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ソースはありません その2 [雑記]

 今さっき調べてみたが、「ソースはありません」の中で私が水晶の記事で「水晶は氷の化石である」とか書いたと書いたが、水晶の記事を見てみたらそんなことは書いていない。よく考えてみたら化石などという概念は近代的にも思う。しかしそう思い込むくらいに私が「古代では水晶は氷の化石であると信じられていた」という認識を強くもっていたということである。
 こうなると澁澤龍彦の水晶についての記述を探したいが、昨日書いたようにこのブログは無責任なものなので別に調べてはいない。一応、「氷の化石」で検索するとそれらしき記事が出てくる。もっとも、スピリチュアル系のものばかりだが。
 一応Wikipediaの記事には大プリニウスによって永遠に溶けない氷だと信じられたなどと書かれている。が、大プリニウス先生一人が信じていただけのなら水晶と氷両方にクリュスタロスというギリシア語が冠せられたりしないだろうし(大プリニウス先生はローマ人であるし)、古代世界の常識であったのだろう。

 マルティコラスの方は一応確かである。というのは、『私のプリニウス』にはちゃんと澁澤龍彦がプリニウスが伝え間違えたと書いているからである。これを根拠に私は「大プリニウス先生のスペルミス」と称してきたのである。
 そうなるとWikipediaの記事はあやふやである。マンティコアはギリシア語でマンティコラスであるなどと書いているし、クテシアスもアリストテレスもマンティコラスと述べていたかのようにみえるが、マンティコラスなるものは大プリニウス先生の間違いであるから、クテシアスもアリストテレスもマルティコラスと書いていたのに違いないからだ。
 ただネットで探してもマンティコラスが大プリニウス先生のスペルミスなどと書いているのはこのサイトだけみたいなので不安にもなってくる。なので確認してみたが『私のプリニウス』には大プリニウス先生のミスだと書かれている。

 水晶の方は澁澤龍彦のエッセイをちょっとあたってみたがどの巻に記述があるのか見当もつかない。いつかわかる日が来るのであろうか。
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ソースはありません [雑記]

 澁澤龍彦の『私のプリニウス』を読み返してみたが、宝石の項目の水晶(クリュスタロス)の部分に「水晶は氷の化石である」などと一言も書かれていない。

 水晶は氷の化石であるとは私が偉そうに一年くらい前に書いている。これは常識であって別に大プリニウス先生の説ではないとも書いている。
 しかし『私のプリニウス』には上記のことは書かれていないのである。

 多分澁澤のほかのエッセイにちゃんと水晶について書かれているとは思うのだが、調べてはいない。別にこのブログは学術的なものでもないしなにかに責任を負う必要があるわけでもない。とはいえ幾つかの項目でグーグル検索をかけるとトップにこのサイトが何故か出てきたりもするので、完全に無責任に振る舞っていいものかどうか迷う。
 だからサイトの説明に「ソースはありません」と書くようにしたのだ。

 だいたい澁澤龍彦はともかくとしても、大プリニウス先生もアリストテレスとかの受け売りをそのまま垂れ流しているのだから厳密にソースとか拘泥するのもどうなのかと思う。水晶が氷の化石であるというのも大プリニウス先生が創作したのかというとあまりそうとも思えない。もちろん私などがそんなものを創作できたりはしないのだから、大プリニウス先生なりアリストテレスなりがそう述べているのであろう。

 マンティコアがマルティコラスのスペルミスで大プリニウス先生が戦犯だというのもこれもあまりに自分の中では有名なので疑ってもいない。当該の記事に古代ペルシア語のスペルまで書いているのだから一応調べたのであろう。が、かといってそれを保障する気もない。

 いや、古代の大プリニウス先生と自分を比べてもどうしようもないのだが。
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ファンタジーとユートピアと私 [雑記]

 私はユートピストである。千年王国も好きなところはあるのだがやはりユートピアを志向している。
 私は一応小説家で、ユートピズムを念頭に置いて小説を書くことは多いが、必ずしもいつもそうではないのだが、やはり読んでくださっている人から見ると作品からユートピズムが出ているらしい。

