがあるらしい。木箆などは古代日本に特徴的なもので他の文化圏にはなかったようだ。日本の糞箆を籌木というそうだ。古代ローマでは海綿を使っていて、これは再利用されていたらしい。思い起こすと、そういえば古代ローマでは海綿を使っていたと聞いたことがある。


 香料の項目で宗教的法悦について触れた。香料はなんといっても宗教的法悦のためというのが第一であって、体臭をごまかすのはその次であった。
 しかし現代日本人にとって宗教的法悦などいかに程遠い存在であることか。現代日本人には概念を想像することすら困難であるかのように思える。多くの現代日本人にとって宗教など金に塗れた無駄な形式主義だけで構成された儀礼としか思われていないのかもしれない。現代日本人が宗教というと場合によっては新興宗教しか思いつかないことすらありうる。あるいはアブラハムの宗教、特にイスラームのテロやイスラームとキリスト教の対立を見て多神教の日本は優れているなどと悦に入るのがせいぜいだろう。
 だからこそ日本のファンタジー世界において宗教という要素は殊更軽視されているか、誤解されている。中世ヨーロッパはキリスト教の支配する世界であったが、現代日本人には少しも理解できないから、日本のファンタジー世界は決定的にこの視点が缺落している。だから中世ヨーロッパ風ファンタジー世界なのに現代的な無神論が通じたり現代的な新興宗教が存在したりする。
 だいたい現代日本人の中には軽々に無神論者を名乗る軽率な輩がよくいるが、彼らの大半は特定宗教を崇拝していないというだけであり無神論者というほどのものではないことが多い。また、アブラハムの宗教の信者からすると無神論者というのは、いわば宗教的テロリストであり、危険人物と看做される。特にイスラム教国、即ちイスラームのクルアーンなりシャリーアなりがそのまま法律として適用されているサウジアラビアやイランでは、入国時に宗教を書く項目があるのだが、無神論などと書いたら最後、悪魔以下の危険人物と見做され法的保護すら受けられない可能性がある。

 別にファンタジー世界の宗教がアブラハムの宗教のごときものでなければならないわけではない。だがそれにしてもジャパニーズラノベファンタジーの宗教はカジュアルで現代日本人の想像の地平から飛び立っていない。

 先日書いたCardWirthの「第一歩」の批判も主眼はこの辺であった。
 いや、実のところ読者に現代日本人を想定するのは当り前だが間違ったことではないのだし、このシナリオは現代日本人に中世ヨーロッパ風ファンタジー世界での多くの場合省略されている、死や恐怖を呼び起こすのに秀逸な作品ではある。とはいえやはり私などが読んでみると主人公が中世ヨーロッパ風ファンタジー世界の住人などではなく、現代日本の都会人が転生したら普通の冒険者だった件みたいに見えてしまう。
 この作品での主眼は「殺人の価値」ではあったけれど、これが宗教になるとジャパンファンタジーは悲惨極まりない。
 その点で秀逸極まりないCardWirth作品といえば傑作で有名なFuckin'"S"2002の作品とかであるけれど、他にはあまり思い浮かばない。

 色々文句をつけたけれど私にしたって別に中世ヨーロッパの宗教的雰囲気であるとか宗教的世界観を知悉しているわけではない。私がここで批判している対象と違う点があるとしたらせいぜいが多少の自覚と予備知識の有無に過ぎない。
 一応他の一般的日本人以上には宗教的法悦の感覚を知っているくらいには思ってはいるけれど。

 まあだから偉そうに色々書いても、あんた自身はどうなんだといわれたら実のところ大したことはないのだとも思わないでもない。実際、私だってそこそこジャパニーズラノベファンタジーを享受しているのは確かだし。CardWirthは敢えていうならほぼほぼ素人が書いているから粗が目立つのに過ぎない。
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ファンタジー世界の臭いと香料 [ファンタジー世界考察]

 ファイアーエムブレムifを中断していたのを再開したが、やはりつまらない。その理由は繰り返しになるが、ゲームとしてもつまらないし、シナリオもつまらない。ゲームとしてはやはり攻陣防陣で無駄に複雑化されたのが駄目で、戦闘予測が立てにくく、駒を操るタクティクスゲームとしての楽しみを煩雑にさせて削いでいる。
 シナリオは言うまでもない。本当につまらない。キャラが類型的になって萌えを打ち出したのを批判されるのをよく見かけるけれど、私としてはそれ以前に、もちろんこちらも批判の的だが、シナリオそのものが面白くない。暗夜白夜なんてことをしないで、シリーズ伝統の辺境で叛乱起こすのでも受け継いだほうがまだましである。私個人としてキャラには嫌う要素はそこまではない。というかここまで来ると、ゲームもシナリオも駄目なのであとはキャラ萌えくらいしか楽しめるところがない。


 久しぶりにCardWirthをプレイして、ずっと昔に作った新キャラを動かしてみた。それではじめてのシナリオなので圭作の「第一歩」をプレイしてみた。このシナリオについては前からどちらかというと批判的に取り上げてきた。
 再度プレイしてわかったが、このシナリオの描写は、現代日本の都会人に最適化するように書かれているところが多い。特にはじめての野宿の描写などはそうである。問題なのは、現代日本の都会人に向けて書いたというのを通り越して、現代日本の都会人を主人公と想定して書いているということである。もしこれが『異世界転生したら普通の冒険者になっちゃってその第一歩』みたいな掃いて捨てるようなものだったら、この作品での描写はいささか白眉なものであったかもしれない。しかしCardWirthのシナリオはそういうものではない。主人公はあくまで中世ヨーロッパ風ファンタジー世界の住人なのである。それを前提にするとおかしい。
 前から散々書いた殺人の価値観も同じである。殺人の価値観を現代日本人に準拠させて書いてある。いや、確かにCardWirthプレイヤーは現代日本人なのだからそれ自体に問題はないのだが、この作品は上記の通り異世界転生した現代日本の都会人が主人公みたいな書き方になってしまっているのである。
 この作品のやたらくどい描写は、確かに往々にして軽々に扱われているファンタジー世界での殺人や冒険の負の部分を描き出すのに功績はあるのだが、しかし再度プレイしてみたところ、問題なのは現代日本の都会人に向けて書かれているのを通り越して、現代日本の都会人を主人公と想定して書いてしまっているのが問題なのである。
 ただ補足はしておくが、このシナリオはCardWirthシナリオの中でも白眉の作品である。


 以前、ファンタジー世界の腋毛というどうでもいい記事を書いて、アクセス解析を見るとそこそこ人気なのだったりする。
 ところで西洋美術を、絵画や彫刻を見て思ったのだが、もしかしたら中世ヨーロッパの住人は腋毛を処理していたのではなかろうか。
 というのは、西洋美術、絵画や彫刻の登場人物たちはちゃんと腋毛を処理している……のか、腋毛が描かれていないからである。絵画や彫刻は当時の風俗を表している可能性は高いので、当時から腋毛を処理していた可能性は高いのかもしれない。
 ただ陰毛は処理していない可能性もある。有名な「裸のマハ」は陰毛を描いたことでフェミニストのテロの対象となった。またダヴィデ像にしても陰毛は豊かに生えている。
 ちなみに西洋美術の男性の陰茎は、基本的に大きくない、むしろ小さい。しかしこれは西洋男性の陰茎が実際に小さいからではない。彫刻などであまりに大きなものがぶら下がっていると美観上醜いので適度な小ささにしてあるらしい。別に白人の陰茎が小さいわけではない。
 陰茎が巨大な、巨根の男性について、第三の脚、英語でディックと呼んだりする。ディック・ミネなどは巨根だったからディックと名乗った。ただディックが巨根を示すスラングになったのは19世紀の話であるから、人名のディックはディック・ミネを除けば別に巨根という意味はない。
 女性の乳房が巨大な方がいいというのは、ヨーロッパに源流がありアメリカで発達したあくまでも局地的な、ごく限られた文化であるのにすぎないが、巨根の男性が好まれるのは古今東西共通している。これは性行為の形式上仕方がないことである。女性の魅力の基準は人により様々なところがあるが、男性の陰茎については大きさこそがすべてで優劣がつくのである。まあ陰茎は使用時の大きさや堅さが問題なのであるから、平常時に小さくても使用時の膨張率次第なところではある。また、死んだマグロより生きのいい小魚の方がいいという意見もある。とはいえ、小さな乳房などは私のように好む小さな乳房を男性もいるわけだが、小さな陰茎を好む女性は理論上存在しないので、やはり残酷な格差社会ではある。生きのいい小魚よりは生きのいいマグロのほうがいいに決まっているのだ。



