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ソードワールドの墓碑 [TRPG]

 このブログは相変わらずそこそこ検索にひっかかるらしい。以前は中世ヨーロッパの識字率とか貨幣の価値がそこそこ人気だった。最近はファンタジー世界の飲み物という記事でたどり着くことが多いようだ。しかしなんども申し上げているようにこのブログは説明文にもソースはないと書いているし、私の胡乱な知識に基づいた下調べもしていない記事であるから、こうも検索でたどり着かれても恐縮至極である。そのうち多少真面目にここの記事をまとめてWikiにでもしておこうと思って中世ヨーロッパ風ファンタジー世界Wikiを作っているのだが遅々として進まない。

 うさんくさい記憶だけで書いた記事として、アロンダイトのことがある。このブログで二回に亘って、アロンダイトなど新紀元社の本にしか出てこない、捏造の疑いありなどと書いた気がする。しかし見直してみたら、アロンダイトはちゃんとヨーロッパ系の資料でも存在した。
 アロンダイトは今ではサー・ランスロットの剣として定着している。しかしアロンダイトという名前の初出は14世紀の叙事詩であるようで、少なくともオリジナルのランスロットが登場する騎士叙事詩には出てこない。しかも14世紀のものにしても持ち主はなんとなく綴りがランスロットに似ている人物だが、ランスロット本人とは書かれていない。
 ただ19世紀の通俗的な種本、当時の新紀元社的な本にはアロンダイトはランスロットの剣と書かれている。ただこの本は当時の新紀元社のような本なので、信憑性とかが高いものではなく、叙事詩というわけでもないし、資料とした叙事詩が特にあるわけでもないらしい。
 なのでアロンダイトは新紀元社の捏造というのは誤りであったが、しかし出自不明の存在であることは変わりない。

 ちょっと調べると新紀元社は他にもやらかしている。しかもそれがウィキペディアの誤表記にすらつながっている。
 例えばフランベルジュと呼ばれる剣があるのだが、そのウィキペディアの項目名、ページ名はフランベルジ「ェ」となっている。これは新紀元社のせいである。新紀元社の本にフランベルジェという誤った表記があったからウィキペディアで最初に項目立てた人間が間違う羽目になった。ちなみに私もフランベルジェで覚えていてもよさそうだがフランス語を多少知っていればフランベルジュとわかることだからなのかフランベルジュで覚えている。
 同じことはツヴァイヘンダーにもある。つまり新紀元社の本にはすべてツヴァイ「ハ」ンダーとある。しかしドイツ語の綴りは"Zweihänder"なのでツヴァイヘンダーである。ウィキペディアの項目も表記もちゃんとツヴァイヘンダーとなっている。しかし一応、新紀元社のせいで日本ではツヴァイハンダーと呼ばれているみたいな言及がある。
 ただまあこのレベルの誤表記はドイツ語のアウクスブルクをアウグスブルクと書いたりアウグスブルグと書いたりとありがちではある。

 これらについて新紀元社をいたずらに責めるのも酷ではあろう。こういった間違いはありえないことではない。だいたい、かの大プリニウス先生ですらマルティコラスをマンティコラスとスペルミスしてそれが後世まで残っている。
 とはいえ誤りは誤りであり、それが新紀元社に由来するのも確かだ。
 ついでにいうなら自社のラノベ単行本レーベルで異世界だの転生だの出版している新紀元社には愛想が尽きたので同情する気がなくなった。新紀元社は日本のファンタジー創成期から大きな存在の出版社ではあり、その功績を認めるのは同感なのだが、異世界転生などに手を染めるとは。
 まあ風俗店のチラシみたいな装丁のアルファポリスよりはマシな装丁であったが。何故ああもアルファポリスの本は装丁が下品なのか本当に謎である。


 先日記事が途中で全部吹き飛んでやる気がなくなったのだが、それを復活させようかなとかちょっと考えたりしている。

 何を書いていたかというと天野喜孝のイラストについて書いていた。天野喜孝のイラストというと、個人的には、エルリック・サーガと、ファイナルファンタジーと、ソードワールドであった。

 エルリック・サーガは、日本で出版された時にイラストを天野喜孝が担当したのだが、作者のマイクル・ムアコックはこれをいたくお気に召して、英語版はじめとするすべてのエルリック・サーガのイラストを天野喜孝版にさせたらしい。ちなみに翻訳を担当したのは後にグループSNEを立ち上げる安田均である。

