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百合とセクシャルマイノリティについてのメモ [百合]

 自民党の武藤議員が反安保デモの若者を利己的と責めて問題になったあと、週刊誌に詐欺ともとれる投資金融スキャンダルをすっぱ抜かれた挙句、同じ週刊誌に今度は未成年の男性、つまり同性に金銭をもって性的関係を強要、売春に相当する行為を行ったと報道されていた。

 そこでツイッターのセクシャルマイノリティに特別理解のある人々や一部の有識者が「彼はもうLGBTの理解者として活動するしか議員として生き残る道はないのではないか」と述べていた。

 これはかなり的外れに思える。例えるならば、織田信長や三島由紀夫を「LGBTのパイオニア」として祭り上げるようなものである。武藤議員は戦国時代、遡るなら平安時代などからこの国にかなり普遍的に存在する「明確なセクシャルマジョリティ」でしかない。
 確かに戦国時代の武将たちをはじめとする武士たちは同性愛の実践で知られ、あの武士道の教科書「葉隠」にすら同性愛についての記述がある。しかし彼らの中で真に同性愛者ではなかったかと思われるのは、推定であっても上杉謙信くらいではなかろうか。彼らのほぼ全ては普通の異性愛者でありセクシャルマジョリティである。当時から日本人が同性愛を普通に行っていたことはルイス・フロイスが『日本史』の中でも「日本人唯一の悪徳」と嘆いていたくらいである。

 私は創作物の百合というのもこうした文脈で考えている。「セクシャルマジョリティとしての百合」である。「セクシャルマイノリティとしての百合」というのは、明治期以降移入されたアブラハムの宗教を基盤とする文化、それもむしろ戦後それが爆発的に広がったものである。
 確かに現状セクシャルマイノリティによる百合作品は増えているが、それらと「セクシャルマジョリティの百合」がまた別に存在しているように私は考えている。
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百合男子についてのメモ その2 [百合]

 今回は極めて短いメモに留める。

 しばらく前に百合男子についてのメモを書いたが、あれには大きな欠落があった。つまり、私は百合を楽しむのにあたって当然のごとく登場人物の一人に自己を投影するのを前提としていた。しかし、このような物語の楽しみ方は普遍的ではないようなのである。つまり、完全に第三者的な観測という楽しみ方が存在するということである。
 私は窮極的に考えるのなら観測も投影に帰結すると考えているのだが、そこまで極論づけられるか自信がない。確かに私も男女の物語については観測に近いかもしれないし、恋愛ものでないのなら、それこそ歴史群像などで自己投影などしない。

 さて、実際百合男子はどのように百合を楽しむものなのであろうか。

 今回はメモなのでここで留めておく。
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百合男子についてのメモ その1 [百合]

 何故男性が百合を愛好するのだろうか。百合を愛好する男性の動機を簡単に考えてみる。

1.男など見たくない
 女の子がたくさんいたらいい、だが男など見たくないというケース。ハーレム漫画、ハーレムアニメ、ハーレムエロゲへの愛好から進展する。単純にいって「エロゲから主人公男をなくしただけ」である。

2.女性化願望が強い
 女性化願望が強いが、男性(同性)を愛するわけにも行かないケース。

 概ねこの二つに大別できるのではなかろうか? もちろん「自分は純粋に百合が好きなだけだ」と主張する人はそれなりにいるだろう。とはいえ性的衝動としては潜在的に、根源的に突き詰めていけばこの二つしかないように思える。
 とはいえこの二つは両方並び立たないわけではない。むしろこの二つが混淆している方が普通であるとも思える。ただどちらが優位かというのは重要かもしれない。

 ところでたまに「レスビアンカップルに挟まれたい」なる願望を抱く自称百合好きがいると聞く。百合愛好家の多くはこのような見解に対して、違和感はおろか、不快感すら覚えるだろう。当事者たる女性、レスビアンにとっては不快はおろか悪夢でしかない。
 この場合この男の願望は明らかに1.のものであって2.の願望は皆無であろうことが想像できる。

 さて、といってもそういった男性をここで糾弾するわけではない。ここで糾弾しなくても百合好きならだれでも糾弾するだろう。
 つまり百合男子のあり方としての問題である。1.の動機が存在する以上百合好きの男性はこのような不快な願望と無関係でもいられないと少々の危機感のようなものを覚えるからだ。
 「キャッキャウフフ」なる語があるが、これも1.の動機からくる言葉に覚えてならない。いわゆるゆるい系統の百合というのはこの危険性をいつでもはらんでいるのではなかろうか? どうにも私はそのように思えて、だからゆるい系統の、いわば日常系の”百合”に危険性、愛の欠落を感じるのである。
 私がシリアス系の百合しか基本的に好まないのはこの危険性を感じるからだったりする。あるいは嫌悪感と覚えてもいい。
 実際、桜Trick!は明らかに男性向け、成人向けゲームの文化から派生しており(証拠はどろり濃厚であるが)、アニメの描写的にも男性の性的なエロティシズムを喚起させるようなものがしばしば見受けられた。これは「エロレズ」の系譜とも親しく、いずれにせよ同作品や、同じベクトルにあるように思える「キャッキャウフフ」に私は懐疑的な視線を送ってしまうのである。
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百合の当事者性についてのメモ [百合]

 近年百合……つまり創作上でのサフィズム……についての状況は転変している。LGBT――性的少数者――の存在が社会的に顕在してきたのに合わせて、性的少数者による百合作品の執筆も増え、それらが好評を博している。『百合姉妹』(旧『百合姫』)が創刊された時はBL作家をひっかき集めてなんとか形にしていたようなものだった。もちろんそのBL作家の中にも性的少数者である作家はいたわけだが。

 メモ程度なので簡単に書くのみにする。

 ところがこうなるとまた新たな問題が発生する。即ち、「ある種の百合は同性愛差別的である」という指摘である。もちろん旧来の「エロレズ」などはそうだろうが、それはむしろ旧来的なポルノとして免罪される。むしろ一般的な百合の中で同性愛を肯定的に描かないとされた作品全てにこの視線は向けられるのではなかろうか。この件は現在それほど顕在化していないが、今後性的少数者の社会的圧力が強まれば問題視されるかもしれない。
 そしてあるいは「当事者性」や「差別主義」の名のもとに「当事者でもないのに百合を書くな」などと一部の作品が弾劾され、逆に「政治的に正しい(ポリティカル・コレクトネスな)」百合などという概念が発生するのではなかろうか。

 男性であり異性愛者である百合作家たる私は最近この件について少々深刻に憂慮している。
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