 ここからが本題。

 ファンタジー世界の街を、夕方歩いていると、そこらへんの屋台で肉を焼いていたり鍋で何かを煮ていたり芋を揚げていたりと、美味しい匂いが漂ってきて、冒険者たちが食欲をそそられるというのは比較的定番の描写に思える。

 多分ファンタジー世界でそういうことはない。

 とにかく中世ヨーロッパというのは臭かった。まずなんといってもトイレの処理が問題である。
 中世ヨーロッパのトイレは、都市部であれば、屋外に突き出た木のテラスみたいなところにある桶みたいなところで排泄するか、屋内のおまるで排泄して、そのまま路上にぶちまけて捨てるのが基本である。つまり中世ヨーロッパの都市の路上には屎尿が普通にぶちまけられていた。ちなみに農村だと家の外の、だいたい家から石を投げて届くくらい離れたところで、「自然の中で」するのが普通であり、トイレそのものがなかった。城にはトイレがあり、そのまま堀などに流れ出るような具合になっていたが、しかし戦争の時はこのトイレの排泄口をよじ登って城に潜入することもあった。
 トイレつながりで、余談。兵士の五人に一人はうんこを漏らすと書いたが、全員うんこを漏らす兵士もいる。飛行機のパイロットである。単座複座三座の小型飛行機にトイレなどあるわけないので、おむつをつけて垂れ流しである。女性パイロットもやっぱりおしっこうんこ垂れ流しである。飛行機乗りが王女みたいなのを複座飛行機で長距離飛行させるみたいなラノベもあるが、あのときも王女はおしっこうんこ垂れ流しである。ロボットものも、コックピットにトイレはないだろうから、ララァ・スンもハマーン・カーンもクェス・パラヤもおしっこうんこ垂れ流しである。綾波レイも惣流・アスカ・ラングレーもおしっこうんこ垂れ流しであるけれど、エヴァンゲリオンのプラグは特殊な生理食塩水みたいな液体で満たされているので、小便はそもそもその液体に垂れ流しだろう。ガンダム0083に「おむつ持参でお供します」などという気の利いた言い回しとしてのセリフがあったが、持参も何もパイロットならおむつをしているであろうから別に気の利いた言い回しではない。

 なお、トイレットペーパーというのは当り前だが存在しない。だいたい、羊皮紙しかない可能性のある世界なのだから、トイレットペーパーなど存在するはずがない。近代以前の日本ではトイレットペーパーの代わりに木箆が使われていた。これは記録用に使っていた木箆を再利用することが多く、糞便を拭いて捨てられた木箆に書かれた情報が歴史学上重要な情報となることもあった。
 ファンタジー世界を想定するなら、一応、木箆だと思っておきたい。糞便を拭かずに歩き回ったら臭いだろうから、このくらいは妥協してもよかろう。農村部などでは木の葉っぱとでも思おう。恐らく実際の中世ヨーロッパの農村では尻を拭いたりしなかっただろうが。逆にいうと、中世ヨーロッパではうんこをしたらうんこを拭かずにそのままだった可能性があるけれども、調べていない。
 また、東南アジアなどでは、今でも便所には水の出るホースがあるだけである。これで濡らして左手で拭いて、左手をそのホースの水で洗う。だからヒンドゥー教などでは左手は不浄の手なのである。

 話はずれたが、中世ヨーロッパの都市はそこら中に屎尿糞便がぶちまけられているので、臭いがひどかった。更に、都市では豚や家禽を飼育していたので、それらの獣の臭いや糞便の臭いもした。


 臭いがひどいのは都市などの生活の場に限らない。体臭も問題である。なにせ当時は入浴の風習がなく、サウナのような蒸し風呂しかなかったし、それも高価であるから一週間に一回行って垢を落とすというような塩梅である。当然のことながら冒険者の宿には風呂もシャワーも存在しない。

 それにヨーロッパ人は分子人類学的に新モンゴロイドの遺伝的要素の強い我々に比してより体臭がきつい。西洋人は今でも香水などをつけるのが常識的なことではあるが、それはそもそも彼らの体臭が臭いという点が考慮されるべきである。
 最近は欧米の化学産業が、日本にも自国の文化に基づいた臭い体臭に合わせた臭いのきつい香料を使った臭い製品を売り込もうとしているが、我々体臭のそれほど強くないモンゴロイドにとって白人に合わせたそれらの香料は臭く、これが香害として問題になっている。なにせあれは工業排水より臭いのである。しかも不快なだけではなく、呼吸器の障害など実際の健康被害にすらつながる。まさにエスノセントリズムに基づいた文化侵略というべきであろう。お前らの臭い香料はお前ら臭い白人のものなのだから我々モンゴロイドに押し付けるなというのである。

 とはいえ日本などのアジアにも香料の文化はあったし、別にモンゴロイドに合ったものであれば我々モンゴロイドが香水を使っても問題はないのだ。
 日本は風呂好きなどと言われているけれども、浴槽に満たした湯に浸かるようになったのはやはり割と最近のことなので、平安時代の貴族などは、洗濯するのも困難な大量の服を着ていたわけだし、そういった臭いをごまかすために香料が用いられた。

 こういった香料は、人間の体臭をごまかすためにも多用されたが、宗教的法悦をもたらすためにも用いられた。むしろ宗教にとって必須であったともいえる。宗教で用いる香料は、場を清めるとか仏の食べ物とか名目になっているが、その目的は宗教的法悦をもたらすためである。今でも、キリスト教イスラム教ヒンドゥー教仏教それぞれの寺院で香が焚かれている。
 こういった宗教的法悦の零落した後継者がアロマテラピーである。アロマテラピーとやらの原型は宗教的法悦を求めてのものである。だからファンタジー世界にはアロマテラピーなどという軟弱軟派なものは存在せず、あくまでも宗教的法悦を経ての精神的安楽を求めて香を焚くのである。

 このような、特に宗教的に求められた香料の名前には、どこかエキゾチックな甘美な響きがある。
 龍涎香(アンバーグリス)は、その名の通り龍の涎が固まったものが海岸に流れ着いたなどという伝説があるが、これはマッコウクジラの腸内結石である。乳香(オリバナム)は木の樹脂であり、オリエントでは古代から神へ捧げる香料として使われており、育成量産できないため時として同じ量の金と交換された。没薬(ミルラ)も木の樹脂であり、ミイラの防腐処理に使われ、ミイラの語源は没薬、ミルラであるともされている。乳香も没薬も東方の三博士のキリストへの捧げ物に含まれている。安息香(ベンゾイン)も同じく木の樹脂で、名前の通り、痰を出しやすくするため、呼吸器の治療にも用いられた。麝香(ムスク)はジャコウジカの肛門付近にある香嚢から採れる物質だが、これはいわゆる「フェロモン」である。だから麝香というとむしろ官能的な香料である。同じようなものに、ジャコウネコの霊猫香(シベット)がある。ジャコウネコの一種にコーヒー豆を食べさせ、その糞便から未消化のコーヒー豆を取り出して利用したコーヒーはコピ・ルアクとして知られ、高級コーヒーである。海狸香(カストリウム)もビーバーの香嚢から採れる香料である。こういった香料は古来から薬としても用いられた。動物由来のものはいわゆる「フェロモン」であるため、官能的な香料として珍重された。
 これらに比べて、どちらかというと東アジアで珍重されたのが木材そのものの香料であり、香木と呼ばれる。白檀は代表的なもので、我々にとっても線香の主要な香りとして馴染みがある。更に高級なものに沈香がある。沈香の中でも一級品に伽羅、羅国、真那伽、真南蛮、佐曾羅、寸聞多羅などがあるが、香道関係者以外には伽羅くらいしか馴染みがない。これらは沈香が長い間泥の中に埋もれて熟成されたものらしい。日本で最も有名な香木、伽羅が蘭奢待であり、東大寺正倉院に保管されているものを世の権力者たちが欠片を切り取っていったことでも有名である。調査によると切り取られたあとは38箇所あったという。中曽根康弘は蘭奢待を切り取ったなどと噂されるが、中曽根康弘の権力欲がこのような風聞を生み出すのにふさわしいと思われたのであろう。