 前にも書いたけれど、私のファンタジー世界はユートピア志向からはじまった。高校の時登校拒否をして、まあ卒業したので通学したのだが、授業中現実逃避のためにファンタジー世界の設定を延々と考えていた。そんな人間の考えるファンタジーである。当然ユートピアなり千年王国を志向するわけだ。特にヨーロッパの「中世」は400年以上「停滞」の続いた時代だった。ユートピアの夢を仮託したくもなる。修道院というユートピストの夢想にぴったりの施設もあった。
 しかし社会科学の好きな私は夢想的ファンタジー(奇妙な言葉だが)に甘んじることもなくリアリティのあるファンタジー世界を求めていた。これも矛盾した言葉に思える。

 けだしそのような「時間の進化のない閉じた世界」という夢想の実現は難しい。

 大学で本格的に鬱病になり、その最悪期は本も読みたくなかったのだが、そういう時に読んでいたのが「日本のおとぎばなし」とか柳田國男の「遠野物語」だった。「病んでいる」とその時人に言われたが、まったくである。
 結局世界規模で「閉じた世界」を作ろうとするより昔からあるユートピア、理想郷、隠れ里、迷い家、そういったものに触れたほうが早いわけである。実は一昨日も「京丸」について記事を書いていたのだがブログサイトが不調で書き損ねた。
 「憑きもの」についてはとある民俗学の本で読んだが迷い家については詳しくはない。
 とはいえ「理想郷」、閉じた世界を求めるのは人類普遍と言い切ってもよい願望であるし、いくら進歩主義がそれらを退嬰と批判しようが「おとぎ話」を湮滅しようがないのである。

 結局いつもながら何を書きたいのかよくわからない文章になってしまった。
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銀河英雄伝説について [雑記]

 銀河英雄伝説という小説がある。略称銀英伝。アニメ化もされているが、全110話のOVAというかなり途方もないものであった。今度また再度アニメ化されるらしい。
 この大河小説は支那の史的演義から欧州のナポレオン戦争に至るまでの史劇に取材し、それらを一つのバランスあるものに仕上げた、まさに大作である。
 とはいえ、欠点がないわけでもない。むしろ少ないからこそ欠点が浮き出る。

 まず些末な、実にどうでもいい点など。

 門閥貴族の首魁で「悪人」である登場人物に「ブラウンシュバイク公」なる人物が出てくる。のだが、ブラウンシュヴァイクというのはドイツでも有名な地名であり、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国は歴史的にも神聖ローマ帝国の、現在のニーダーザクセン一帯を支配した大国であり、後にハノーファー選帝侯国、ハノーファー王国となった。ハノーファー選帝侯はやがてイングランド王国と同君連合を結び、イングランド王国、つまり現代の連合王国は現在でもハノーヴァー王朝が続いている。つまり「イギリスはブラウンシュバイク公の血筋である」わけである。
 せめてもっとマイナーな名前を選んで欲しかったものである。
 余談だがアニメだとブラウンシュバイク公の旗艦は「ベルリン」である。「ハノーファー」なら格好がつくのだが。

 どうでもいいことが長くなった。

 銀河英雄伝説にはもっと大きな問題点がある。「地球教」である。
 見ていて思うのだが、物語が進むごとに地球教の存在が大きくなっていく。これが問題である。地球教が様々な陰謀を巡らせるわけだが、これらがどんどん成功してしまう。これによって地球教が「悪」をすべて請け負ってしまう。逆に、主要な登場人物であるヤン・ウェンリーやラインハルト、それどころか例えばオーベルシュタインなどが、地球教が悪を引き受けた分「純粋善」となっていく。そして彼らは「悪」から免責されるわけだ。
 もちろん娯楽小説としてはそれで結構なのだが、それなりに「政治的」な匂いのする作品であり、史劇を衒っているのだから、そこがどうにも容認しがたい。
 なおかつ劇中で「テロは歴史を動かさない」などというお題目を掲げているのに自己矛盾ともなりかねない。