 ファイナルファンタジーについては特に語ることもないだろう。もっとも近年のファイナルファンタジーといえば萌えとリアルの不気味の谷にあるような気持ち悪い顔と延々と馬鹿みたいに長い容量を食いまくるムービーと一本道なだけのシステムとわけの分からぬ造語にまみれた気持ち悪いシナリオばかりが有名で、天野喜孝的なものは一掃されたように思える。

 ソードワールド無印もキービジュアルが天野喜孝であった。安田均のつながりでそうなったのかもしれない。先日私が古本で購入した安田均のファンタジーファイルシリーズも天野喜孝がメインビジュアルであった。
 ソードワールド無印は、そもそも萌えビジュアルが一世を風靡どころか確立も定着もしていない時代のものであったから、コアになる書籍には一切といっていいほど萌え絵はない。ラノベ的な萌えはない。ラノベ自体この頃はまだソードワールド無印との関係が深いロードス島戦記が世に出はじめた頃であり、ラノベの存在自体がまさに黎明期であった。
 それに比べるとソードワールド2.0などは実にラノベ的であり、イラストは当然萌え絵だし、ゲームの要素にもラノベ臭が芬々としている。私はソードワールド2.0が大嫌いなのだが、しかし何故嫌いなのかはもう忘れてしまった。今更その理由を省みる気もない。その一つにあまりにラノベ的な要素が強いというのはあった。別にラノベ的なものをすべて否定する気もなく、私が遊んでいたソードワールド無印でも私が描いたPCのキャラ絵は萌えイラストだったけれど、ソードワールド2.0が嫌いなのはむしろルールとかアイテムとかのラノベ感であった。

 ファイナルファンタジーにしてもソードワールドにしても大昔は萌えの欠片もなく、イラストは「硬派」な天野喜孝であった。ドラゴンクエストの鳥山明のような少年向けともまた違う。いわば大人向けともいえよう。そう、だいたいそもそもTRPGなどというのは大人がやるものであったからルールブックなども価格が高かった。ファミコンにしたって高価なものであり、とても子供向けとはいえない価格帯のものである。だから昔はファイナルファンタジーなどはおそらく大人が遊ぶものと想定して作られていたのかもしれない。

 ソードワールド無印というのは、ベーシックなファンタジー世界を元にしたものであり、敢えていうならソードワールド自体の独自性というのは低かった。少なくとも当時の「典型的」中世ヨーロッパ風ファンタジー世界を描いたものであり、余計な要素は少なかった。そしてそれは欠点でもなんでもなかった。
 ソードワールド2.0はそれとは違う。正統派中世ヨーロッパ風ファンタジー世界でもなんでもない。ソードワールド2.0という特殊な世界観に基づいたワールドであった。要するに自己主張が強かった。だから私にとって実に不要であった。私はベーシックなファンタジー世界で遊びたかったのだ。

 別にソードワールド2.0のことを私が嫌いでも本来なら特に問題のあることではない。合わないファンタジーなど幾らでもあろう。しかしソードワールド2.0は展開にあたってソードワールド無印を抹殺にかかった。ソードワールド2.0のあとソードワールド無印はまったくなんのサポートもされず絶版となった。ソードワールド無印をやっていた人間は問答無用でソードワールド2.0をやれといわんばかりであった。しかしソードワールド無印とソードワールド2.0は基本ルールが共通なだけで世界観は全然別物なのだ。
 あるいは安田均、水野良、清松みゆきといったグループSNEの重鎮が「引退」するのでもうソードワールド無印のサポートをしかねるということだったのだろうか。だがそこまで個人の力量に依存していたとも思えない。単にソードワールド無印の人気が落ちて刷新を図りたかったということなのだろう。だがそれにしてもソードワールド2.0は嫌いである。何故グループSNEはそこまでソードワールド無印を抹殺にかかったのか。2.0と並行展開できなかったのか。そう思ってしまう。
 これは単に無印を懐古しているというわけでもない。2.0と無印は世界観の方向性が違うのだ。2.0は無印の代替物になりようがないのだ。


 先日書いたのはもっと天野喜孝を賞賛する内容だった気もするのだが、しかしソードワールド2.0への恨み節みたいになってしまった。
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ゲーマーの区分 [TRPG]