 これらに比べれば香水は遥かに歴史が浅い。香水は錬金術の発達の過程で生み出された。香水、あるいは精油というのは、中世にはまだ錬金術における「実験段階」であり、香料として普及したのは啓蒙時代になってからであろう。我々がヨーロッパ貴族の香水として連想しそうなのはこれである。

 香油は、キリストにマグダラのマリアが香油を塗ったエピソードで知られるように、宗教的な要素の強いものであり、だから香料や香油には、ファンタジー世界でなら、マジックアイテムとしての効能があってもおかしくない。香水や精油も、錬金術の産物であるのだから、やはりマジックアイテムとして扱われてもいいだろう。

 薔薇などはその香りを古代から愛されており、頽廃で知られたローマ皇帝ヘリオガバルスには「薔薇刑」などという処刑を行って楽しんだなどという伝説もある。まあ『薔薇刑』といえばなにより三島由紀夫のナルシズム写真集の名前で知られるが。


 ローマ人は、というより古代ローマの都市は、中世ヨーロッパの都市などと比べて圧倒的に清潔であった。
 まず古代ローマの都市には上下水道が発達していた。古代ローマには下水があり、排泄物は下水を通って処理されていた。中世ヨーロッパの都市にも下水があり、特にヴェネツィアのような特殊な都市は下水なしではやっていけなかっただろうが、パリなどは逆に下水が発達していないことで有名な都市であった。あゝ無情などでパリの下水道が出てくるが、あれはジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンのパリ大改造で整備されたものである。ヴェネツィアは海の潟に造られた都市であったから、下水は張り巡らされた運河に排出されたが、運河の水流は徹底的に管理されており、排泄された下水は滞留することなく海へと流れていった。だからヴェネツィアは中世ヨーロッパでも例外的に下水という点で清潔な都市であった。現在のヴェネツィアでもこの運河の水流を管理する役人は重責で、ヴェネツィア共和国時代からゆかりの役職名になっているのだが、しかしヴェネツィアという都市そのものが形骸化してきたのもあり、ヴェネツィアの運河は海水の滞留が見られるようになったという。
 古代ローマは公衆便所も整備されており、小便については回収されて羊毛加工業者に売り渡された。これをはじめたウェスパシアヌス帝は小便を売りつけたことで嘲笑されたが。これは小便で羊毛の脂分を洗い流すためである。小便は時代が下って火薬火器の時代にも注目された。何故なら火薬の材料の硝薬として利用できたからである。
 ちなみに古代ローマの都市には上水道も整備されていたが、これには鉛の管が使われており、一説に古代ローマ皇帝に精神異常者が多かったのはこの鉛の管による鉛中毒であったともいわれている。
 また古代ローマ人は大の風呂好きであったことでも知られている。これは本朝でも漫画になったから有名であろう。湯船というものにこれだけやたら浸かる文化を持っているのは、古代ローマと現代日本が突出しているともいわれている。ただ湯船に浸かる文化はイスラム教圏にも発達しており、ハマムとかハンマームとかいわれる湯船も備えた公衆浴場が中世から発達していた。これらは一説には東ローマ帝国の文化を受け継いだのだともいわれる。一時期トルコ風呂という名前が日本で知られていたが、これはハマムのことであるけれども、日本では誤用されていたため、トルコ政府の抗議を招いて今ではソープランドと呼ばれている。


 ちなみに、南部ロマンス諸語圏で特徴的なのがビデである。今の日本でビデといえば女性が小便をしたあと陰部を洗う機能だが、南部ロマンス諸語圏にはトイレの横に小さな浴槽のようなビデが設置されている。かの地方はそこそこ暑く、また彼らは毛深いし、臭いも気になるので、いつでも男女問わず陰部を洗えるようにビデがどんな家庭、どんなホテルにでも設置されている。
 とてもどうでもいい余談だけれど、童貞少年が温水便座のビデを使うと女性の陰部の場所を確認できてしまったり前立腺を刺激されたりと性教育上よろしくないので使わせないようにしましょう。逆に女性化願望の強いTSFの好きな諸氏は温水便座のビデで楽しむこともできます。


 色々と長々と書いたけれど、最後に書いておくべきことがある。それは、中世ヨーロッパ人、あるいはファンタジー世界の住人にとってこの糞便と体臭の臭い世界は普通の日常、デフォルトの世界であるから、彼らは別にそういう臭いに、慣れきってしまっているから、それほどは困っていないということである。
 ただ、今の浅薄な流行りである異世界転生などで現代日本の都会人が中世ヨーロッパ風ファンタジー世界に転生した日にはうんこまみれのファンタジー都市に慣れるのに一ヶ月以上かかることだろう。もちろん、そういった浅薄皮相な異世界転生ものでは登場人物はうんこしないのでなんの問題もないのだけれど。
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ファンタジー世界の名前 多分三回目 [ファンタジー世界考察]

 ファンタジー世界の名前については二回くらい記事にした気がする。まあ話題にしやすいのかもしれない。私の知識の範囲からも。

 ファンタジー世界と書いておいてなんだが、まず本朝の名前の話を少ししたい。

 二次元創作では割と色々な苗字を適当にでっち上げしているが、胡散臭いものは幾らでもある。

 アイドルマスターのミリオン系に「天空橋某」というアイドルがいる。天空橋というのは架空の響きもするが、天空橋という地名、駅名は実在する。このキャラはどうもお嬢様っぽい華やかなキャラであるらしい。ところが、実際の天空橋駅は羽田空港の方にある倉庫とか整備場とかが並ぶ辺りにあるから、天空橋という名前は、何も知らなければちょっと空想的でなおかつ天空という言葉から華のあるようにも聞こえるが、しかし現実の天空橋駅を知っていると、倉庫街とか整備場とかの埃や油のイメージが浮かんでくる。

 お嬢様っぽさを出そうとして、やたら多く使われる苗字が、「~院」「~寺」などの苗字である。オタクコンテンツにお嬢様キャラの需要は多いのだ。しかし、まあこれがインチキ臭さの宝庫であり、そもそもがオタクコンテンツのお嬢様とかいうものはせいぜいがブルジョワ程度の低い階層のただの金持ちばかりなのでげんなりである。
 院のつく苗字で貴族由来のものはたしかにあり、「洞院」などがあるが、何故かメジャーなのが「伊集院」である。伊集院光が元凶なのかわからないけれど彼にしてみても当時三遊亭楽大だった彼がインチキオペラ歌手を名乗る時に高貴っぽい名前をつけようとして伊集院というのを選んだのであるし、あともう一人有名そうな伊集院に伊集院静がいるが彼などはそもそも韓国系である。そも「伊集院」というのは、今でも「伊集院市」があることでわかるように、鹿児島の地名であり、伊集院を根拠地にしていたのが戦国武将の伊集院氏で、人名としての伊集院は彼らが代表である。戦国武将とはいうが、確かに島津氏の家老を務めた一族ではあるものの、要は国人、土豪のレベルである。だから伊集院などと名乗ると受けるべき印象(受けるべき印象というのはおかしな言葉だが)は鹿児島出身者の薩摩隼人である。院のつく地名やそれに由来する苗字は薩摩大隅に特徴的であり、他にも「入来院」「祁答院」などがある。祁答院というキャラはエロゲにいたが、薩摩感漂う乱暴そうな女だった。
 寺のつく苗字は、実際に貴族に多い。これは京都の寺院の所在地に由来する。「甘露寺」などがそうである。しかし寺などというものは全国にあるので、寺がつく苗字も全国にある。例えば、あるエロゲで「龍造寺某」というヒロインがいるのだが、どうも製作者はお嬢様キャラとしてこの名前にしたらしい。しかし、有名な龍造寺といえば戦国大名である龍造寺隆信である。龍造寺隆信といえば「肥前の熊」という異名を持つ猛将という時点でお嬢様キャラとイメージの乖離がある。しかも彼は沖田畷の戦いでは肥満で馬に乗れず輿に乗っていたが、水田と泥濘で動きが取れず輿を置いていかれ討ち死にしたという人物なので、お嬢様キャラの苗字としてはいかがなものか。ちなみにその「龍造寺某」というヒロインの出るエロゲはいわゆる学園騎士モノであったが。寺がつく苗字として他に大宝寺などというのもあるが、こちらも「悪屋形」という大宝寺義氏が有名であるし、そもそもが庄内の田舎を思わせる苗字なのであったりする。