 あとは中規模な欠点。
 劇中やたらと、「政治家や貴族、その子弟が安全な後方に隠れていて前線で戦わない」という理由で否定され、「前線に立つ」という理由で主要主人公たちは肯定される。
 しかし、実際の歴史において、つい最近の第二次世界大戦でも、「悪」の側である枢軸国においても主要な政治家や貴族やその子弟が前線に立っている。大日本帝国では、上級士官なら閑院宮あたりが指揮をとっていたし、下級士官でも近衛家だったか、高級華族、公爵家の子息がシベリア抑留で死亡している。ドイツ国でもナチスのフォン・リッペントロップの息子は戦車エースとして有名である。連合国でもマウントバッテンなどはほぼ前線指揮官であっただろうし、であるからして日本嫌いだった。
 まあおそらくはメイミョウで芸者と遊んでいた牟田口廉也あたりを念頭に置いて書いたのでろうが。
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「ドラクエ的世界」と久美沙織の予言 駄文 [雑記]

 最近……というよりはムーヴメント自体はしばらく前だろうか、勇者だの魔王だのの「日常系」とでもいうべきライトノベルが流行った。まあこのブログの視点からして基本的に嫌いなのだが。
 読んだこともないし関心もないのではあるが、こういったものは奇妙に思える。つまりドラクエのような、社会的実存基盤の極めて疑わしいモティーフを用いて何故読者が共感できるような物語が成立しうるのかということである。
 それはつまり読者の現実がそれだけ、ドラクエ世界の疑わしさと同じレベルまでに崩壊しているのではないか、とも思える。

 初代ドラクエのノベライズを行った久美沙織は、ドラクエ的なものはいずれ廃れる、良貨が悪貨を駆逐すると「予言」したものだが、その予言は大外れしたわけである。

 久美沙織が奇妙に思った点の一つとして思われるのは、要するに勇者一行が家捜しして他人の家の箪笥や壷を勝手に漁ってアイテムを手に入れるような行動であるようであったと思う。
 これについてはあるライターが「脳内補完」しろと書いていた。つまり家の主人に勇者一行が「ここには伝説のXXがあるという噂を聞きよろしければ家を見させてくれませんか」みたいなやりとりがあるのだと補完しろというわけである。
 しかしそんな脳内補完をしているプレイヤーももはやほとんどいまい。

 私にはやはり読者の現実の方がドラクエ的世界並に不安定なのだと思えるのだが。
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平行世界のその後 [雑記]

 平行世界、パラレルワールドが出てくる作品がよくある。

 また、タイムリープもの、つまり時間を遡及してやり直しては「ハッピーエンド」を求めようとする作品もまた珍しいものではない。これもまた、バッドエンドな世界とハッピーエンドな世界とが平行しているわけなので、平行世界ものといえる。
 シュレーディンガーの猫におけるいわゆるエヴェレットの多世界解釈についていうならこちらの方がより正確な平行世界の概念に近い。まあエヴェレット解釈についてはコペンハーゲン解釈によるとエヴェレット解釈はコペンハーゲン解釈の一面を解説しただけのものにすぎないらしいが。
 まあ量子力学の話はさておき。

 で、思うのだが、タイムリープで「主人公」はベストな結果を求めて平行世界を行き来するのだが、ではそれ以外の平行世界はどうなるのであろうか。
 例えば最初の世界線でヒロインが死んだり世界が滅亡したとして、主人公は他の世界線でそれらを救うとする。しかし最初の世界線での結果が覆るわけではなく、その最初の世界線は悲劇のまま主人公の新しい世界線とは平行して平行世界として存在し続ける。

 どうもそこが責任放棄に感じるというのか、「最初の世界線」を「棄てる」という構造に納得出来ないので、タイムリープものには違和感を覚える。
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表現規制と萎縮効果についてのどうでもいいこと 愚痴 [雑記]

 診断メーカーというサイトがある。主にツイッターと連携して利用される。診断と称しているものの、基本的にはランダムでしか結果を算出しないので、どうでもいい暇つぶしのネタにしか使えない。