 ここ最近スマホではRPGを自称するゲームが人気である。これはゲームシステム的にはビジュアルノベルとRPG風ターンバトルの合いの子である。ビジュアルノベルというのは、キャラの立ち絵があって、シナリオが進んでいくだけのことである。選択肢も一応あるが、95%以上のゲームはどの選択肢を選んでも一部の文章が変わるだけで、ほぼ完全に選択肢のない一本道シナリオである。シナリオの内容はたまに面白いのもあるが、大抵は安いラノベであり見るべきものはほとんどない。主人公のキャラメイクはほぼ存在せず、男女の性別が選べればまだ良心的である。これらが自らをRPGを称する根拠はJRPGでおなじみのターン制バトルをシナリオの途中に差し挟むという点だけである。しかし大抵の場合バトルは意味もなく挟まれたものにすぎない。一部のゲームではそれでも「敵が来る」などというセリフがあってそれはまだましな方であり、今や大抵のゲームではそんなセリフすらなくシナリオの最低単位につき一回RPG風ターンバトルが挟まれる。基本的に行動力というポイントが設定されており、それを消費することで一定の長さのシナリオを読め、それにつきたいてい一回バトルがある。行動力はシナリオを読み進めるとなくなり、時間経過で回復するが、有料アイテムで行動力を回復させることもできる。昔はここが課金の主要ポイントであったが、そういったゲームは今では主に女性向きのものばかりである。バトルはそれとは別の課金システムとして存在したが、現在ではこちらが主要な課金のシステムになっている。
 これのどこがRPGなのかはまったくもってよくわからないものではある。これらがRPGを自称する根拠は、繰り返しになるが、コンピュータRPG風ターンバトルだけなのである。
 元来のRPGとは、ロールプレイングゲームであり、つまり主人公の役割を演じるお芝居のようなものだったのだ。TRPGの大雑把な説明としてなりきりチャットのようなもの、というのがあり、これをするとTRPGゲーマーからは怒られるのだが、しかしまあ、RPGがなんだったのかすっかり忘れ去られた現代にあってはこの乱暴な説明ですらわからなくもない。
 一応このスマホRPGがRPGを自称していられるのは、これらのゲームがシナリオ的に主人公に自己投影して遊ぶものだという最低限のコンピュータRPGの原則をクリアしていることになっているからだが、しかし私のような天邪鬼はこれらのラノベ的主人公にたいして感情移入できないのである。なにせ性別すら多くの場合選べないのだ。


 さて。今日は別にスマホRPGに文句をつけるのはおまけなのであった。

 ゲーマーというのはプレイスタイルによって幾つかの種類に分かれるとされる。
 有名なのはカードゲームにおけるゲーマー区分、スパイク、ティミー、ジョニーである。

 スパイクは、とにかく勝つことだけを考える。ゲームのすべては勝つためである。それ以外は何も考えない。いかに効率よく勝利をおさめるか。それだけを考えるのがスパイクである。傍から見ると何が面白いんだと思う人がいるかもしれないが、合理的効率というのは考えているだけでも面白いという数学的快楽があるのだ。端的に言ってゲームというのはボタンを押して数字が増えるだけでも面白い。
 ティミーは、勝つ過程そのものを楽しむ。派手な大技をぶちかましたり、華麗な勝利を収めたりというパフォーマンス的な楽しみをゲームに見出している。思うに、ティミーは、自分の勝ちたいように勝ちたいのであり、それ以外の勝ち方では面白くないのであろう。
 ジョニーとは、ゲームのルールの抜け穴を探すのが好きなタイプであろう。意外な大技、ありえないと思われてきた勝ち方、それらを探求するのが好きなのである。仔細は後述するが、囲碁AIは定石を無視することで人間相手に勝利を収めたが、それと似ていて、意外な勝ち方を求める。
 当たり前だけれどこの中で一番強いのはスパイクである。なにせ勝つことしか考えていない。
 それにゲームというものの成り立ちを考えるのならスパイクはゲーマーの基本でもあろう。ゲームの起源は、将棋・チェス・囲碁、プレイングカード(トランプ)、兵棋演習の三つだと思うけれど、ゲームがプリミティヴになればなるほどゲーマーの姿はスパイク以外のものではなくなる。詰将棋などというものがそれを示している。
 最強のスパイクとは申すまでもなくAIである。AIは派手に勝ちたいとか自分の理想通り勝ちたいとか思うわけはないのである。その中で囲碁AIがとった行動は興味深い。囲碁には二千年かけて作り上げてきた定石というものがある。定石というのは定石という言葉の語源となったくらいのものである。しかし囲碁AIは人類が二千年かけて営々と築き上げてきた定石を一蹴し無視して勝ったのである。

 同じカードゲームではもう一つのゲーマーの区分がある。ヴォーソスとメルヴィンである。

 ヴォーソスは、ゲームそのものだけではなく、ゲームの、カードゲームならデザイン、その背景世界、バックストーリー、そういったものに価値の重きを置く。
 メルヴィンはゲームのルール、カードゲームならゲームとしての価値、カードの強さ、そういったものに価値の重きを置く。