 さて。実際に確実に存在する貴族の苗字で多用される苗字も幾つかある。特に人気なもので、なおかつまず間違いなく間違って使われている苗字の筆頭が「烏丸」である。烏丸という苗字はいかにも京都独自の雅な貴族っぽく特殊な感じがあって大人気であり、キャラ名だけではなくペンネームにも作用している人がいる。しかし見てみるとほぼ100%間違っている。
 つまり、「烏丸」は、地名としては「からすま」なのだが、苗字としては「からすまる」なのである。しかるに、キャラ名であれペンネームであれ、ほぼ100%、二次元界隈では「烏丸」と名乗る人物は「からすま」なのである。しかも「烏丸」は普通に読むと「からすまる」だが、「からすま」は特殊な読み方であるため、「からすまる」と読むのは「普通に読んで間違ったなこいつ、本当は特殊な読み方をする人名なんだよ」と誤謬で誤謬を重ねることに、それこそ恥の上塗りをすることになるのである。二重に残念な恥をかくことになるのである。
 ただ、あるいは「烏丸」と書いて「からすま」と読む苗字は実在するのかもしれない。それは、庶民の烏丸さんである。庶民の烏丸さんであれば「からすま」さんである可能性がある。「からすまる」はあくまでも貴族の「烏丸」氏のことなのだから、庶民の烏丸さんはまた別かもしれない。この法則は「錦織」に当てはまる。貴族の「錦織」は「にしごり」である。「にしきおり」さんは庶民の錦織さんである。
 ちなみに関東人は「からす「ま」」と呼びがちだが実際には「か「ら」すま」なのである。関東人が京都に行って「「からす「ま」」はどちらですか?」とか京都人に尋ねたら京都人に間違いなくこいつ田舎者だと馬鹿にされるのだろう。京都人は恐ろしい。

 マイナーなはずなのに何故か二次元創作で見かける、烏丸同様間違われやすい二次元創作で人気の苗字に「神代」がある。普通に読むと「かみしろ」と読みそうだが、正確には「くましろ」である。「こうじろ」とも読むようだ。「神代」は九州に由来する苗字であり、戦国武将に九州は少弐氏の下に「神代勝利」という人物もいた。ぱっと見ると「かみよしょうり」と読めてなんとなくかっこいい名前ではある。いずれにせよ「神代」はこの神代氏の苗字であるから「くましろ」であり、九州に独自的な苗字である。ロボティクスノーツという作品に「こうじろ」と読むキャラがいたが、多分地域によっては「こうじろ」と読むのであろう。が、「かみしろ」と読むのは多分ただの勉強不足だと思っていいのだろう。

 苗字について延々と書いたが、日本には苗字に似たようなものに「氏」「姓」などもある。いや、元々氏と姓だけがあって苗字というのはかなりあとから発生した。

 「氏」は家、一族、血族であるから我々の想像知る苗字、氏、姓に近い。呼ぶ時は氏の後には「の」が入る。だから「藤原不比等」は「ふじわら の ふひと」と呼び「源頼朝」は「みなもと の よりとも」と呼ぶ。「豊臣」は苗字ではなく天皇から下賜された「氏」なので「豊臣秀吉」は「とよとみ ひでよし」ではなく「とよとみ の ひでよし」と呼ぶのが正しい。
 「姓」は称号に近く、地位や職務などを表したから西洋の貴族の爵号にも近い。
 「徳川従一位太政大臣源朝臣次郎三郎家康」といった場合、苗字が徳川、従一位が官位=位階、太政大臣が官職、氏が源、姓が朝臣、輩行名=通称が次郎三郎、名前=諱が家康になり、徳川家康の正式な名前は「徳川源朝臣家康」になる。
 氏と姓を持つということは古代日本においてエスタブリッシュメントである証であった。エスタブリッシュメントの頂点たる天皇にはなかったが、天皇はすべての氏と姓を与える存在であるため特別だった。これは今にも続いている。逆に被支配者も氏と姓がなかった。これを百姓という。百姓というのは農民という意味ではなく、氏姓を与えられなかった人間という意味である。
 氏・姓の制度は古い時代に形骸化し、平安の頃には氏といえば源平藤橘、姓は朝臣ばかりともなってしまった。皇族の臣籍降下が多く行われ源朝臣と平朝臣が増え、それと権勢を誇った藤原朝臣があり、区別もつきにくくなった。それで、家の住所などを仮の呼び名にした。それが苗字である。貴族は邸宅の場所に因むことが多かった。一条などというのがそうで、邸宅が京の一条にあったというわけだ。武士は与えられた荘園が基本であった。足利氏は上野国足利庄を与えられていたから足利氏と名乗った。武士は東国に荘園を与えられる、というよりは東国で荘園開発にあたるものが由来であったり、また武士の支配が鎌倉を中心としたため、武士の苗字は関東、相模や武蔵の土地が由来のものが多い。西国大名でも、安芸の毛利氏は相模国の毛利庄にちなむし、豊後の大友氏も相模国の大友庄に由来する。なお、こういった武士の発祥のことを本貫、本貫地と呼ぶ。私の苗字にも本貫地があって、信濃国にあり、地名駅名として残っている。もっとも長野県に親戚はいないのだが。

 最後に「名」に触れて本朝の話は終わりにしよう。まあこの話は前も書いたので同じことを繰り返すのだが。
 徳川家康の名前は家康である。しかしこれは正確には「諱」である。「諱」は「忌み名」でもある。本名であるが、忌み名というとおりに、この名前はそもそも使うことが憚られた。大河ドラマなどでは一般人にもわかりやすいように「家康殿」とか「家康様」とかセリフになっているが、当時にあってはありえないことであった。そんなことを口にしたら即刻打首である。この「本名」「諱」を使うのは、目上の立場の人間でもそうそうあることではなく、基本的には公文書の中で使われていた。例えば土地の安堵状などを発布した際などの公文書である。
 諱の英訳は"true name"になる。これを再翻訳すると「真名」になる。Fateシリーズの「真名」の扱いはかつての諱の扱いに感覚として似ているところがある。まあ、Fateシリーズで真名を表にしないのは弱点を看破されないためという実用的な理由からだから、由来としては全然異なるのだが。Fateシリーズでサーバントをライダーとかキャスターとか真名を使わずにクラスで呼ぶが、これも表面的な感覚でいうと、戦国大名とかの武士が駿河守とか上総介とか官職で呼んでいたのと近いものがある。Fateシリーズは実用的な理由しかないので内容的には全然異なるが、表面的な感覚だけだと似ているのである。
 もう一つ"true name"で有名なアニメがある。千と千尋の神隠しである。千尋は湯婆婆に千尋という「諱」を奪われて千になってしまい、それによって湯婆婆の使役下に入ることになる。かつての日本人が諱を忌み名として恐れていた感覚としてはこちらが近い。例えば方広寺大仏殿の鐘の銘で、豊臣秀頼が家康の名を、諱を引き裂いて呪詛したというのは、現代人の感覚ではただの言いがかりにしか聞こえないが、秀頼が鐘の銘で家康の諱を引き裂いたというのは、湯婆婆が千尋との契約書から「尋」の字を奪って千にして使役下にしてしまったのと同じ呪術的感覚である。もっとも、千と千尋の神隠しの"true name"については、その元ネタは「ゲド戦記」にあるので、宮﨑駿のオリジナルではない。
 なお、諱の伝統として「通字」があった。つまり、ある一族には共通して同じ漢字を諱に入れるという伝統である。例えば足利家なら「義」「氏」の字が通字とされてきたし、織田家なら「信」、徳川家なら「家」である。ただ、これも前に書いたのだけれど、歴史ゲームではこの点が不行き届きであり、漢字に親しみのない西洋の戦国時代のゲームではまったく顧みられない。これについては前も書いた。ところがこれは日本も同じであった。信長の野望で「架空の子供」が生まれるシステムがあるのだが、これがまあ通字を無視している。面倒だったのであろうが、それなら自由に改名するくらいはさせてほしかったものである。コーエーの無能め。