 それで、「世界史格言」みたいな診断を作ろうと思ったのだが、いざ登録しようとすると下の方に人種差別だの誹謗中傷だの卑猥なものだの不健全なものは登録禁止と書かれている。しかし作ろうとしているのは世界史格言であるから、そういったものに抵触しやすい。なにせヒトラーだのスターリンだのそんな人物の言葉が並んでいる。
 また逆に、「死ぬ」だの「殺す」だのといった表現も自動的に伏字になるのだが、こうなると逆に人権や自由の大切さを謳った言葉もまたNGになる。
 後者は自動的に伏字にされるだけで、まあ愚かだとは思うが、対処できる。しかし前者である。これがどこまで引っかかるかよくわからない。曖昧極まりない。しかも診断メーカーの運営者の判断基準もわからない。例えば「ユダヤ人」「天皇」という言葉があったら即削除など考えうる。
 そして最後に違反したら削除、あるいはアカウント禁止などと書かれている。

 削除されるのは構わないがアカウント禁止されてはたまらない。というわけで萎縮した私は作るのをやめた。そして、ああ、これが表現規制における萎縮効果というやつなんだなと実感したわけである。

 まあ、実にどうでもいい話であるが。
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ファンタジー世界という逃げ場 [雑記]

 ここまでそこそこ長くこのウェブログを記載しておいて「これはなんだ」ということを一切書いてこなかった。「なんなんだこのブログは」と。そもそもこれを書いている私が誰なのかも説明というのか、していない。このブログの存在意義についてなんの説明もなくいきなりCardWirthの記事からはじまって唐突に百合の話などをしている。
 といっても特別説明する気もなく、実はずっと説明せずに延々とCardWirthやファンタジー世界の記事を書こうと思っていた。のだが、多少不親切なのかと思われるのでたまには雑記を書いてみる。特にこのブログの解説をするつもりもなかったりする。

 私は中世ヨーロッパ風ファンタジー世界が大好きである。なぜかは不明である。おそらく初めてそれに触れたのは、おおよその日本人と同じくコンピュータRPGによってである。今となっては貧相なドラクエやらファイナルファンタジーである。といってもうちは家庭用ゲーム機禁止の家だったのでゲームはあまりしていない。しかしだからこそ余計ゲームを求めるようになったのだろう。ゲームや漫画を禁止する厳しい家の出身ほど反動でオタク化しやすいというのは一部では常識である。
 そして私は他の人よりより好奇心旺盛で知識欲盛んであった。更には近所の本屋には当時珍しかった新紀元社や富士見ドラゴンブックのコーナーが存在した。そんなわけで「ファンタジー世界」について運よくか悪くかより深く触れることになった。
 折しも『ロードス島戦記』が出版された頃で、ファンタジーブームが訪れつつあった。それで私は新紀元社の本や富士見ドラゴンブックの本のお陰でよりディープにファンタジー世界に触れることになったわけである。
 ところで時を同じくして私の精神状態は非常に悪化していった。仔細は面倒なので書かないが。結局高校に至って登校拒否を起こして、その後無理やり高校に通ってなんとか「登校拒否を克服して」大学に入り、育英会学生ローンを背負い込みつつなんとか入った大学でいじめに会いまた精神崩壊させるのだが。
 まあ私の惨めな人生はともかくとして。

 そんな時に私の現実逃避、精神の逃げ場となったのがファンタジー世界だった。高校の時はもうオリジナルのファンタジー世界を構築してそこに逃げこむことだけを考えていた。頭の中では完全にそのオリジナルのファンタジー世界の住人として過ごしていた。
 ところがオリジナルのファンタジー世界を作りこもうとすればするほど破綻が見えてくるのである。経済体系、社会体制、など。
 それに加えて中世ヨーロッパ社会についての知識が絶対的に不足していた。

 そんなわけで「社会」がどのようにして構築されてきたのかを知るために名前からしてそれっぽい学問である「社会学」を志したりしたのだが……まあ望むものは大して得られなかったしそもそも大学で精神崩壊したのだからどうしようもないことだった。

 どうでもいい話であった。私がやたらファンタジー世界を好きなのはこのような理由からである。というお話である。
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