 ヴォーソスなどはどちらかというと「現代的な」楽しみ方の基準に思える。チェスの材質だとか碁盤の木材だとかに芸術的価値はあるにしても、チェスをプレイしながらクイーンは女王様だとかキャラ性を付加して考えたりはしまい。トランプのどのカードがシャルルマーニュであるとか気にしてプレイしたりもしない。タロの大アルカナなどは解釈のしがいはあるがあくまでそれは占いであり、カードゲームとして遊ぶなら別である。タロの大アルカナも昔はプレイングカードとして存在した。しかるに「最近の」カードゲームはドラゴンだとかエルフだとかデザインされていて、その背景世界まで設定されている。とはいえ前近代の人間もヴォーソス的な楽しみがなかったというわけでもあるまい。チェスにせよ囲碁にせよ「永遠」や「神々の永遠の戦い」の比喩としても使われている。

 思うに、ヴォーソスとメルヴィンの方が今の時代では汎用性のある区分に思える。私の中では、ヴォーソスとメルヴィンという名前を知る前からなんとなく付加価値的楽しみとか合理主義的楽しみとかなんとなく分けていた。

 TRPGなどは私にとってはそうなのだが、どちらかというとほとんど純粋にヴォーソス的なゲームだと思っている。プレイヤーは別にGMに勝ちたいとか思ってプレイしないし、GMがプレイヤーをこてんぱんに叩きのめそうとしてプレイなどしてもろくなプレイングにならない。もちろんプレイヤーはプレイヤーキャラクターを通じてGMの裏をかくようなプレイングをするのは楽しいだろうし、高レベルPCともなればGMも全力で挑む必要がある。かといってそこはバランスであり、極論すればかけだし冒険者PTのシナリオにドラゴンが出てきてPC皆殺しにしても何一つ楽しくない。私がTRPGをなりチャの延長線上にあるとかなんとはなく思ったりもするのもそういった発想であろう。それに私は運良くなのかPCを全力で殺しに来るようなGMのプレイングにもあたったことがない。

 コンピュータゲームだと、マルチプレイなどはメルヴィン的なスタイルが表に出やすい。マルチプレイというのは単純な強弱と勝敗の世界である。だからこそ、競争原理が働くからこそ、強くなるために金をかけたくなる。他のプレイヤーより順位を上げるために、ランキングの報酬を得るために金をかけて強化したくなる。なので最近のゲームは、マルチプレイに重点を置いているのだ。他のプレイヤーに勝つためならプレイヤーはより財布の紐をゆるめてくれる。
 これがシングルプレイなら、競争原理は基本的に働かない。マイペースで遊べる。最近はRTAなどという、シングルプレイでいかに素早くクリアするかタイムを競う動画も有名になっているが、しかしこれはシングルプレイの本質的な遊びとはあまり関係ない。

 私などは基本的にヴォーソスである。シヴィライゼーションでも、ハーツオブアイアンでも、私は理想の国家建設、壮大な文明叙事詩、そのために遊んでいるようなのである。
 たとえばシヴィライゼーションではスパ帝と呼ばれる有名なプレイヤーがいて、難易度天帝でスパイ経済という攻略法で有名になったためスパ帝と名乗っている。彼は典型的スパイクであり、メルヴィンである。しかし私などは彼のプレイを参考にはするだろうが、彼のようなプレイをしたいわけではない。私は難易度皇子で自分の理想的国家建設が出来ればそれで満足なのであり、その過程に何かしらのストーリー的なものを見出しているのだ。

 だが私のようなプレイスタイルでは金はあまり落ちないだろう。勝利のために金を支払ったりしない。スパ帝氏なども金を支払わず勝利の法則などを見出すのかもしれないが、しかし彼の土俵に乗るなら金を払いたくもなるかもしれない。

 海外ではスターウォーズバトルフロント2のガチャの是非をきっかけにガチャに対して是非論が噴出しており、各国政府や各国自治体、政治家たちが次々とガチャに対して否定的な見解を示しはじめている。しかし我がジャパンにあっては、元々パチンコパチスロとかいう賭博が警察官僚を籠絡することによって横行していたりもするし、ガチャもソシャゲ業界がなにかしたのかしていないのかわからないがガチャについては、せいぜいがコンプガチャに絵合わせ適用をちらつかせたら自主規制された程度で、ガチャゲームは我が世の春を謳歌している。

 ただ、思うに日本のガチャは若干特殊性を持っているだろう。キャラ性である。つまり強さとはまた別の次元で特定のキャラクターに対してガチャを引きたがる。「人気キャラ」と「最強キャラ」が異なることが日本のガチャの錬金術である。これなどはまったくメルヴィンとしての楽しみなどなく、ヴォーソスとしての楽しみである。ここが日本のゲーム業界の特殊性であろう。