 余談だが、最近女の子の名前で「子」がつく名前がないというのは知られていると思う。これは日本史において1500年の伝統を覆す大革命である。そう、少なくとも皇族貴族の女は、1500年前から「子」のつく名前が使われてきた。その伝統が今失われようとしているのかもしれないのだ。
 といったところで、まあ、実際には、それは皇族貴族の話であって、庶民の娘については特別そういった伝統があったわけでもないのかもしれないが。実際、そこそこいい家庭だと、今でも名前に「子」がつくことが多いようだし。


 これでようやく本朝の話が終わった。実はここからが本題なのである。が、しかしなんだかこのままだと本文のほうが短くなりそうにも思える。

 これも前にも書いたことの繰り返しで恐縮なのだが。田中芳樹先生は銀河英雄伝説を書くのにあたって、ヨーロッパ人名事典を死ぬ気でひっくり返して名前を探したという。特に銀河帝国側はドイツ名しか出てこないから苦労したという。しかし、ファミリーネームについては、ドイツ語も土地由来のファミリーネーム=苗字は多く、それほど苦労するというものでもないはずである。では何に苦労したかというと、ファーストネームに苦労したようである。というのは、銀河英雄伝説のファーストネーム、見てみるとほとんどかぶりがない。同じファーストネームの人物がいない。
 何故田中芳樹が苦労したかというと、欧米人のファーストネームは日本人などに比べて著しくヴァリエーションに乏しいからである。しかしそもそもが田中芳樹先生の苦労が正当だったのかよくわからない。それは、欧米人はファーストネームのヴァリエーションが乏しいから、そもそもがファーストネームが同じということが普通に当り前にあるからであり、銀河英雄伝説の銀河帝国のようにファーストネームがまったくかぶらないほうがある意味おかしい、異常といってもいい状態なのである。といってもここで田中芳樹先生を責める気はなく、おそらくはファーストネームのヴァリエーション豊かな日本人の文化に合わせてファーストネームのかぶりをなくしたのであろう。

 また、これも前にも書いたが。ラジオで女性声優が、西洋の名前にも流行り廃りがあるのか、流行の名前や廃れた名前はあるのか、などと喋っていたが、これについては、基本的には、ない。西洋の名前は三千年前から同じ名前が使われ続けている。例えば、ユリウス・カエサルのユリウス、つまり英語で発音するところのジュリアスという名前は今でもそのまま使われている。キリストの弟子の名前、ヨハネ、マタイ、トマスなども、今も全く変わらず、英語で発音するならばジョン、マシュー、トーマスと使われ続けている。ちなみにラテン語と英語で発音違うから変化しているとかいうのは間違いなのだけれど、こんなブログを読むような物好きには当然わかっていることだろうから説明しない。
 ただ、特にアメリカなどだと、最近は変わった名前が出現しているようでもある。もとより、ウィリアム・クリントンがウィリアムの通称であるボブ・クリントンとされるのが普通であるから、それほど伝統を守ろうとかいうのでもないのかもしれない。アメリカはやや伝統から逸脱した命名が、建国以来からあったようである。例えばハリー・S.トルーマンのS.は省略のS.ではなく、S.というミドルネームに準じたものなのであり、S.はS.だけでそれだけなのである。
 とはいえ決定的なDQNネームがイギリス人にいる。キャプテン・ファンタスティック・ファスター・ザン・スーパーマン・スパイダーマン・バットマン・ウルヴァリン・ハルク・アンド・ザ・フラッシュ・コンバインド氏である。わかりやすいDQNネームである。とはいえ彼は十九歳の時に自分の責任でこの名前に改名したのであって、親が名付けたのではない。彼の祖母は悲しんだらしいが。
 日本ではDQNネームが流行っているけれど、DQNネームは一部学校の受験や一流企業の就職では不利であるという。つまり、担当者の判断としては、この人物は親が馬鹿なので馬鹿に育てられたこの人物も馬鹿なのであろうと判断するそうだ。

 西洋では名前のヴァリエーションが乏しいわけだが、そうなると同姓同名の人が多くなりやすい。

 と、その前に少し話を前後させていただく。西洋人には名前に対してあまり呪術的な執着のようなものがない。特に古代ローマでは名前に対しての執着とかそういうものがまったく存在しなかった。一族では、たいてい、例えば長男はルキウス、次男はユリウス、三男はマルクス、などと決まっていて、名前に悩むなどそういうことはまったくなく、子供の幸せを考えてこの名前にしようなどというつまらない思想からは無縁であり、あらかじめ決まっている法則に従って自動的に名付けていった。だから西洋では方広寺大仏殿の事件みたいなのは起こらなかっただろう。まあそれならそれで別に幾らでも呪詛の手段はあるだろうが。

 これは苗字、ファミリーネームについても似たようなものだった。特に庶民のファミリーネームは簡素なものであった。中世ヨーロッパでも、それこそドゥームズデイ・ブックが最初に作られた頃は、ファミリーネームのない庶民がほとんどであった。中世という時代を経てファミリーネームをつけていくことになるのである。
 庶民のファミリーネームに多いものの一つが、職業からつけた名前である。例えばマイヤーという名前はドイツではありふれた感じだが、小間使いといった意味である。銀河英雄伝説にはミッターマイヤーという人物が出てくるが、直訳するなら「真ん中の小間使い」である。まあ、彼は平民出身の気さくさを持ち合わせた人物なのでちょうどいい名前なのかもしれないが。ヴァーグナー、ワグナーというのも、かの偉大な作曲家をはじめドイツ語圏に多い苗字だが、意味はワゴンの人、ヴァーゲンの人ということで「車夫」である。他にも、シュミットは鍛冶屋で、英語だとスミスがそうであるし、シューマッハーというのは靴屋である。英語圏だと、クラークは書記、チャップマンは商人、ミラーは粉屋、カーターは御者、カーペンターは大工、などなどたくさんある。
 他によくあるのが「~の息子」という苗字である。例えば「ジョンソン」は「ジョンの息子」である。これは元々は父親のクリスチャン・ネームを家名にしたもので、最初は「ソン・オブ・ジョン」だったものが、時代を経て「ジョンソン」になった。家を興した人物の名をそのまま家名にするというのはヨーロッパでは庶民から貴族まで古い時代によくあった。
 地名をそのまま家名にするのは日本と同じように存在した。この場合は「出身地」を家名にした。
 また、日本の田中は田んぼの真中だとか、中村は村の真中だとかいうけれど、ブルックスという家名は川の近くというのを発祥としていて、元々は位置を示す接頭辞などがついていたのが省略された。
 あとは、若干だが、ワイズだとかチャイルドだとかいったその人の人柄などを形容する言葉からついたファミリーネームもある。

 貴族の場合は、日本のように所領の城の名前から家名がつけられることが多い。あるいは所領の地名が家名となることがほとんどだ。例えば、ハプスブルク家はハビヒツブルク城を最初居城にしていたためそれが訛ってハプスブルクとなった。プロイセン王家からドイツ帝室となったホーエンツォレルン家はツォレルンのツォレルン城に興った一族であった。ホーエンは「高い」という意味で大貴族になったあとからつけられた。
 ホーエンツォレルン家はプロイセン国王からドイツ皇帝となったが、今の当主は家名を「フォン・プロイセン」としている。どうも、貴族の場合、家名というものには「現代のもの」と「伝統的な・本来のもの」とあるらしい。あるいは「封土を示す名前」ともっとプリミティヴな名前とあるらしい。どの家も両方あるとかそういうものでもないらしいのだが、仔細は私もわからない。古いヨーロッパ貴族のファミリーネームには、ヴェルフ家とか、アスカニア家とかあるけれど、こういった古いヨーロッパ貴族の家名はどうやら家を興した当主の名前を家名にするケースが多い。この家を興した当主の名前を家名にするのは最も、中世暗黒時代以降のヨーロッパではプリミティヴなもののようだ。庶民と同じといえば同じである。例えばカール大帝、シャルルマーニュの王朝はカロリング朝と呼ばれるが、カロリングとは当然カール大帝に由来した名前である。そもそもが古代ゲルマン族などはファミリーネームといえるものはなかっただろう。「XX族YY支族」などというものであってファミリーというには広すぎる。日本の氏と似たようなものなのだろうか。

 で、西洋で同姓同名が多くなるという話に戻ろう。

 庶民の場合はスミス(鍛冶屋)とかミラー(粉屋)といったヴァリエーションに乏しいファミリーネームである。そしてファーストネームもヴァリエーションに乏しい。そこで名前をとにかく長ったらしくするという解決方法が発生した。つまり基本のファーストネームとファミリーネームに加えて、ミドルネームであるとかだけではなく、父方の家系の名前だとか、母方の家系の名前だとか、どんどん盛り込むわけである。有名なのは、例えばピカソの全名がやたら長ったらしいというのがそうである。また、世界一名前が長くギネスブックにも載った人物がいたが、彼は自分の名前にうんざりしたようで、「ウルフ+585・シニア」と改名した。
 また、ファミリーお気に入りの名前というのがあるようである。貴族の場合は後で説明する。庶民の場合でも、同じファーストネームがたくさんいる家族は珍しくない。また、父親の名前を子供につけるというのも今でもよくある風習である。こういった一族に同じ名前がやたら多いのは古代ローマからそうであった。古代ローマは上述の通り長男はルキウス、次男は……などと名前をつけるのが面倒なので一律同じ法則でつけていたから、同じ名前がどんどん並ぶ。それで作ったのが一つは序数であり、これは貴族の場合は必須なのだが、庶民の場合は別になくてもいいのである。貴族の場合については後述する。ちなみにシュレーディンガーの猫のエヴェレット解釈で知られるエヴェレット博士も名前はヒュー・エヴェレット3世である。
 で、古代ローマ以来、父親や伯父、それと息子や甥などの区別をつけるためにつけたのが「大」「小」である。この場合の「大」「小」は「シニア」「ジュニア」の訳語であるから、偉大だとかつまらない人物という意味はない。この場合の有名な「大」「小」は、古くは大カトー、小カトー、大プリニウス、小プリニウスなどがいるし、大ピピン、中ピピン、小ピピンというのが中世にはあり、時代を下っても大ピット、小ピット、大モルトケ、小モルトケというのがいる。まあ大モルトケの偉大さに比して小モルトケは無能だったが。最近だとアメリカ大統領でブッシュ父子を大プッシュ、小ブッシュということもあるが、これも別にパパブッシュが偉大で、息子ブッシュが馬鹿でマヌケということではない。もっとも、パパブッシュはともかく、息子ブッシュは本当に馬鹿でマヌケだったわけだが。

 さて。貴族の方の話をしよう。
 貴族で有名なのは「序数」である。ルイ14世とかフリードリヒ2世とかの「世」である。彼らは有名だからルイ太陽王とかフリードリヒ大王とか異名もあるが、基本的には序数をつけて呼ばれる。
 特に有名なのはフランスの「ルイ」である。ブルボン王朝などはルイ13世、ルイ14世、ルイ15世、ルイ16世と続いたため(一応その前に初代のアンリ4世がいる)「ルイ王朝」とすら呼ばれる。これは、ブルボン王朝に関しては、中世の聖王ルイ9世にちなんでルイという名前が愛されたのだが、しかしルイ9世の時点でも9人いる。ただ、フランス王国の序数はフランク王国のシャルルマーニュにはじまる王たちも合算されている。フランス王国が実質的にはじまったユーグ・カペーから計算されているわけではない。スウェーデン王国などは伝説上の王を大量に合算しているため、カール12世などは有名であるが、スウェーデン国王にはそんなにカールはいないというかそんなにたくさん王は歴代いない。家ごとに好まれている名前というのは色々あるようで、ホーエンツォレルン家ならフリードリヒやヴィルヘルムというのが割と好まれた。この辺の愛着めいたものはあるいは東洋の通字と似ている面があるのかもしれない。
 ただ、家法で名前が決まっている貴族もいる。有名なのがドイツの貴族ロイス家である。ロイス家には、ロイス家の男子はすべて「ハインリヒ」と名付けなければならないという家法がある。だからロイス家の男子はすべてハインリヒである。これは、遠祖ハインリヒ2世が時の皇帝ハインリヒ6世に受けた恩義を記念してのことである。しかし全員に序数をナンバリングしていったらとんでもない数になるので、色々工夫して、途中で巻き戻るようにし、一番序数が高いのはハインリヒ75世で留められたようだ。最も多くの序数がついた「君主」は、ロイス=ローベンシュタイン=エーベルスドルフ侯ハインリヒ72世であり、ギネスブックに登録されている。


 日本での中世ヨーロッパ風ファンタジー世界などというのは、ネーミングがまあ、いい加減極まりないので、別に気にしたい人は気にすればいいのだろうけれど、どこまでも気にしても不毛なのでやめておくべきだと、今までファンタジー世界と付き合い続けて適当に結論づけている。
 とはいえやはり恥ずかしい名前をつける気にはならないわけで、そこが悩ましいのだが。
 あとは、連想作用も多少は考慮に入れても良いのではなかろうかと、思わないでもない。まあ、世界史に明るくない人間にとってはどうでもいいことに違いないのであろうが。例えばヴァレンシュタインなどといえば高名な傭兵隊長であり、英雄レベルの人物である。まあ人格的に癖があったり大悪人だったりはしないのでいいのだが。それを考えると銀河英雄伝説などはその辺りの配慮が結構なものだったのかもしれない。登場人物で、歴史上の有名な人物と、私の記憶で被るのはファーレンハイトくらいの気もする。ただまあ、一部の登場人物、シャフトとラングは、敢えて歴史上の人物を連想させる名前がつけられているようだが。
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ファンタジー世界の売春 [ファンタジー世界考察]

 ファンタジー世界……というか中世ヨーロッパの売春についてはこんなくだらないブログよりも余程真面目にちゃんと調べてあるサイトが世の中にはきっとどこかにあるだろうからこんなつまらないブログを見ていないで検索し直してください


 さて、とりあえず注意事項を書いておいたところで、自分の中のろくに調べてもいない知識でいい加減なことを書いていこうと思う。


 ファンタジー世界の男性冒険者にとって一番の娯楽は何か。売春婦を買うことである。決して吟遊詩人の歌を聞きながら酒を飲むことなどではなく、女を買ってセックスすることの方が最大の娯楽であるに違いない。ただで酒を飲むのとただで女を抱けるのと二択ならたいていの男は女を抱くだろう。
 前々も書いているようにファンタジー世界はそこそこ男女同権であり、女性冒険者もいるから、男娼を買う女性冒険者もいるかもしれない。まあ女性冒険者のほうが人口が少ないから冒険者同士でセックスした方が経済的だが。とはいえ男はかなりあぶれるからやはり売春婦を買うというのは最大の娯楽である。冒険者なんてものは男性の方がやたら多いだろうし漫画やラノベの方にどの冒険者も仲間のうちに恋人を見つけてセックスするなんていうのは一握りの幸運な例に過ぎず、ほとんどの多くの冒険者たちは男でも女でも娼婦や男娼を買うことになるであろう。
 もちろん、同性愛に異様に厳しいアブラハムの宗教でもないのだから、男性冒険者が男娼を買ったり、女性冒険者が売春婦を買ったりしてもいい。


 さて、売春の一回のお値段はお幾らか。

 私は知らないので知りたい人は警告文に従って検索し直してください

 精神分析学者の岸田秀は、売春にかかる費用は、男が育児の責任を放棄する代償なのだそうで、つまりそこそこ財布に痛くなければならない。
 現代日本では売春は禁止されているが、金を払って自由恋愛をする場合、だいたい2~3万円以上はするらしい。ファンタジー世界においてこれがものすごい相場が高くなるとも、安くなるとも思えないので、とはいえ売春が普及している分若干安くなるとは思うので、銀貨100~200枚程度が売春の相場としては適当なのではなかろうか。
 ただ、売春といっても、ファンタジー世界では現代日本以上にピンキリがあるはずである。

 ピンの方は、本当に金に困った最貧民の女が、路端で男を捕まえて、その辺の草叢でセックスするだけというようなものである。さすがに現代日本でこんなものはなかろうと思えるし値段もわからないが、銀貨10枚もあれば最低ラインの女を買ってセックスするとかはできそうだけれど、これはもう本当に最低ラインの「惨めな」行為であるから、売る方も売る方なら買う方も買う方とかいうので余程女に飢えた貧乏男でもなければやらないだろう。

 キリの方は、歴史上「高級娼婦」「クルティザン、クルティザーヌ、クルティザーネ」として実在した。彼女らは貴族や都市貴族などとも交流したが、しかし彼女らはただ春を鬻ぐだけではない。彼女らは、高い教養を持っており、ただ身体を売るのではなく、貴族や都市貴族などと知的な会話を楽しむというエンタテインメントを提供していた。
 こういった高級娼婦とは金貨が十枚単位どころか百枚単位千枚単位でもないと遊べないだろうから、冒険者には縁のない存在だろう。身体を買う分には。それに彼女らを買うには彼女らと知的な会話を楽しむ教養も求められる。ただ、彼女らに冒険の依頼をされることはあるだろう。なにせ報酬に払う金には困らない。
 ヨーロッパにおいて高級娼婦は伝統あるもので、古代ギリシアから存在した。古代ギリシア最高の高級娼婦でもあるフリュネは、王であってもなかなか身体を売らないような「高い」娼婦であったが、犬儒学派の哲学者であるシノペのディオゲネスの哲学、生き様に感動し、彼に対しては無料で身体を与えた。
 本朝にもこういった高級娼婦は存在したが、しかし彼女らの教養の程度については私はよく知らない。ただ彼女らもただ身体を売るだけではないエンタテインメントを求められた。その遺産ともいえるのが芸姑、芸妓である。もっとも、本朝では身体を売る女と、芸を売る女は分けられていたようだが。

 本朝の話を少ししてみよう。本朝の売春婦で有名なのが、歩き巫女であった。巫女などというと、現代日本のイメージでは、神に仕える神聖な清らかな存在とか思われているが、しかしそういうのは伊勢神宮の斎宮とかそうでなければ二次元創作のお話であり、古来からの巫女というものには売春と深いつながりがあり、現代の巫女は女子大生のアルバイトであるのだから、私は巫女とかいうものに対してファンタジーを抱いていない。
 女子大生のアルバイトについてはどうでもいいので触れないとして。古来より、巫女の中でも歩き巫女、つまり神社からフリーの巫女というのがいて、彼女らは全国を放浪して、神の宣託などを売り物にしつつ、副業として身体を売っていた。だから中世日本にあっては、巫女といえば半分売春婦であった。彼女らは全国を放浪するという性格上、諜報にも利用された。くノ一である。
 他にも、傀儡女、人形芝居をする女も、副業で身体を売る女の定番であったから、傀儡女といえば売春婦とほぼ同義でもあった。巫女も傀儡女もそこには神聖さとのつながりがあった。巫女は神の託宣や口寄せ、英語でいうネクロマンシーなどが本業であったし、傀儡女の人形芝居というのも、人間の形をしたモノを操るという異形の業であったのだ。
 一応解説しておくと、口寄せというのは死者のメッセージを伝えることである。つまり今だと恐山のイタコの間でかろうじて受け継がれている技術であるが、かつては巫女のよくやる仕事の一つであった。欧州でも魔術の一つとして行われ、ネクロマンシーと呼んだ。つまり、ネクロマンシーとは死者を操る技術などではなく、イタコの口寄せのことであり、ネクロマンサーとはイタコのことである。

 本朝ではなくても、古代バビロニアなどには神聖娼婦と呼ばれる存在がおり、巫女は神の娼婦としてジグラットの最上階で神と交合したり、あるいはどの女も一生に一度アスタルテ女神の神殿で見知らぬ男とセックスをするという記述を残したのはギリシアのヘロドトスであったと思う。アスタルテは性愛と豊穣の女神なのである。
 かつてはどの世界でもこのように売春には神聖さが伴ったが、少なくともヨーロッパ世界ではそういったものは古代ギリシアまでにはそういったものは存在しなかったようである。

 ちょっと話はずれるが、初夜権の話もしてみようか。
 初夜権というのは、主に中世ヨーロッパの農奴制において、農奴が結婚する際、領主が花嫁の初夜を得る権利、つまり花嫁の処女を奪う権利があるというものである。
 普通に聞くと領主が農奴に対して横暴でエロティックな権力を振るうという専制的で理不尽な支配に思える。しかし、結婚に際して花婿以外の男性が花嫁の処女を奪うという風習は世界中に存在した。ニューギニアなどの未開民族の間でも、部族の酋長や父親が、場合によっては自らのペニスではなくペニスを模した木の棒で処女を奪う風習がある。これは破瓜の血を恐れたからである。破瓜の血であれ、初潮月経の血であれ、文化人類学的にそれらは汎人類的に恐怖、畏怖の対象であった。だから中世ヨーロッパの初夜権も、恐るべき処女の破瓜の血から新郎を守るための呪術的行為の名残であると思われる。
 しかし、最近の研究では、この初夜権、その実在自体が疑われている。

 初夜権というのは、なんとなくエロのネタになりそうだが、世界史にはエロゲーのネタにばっちりの「売春宿」があった。それは支那で宋の北半分を滅ぼした女真族の建国した金の「洗衣院」である。
 宋は女真族の金に首都である開封を落とされ、皇帝親子をはじめとした皇族も捕虜となった。一部の皇族は江南で南宋を興したものの、皇族たちは金の虜囚のままであった。ここで宋を支配し皇族を捕らえた金が設置したのが洗衣院である。これは捕らえた宋の女性皇族、皇妃や皇女たちを売春婦とした売春宿であり、金の支配者、皇族や将軍たちが利用した。洗衣院では皇妃や皇女たちが服をはだけて淫らな恰好をして男を誘っていたのである。皇妃はこの屈辱に堪えられず自殺したが。
 こうなるともはやリアルエロゲーである。実際こういうエロゲーあるし。呂皇后の人豚といい、エロゲーより支那史の方が奇なり、である。


 エロゲーにありそうなファンタジー世界の売春としては、エルフの娼婦、ハーフエルフの娼婦などがある。人間世界に出るようなエルフはエルフ社会でのはみ出しものであり人間世界でも受け入れられているわけではない。ハーフエルフも、エルフ社会からも人間社会からも異分子扱いされる存在である。どちらも社会的立場は弱く、売春婦に身をやつさざるを得ないことは考えやすい。しかも一部の男からはマニアックな好みの対象となるであろう。だからエルフの娼婦やハーフエルフの娼婦にはマニアックな人気があることだろう。

 なお、ドワーフの売春宿というのはあまり考えられない気がする。というのは、ドワーフは男も女も等しく鉱山で働くので、普通に職場で結婚するので相手には困らないのである。
 鉱山都市というのは売春が最も盛んな都市の一つである。何故なら、ドワーフはともかく、人間についていうなら、職場が男ばかりだからである。男ばかりの職場が多い産業を有する都市は売春が盛んになる。海運などもそうである。港町には売春宿が多い。冒険者も男性比率が多いから、冒険者が遺跡探査の拠点とするような街には売春宿が多いだろう。兵士も男ばかりだが、兵士はそれほど一箇所にとどまるわけではないので、近代以降については酒保商人が娼婦も引き連れて従軍した。近代ヨーロッパ、特にフランス軍にはヴィヴァンディエールと呼ばれる女性酒保商人がいて、彼女ら自身は兵士たちの妻が出自であったから身体は売らなかったが、やはり娼婦の手配もしたようだ。
 どちらにせよ産業の種類にかかわらず、都市部というのは男の労働者が集まりやすいので、男が余るのは必然であり、そこに売春宿が繁盛するのも必然なのである。

 逆に人間が虐げられるケースもある。こちらはよりエロゲーに親和性が高いだろう。つまり、グリーンスキン、オークやゴブリンといった社会性を有する妖魔達が、人間娼婦を囲うための売春宿である。無論この場合、人間娼婦はどこかから無理矢理拉致されたものだけだろうし、売春宿といったところで賃金は支払われないだろう。まあ、金の洗衣院も似たようなものなのだろうが。

 あと上に書いたように、冒険者には女性冒険者も比較的いるから、女性冒険者が男娼を買う可能性も高い。ただ、冒険者の男女比率は男が多いから、冒険者同士でくっつく分には女の買い手市場であり、この面において女性冒険者の立場は強く、いちいち男娼を買うケースは少なかったかもしれない。
 また同性愛に異様に厳しいキリスト教の支配下にないのであるから、男が男娼を買ったり、女が娼婦を買うこともあり得る。男娼や娼婦も男性女性両方を相手にする場合もある。というより同性愛専門、特にサフィズム専門娼婦は商売的に成り立つか怪しいので兼任は多そうだ。とはいえ、日本には男同士専門の宿である陰間茶屋というものがあったので、男性専用の男娼、ゲイ専門の売春宿は成り立ちやすそうだ。あるいは大都市であればサフィズム専門売春宿も成り立つのかもしれない。


 さて。少し売春宿の仕組みのようなものも書いてみよう。

 売春宿には大きく分けて公娼と私娼があった。公営あるいは公認の売春宿と、公的な認可のない売春宿である。
 支配者としては、売春を公認あるいは公営とすることで、娼婦を管理することで性病の蔓延を防いだり、「裏社会」の発展を妨げたり、また健全に性欲を発散させることで性的な社会秩序をコントロールすることもできた。中には公娼以外認めない場合もあったが、私娼はいつの時代でもはびこった。なんであれば、個人経営の売春婦だっているのだから、幾らでも私娼はいたのである。

 多くあるのは、セックスをする設備を完備した売春宿である。つまり個室があって、そこでセックスするという売春宿である。これがオーソドックスだとは思う。
 他にあるのは、派遣型である。事務所みたいなのがあって、宿なり自宅なりに娼婦を派遣する。こちらの方が安いだろう。もっと安いのは、街娼と呼ばれるもので、要するに街で女が声をかけてきて、その後どこぞでセックスするわけである。ラブホテルなどあるわけがないし、普通の宿の個室など高くてそんな個室に泊まれるのなら街娼など買わないだろうから、その辺の草叢で手っ取り早く済ませることも多い。個人経営の娼婦は他にも色々あり、農村などでも、未亡人などが公然の秘密として売春を行ったりもしていた。
 設備の整った公娼というのは娼婦の管理もされているのでいいのだが、こういった安い娼婦はろくに健康管理もされていないので、性病蔓延の原因となった。

 ちなみに近年以前の日本ではこれらとはまた異なった性欲発散手段が取られた。西日本で多く行われた夜這いがそうである。夜這いは農村などにおける女性の共有という風習であった。だから農村での売春はほとんどなかったであろう。夜這いでは既婚女性などが若者たちに共有されて性欲処理を行うわけだが、これはつい最近まで行われており、有名な津山三十人殺しはこの夜這いに関する怨恨で起こったともいい、八つ墓村の元ネタとなった。また、昭和の戦後でも、都会から田舎に嫁入りした女性が「村の若い衆の世話をお願いします」といわれて大変困ったなどという話もある。

 売春宿で一番多い従業員は当然ながら娼婦である。完全な自由意思で志願して娼婦になる女はそう多くはない。現代日本の水商売とはだいぶ異なる。特にファンタジー世界のような社会的生産力の低い社会にあっては、社会的に弱い立場の女性が仕方なく娼婦となるケースが多いだろう。多くの場合、賃金は前払いで、数年分が一括で支払われるのだが、支払われる相手は娼婦ではなく、基本的に娘を娼婦として売った親に支払われるわけである。
 いずれにせよ、娼婦というのはいわゆる年季奉公であり、基本的に給料は一括で先払いか後払いであり、数年分まとまって支払われるが、その契約期間の間は支払われず、その期間の間は契約に縛られて自由などなかった。やがて娼婦として実績を積んでいき、儲けを出せるようになると、娼婦たちは自分たちの自由を買い取ることもできた。自分の自由を買い取った娼婦は、特に成功して大金を得たものなどは、暖簾分けということで、自らの店、新たな売春宿を開くこともあった。また、場合によっては客に気に入られ、客に買い取られることもあった。その場合はただ妾として養われたかもしれないし、運が良ければ幸福な結婚につながることもあるのかもしれない。
 娼婦などというと悲惨な身分であるから、悲劇的な職場に思えるかもしれないが、しかし人間の現実適応力というのは高いものなので、最初のうちは売られて泣いていた女も、いわばすれてきて慣れてしまうケースが多かっただろう。まあ、順応できない場合もあっただろうが。なにせ実のところ中世ヨーロッパというのは鬱病患者が多かった世界なのだ。とはいえ多くの場合、順応してしまうものだろう。そうでもなければ娼婦の自殺率が異様に高かったことだってありえたのだ。実際にはそんなことはないので、順応してしまうものなのだ。きっと。

 引退した娼婦などがなることが多いのが、遣り手婆、遣り手、香車などと呼ばれる、いわば娼婦たち管理人である。遣り手婆たちが娼婦たちの仕事量などを管理し、また娼婦の教育なども行い、客とも折衝した。売春宿における管理業務を任されているのが彼女らである。

 女衒というのもいた。これは男であり、人事担当でもいわばスカウト役である。かといって、現代日本で水商売のお姉さんを捕まえるわけでもないので、やたら女に声をかけるわけでもない。まあ、衣服を見れば身分のわかる社会なので、身を売るような身分の女で良さそうな女がいれば声をかけたのかもしれない。基本的な業務は、自分を売りたい、あるいは娘を売りたいというような時に出向いていって、娼婦として使い物になるか見極めるのである。
 そういうわけなので、この女衒は女をよく知る男がこの職に就いた。つまりジゴロとかスケコマシとかいわれるようなプレイボーイがなったわけである。しかし当然ながら彼らが商品に手を付けたりはしない。だから元ジゴロ、元スケコマシ、など一線級を退いたプレイボーイがなったのだろう。

 他の従業員としては、清掃であるとか、娼婦や客の食事などを用意する普通の仕事をした女もいただろうが、彼女らは娼婦とは別の存在であって、客はとらない。
 日本の高級娼館では、上述の通り娼婦の他に、芸妓芸姑がいて、音楽演奏などをしたが、同様のものがヨーロッパの高級娼館にあったのか、私はよくわからない。


 現代では「表社会」から売春など駆逐されており、我々はどんなものだったのかまったく触れることがない。
 しかし中世ヨーロッパでは売春は普段の、日常の存在なのである。
 冒険者たちは、冒険を終えれば、女を買い、臥所を共にし、楽しんだのだ。
 売春は永遠である。



追記

 誰がいったのか知らないけれど「売春は世界最古の職業である」という文言を書き忘れてしまった。遺憾痛恨の極みである。
 くだらないフェミニズムに負けてファンタジー世界から売春がなくならないよう願いつつ筆を擱きたい。
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