 私はシングルプレイ中心でヴォーソスとしてゲームを楽しんでいる、典型的日本型ゲームユーザーとは思える。しかしそれで射幸心を煽られて金を出すというのも乗り気になれない。だいたい、ガチャに数万もかけるのは、幾らヴォーソス的としても金がかかりすぎであり、費用対効果が悪すぎる。
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恵まれていた私のオンセ時代とGM 駄文メモ [TRPG]

 ハングドマンに啓示されたセルフギアスによって私は今年中毎日ここの記事を書かないといけないのである。……


 トゥギャッターを見ているとTRPGの記事もちょくちょく出ている。今日は「TRPGで悲劇的なシナリオは許されるか」みたいな記事だった。

 しかし私がオンラインセッションをしていた頃は、まあ私のことを個人的に嫌いな人は若干名いたが、そのサークル内では一応相互に信頼関係が保たれていたので、こんな話題が上がるようなことはなく、平和な毎日を過ごしていた。
 悲劇的なシナリオもあったが、それは私の好みを知ってくれていたGMの人がヴァーグナーの救済悲劇仕立てのシナリオをやってくれて「感動的」だったりしたものとかだったりした。私のPCもやや設定的に「悲劇のヒロイン」的な設定にしていたし、他の人もそれに合わせてくれていた。相互の信頼関係の賜物だった。

 だから、例えば有名なソードワールドのレベル1精霊魔法ピュリフィケーションで即死とか聞くけれども、私の頭の中ではそんなものはGMが没にすればいいだけの話だと思っていたし、そんな屁理屈的なことは馬鹿馬鹿しいだけのことだと思っていたし今でもそう思っている。
 逆に前も話したとおり、プレイヤーとして参加していた時にダンジョンの室内でパイクを振り回すのはどうだろうかとルールの方を捻じ曲げさせたこともあった。

 しかしそういうプレイヤーやGMばかりというわけではない、ということである。


 ただ私も一応少しだけ商業PBMでGMをしていたことがあったから、そうなると気を使う必要が出てくるわけである。どのプレイヤーも活躍させなければならない。

 TRPGのGMをやって一番心が折れたのはセッション失敗判定だった。なんでも成功させるご都合主義は馴れ合いで批判の対象にもなるだろう。またオンラインという微妙な信頼関係にあってはやはりプレイヤーの心情も気にしてしまうのである。

 PBMはまた商業作品でもあるし、よりそのバランスが問われる。明らかなミス判断をしているPCにはその結果を出さないといけないわけだが。代金をいただく以上融通無碍ともいかない。もっともこの辺は私は短期間しかGMをやらなかったのでプロ意識として間違っているのかもしれないが。

 ただPBMだと「ピュリフィケーションで即死」みたいな心配もしなくていいのではあるが。
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RPGってなんでしたっけ メモ [TRPG]

 もう遅いので簡単に。

 TRPGのことを知らない人に説明するとき、たいへん大雑把で面倒な場合の説明の仕方として、「なりちゃのようなもの」という説明の仕方がある。もちろんちゃんとした(?)TRPGプレイヤーには怒られるようないい加減極まりない雑な説明である。

 しかし、である。今のコンピュータRPGしか念頭にない相手に伝えるのには特別問題ない……というよりは手っ取り早いようにも思える。

 いや、そう思っている、というよりも、そう思ってしまうくらいTRPGとコンピュータRPGはかけ離れすぎているように思えるのである。

 そういえば仕事の、特に対人でなにか行う……営業やテレフォンオペレーターの研修でも「ロールプレイ」は行われていて、あれはTRPGに等しい……というかRPGの本来の意味を成している。

 しかしロールプレイの研修を受けている当人はそれが「ドラクエの等価物」であることを理解、しているのであろうか?
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ファンタジー世界と方言による表現についてのメモ [TRPG]

 TRPGでファンタジー世界の住人は一応「標準語」をしゃべる。ここでいう標準語というのは「そのファンタジー世界での標準語」という意味ではなく、「セッション上」、「日本語の標準語」をしゃべるという意味である。といっても、関西や東北などでのセッションを知らないので確実な話ではない。

 とはいえファンタジー世界の住人に方言を喋らせたくなることもある。主に二つ。一つは田舎者であることを表現する場合。もう一つは阿漕な商人などを演じる場合。当然前者は東北弁で、後者は関西弁である。ステレオタイプもいいところである。

 ではヨーロッパの地理と照らしあわせて、方言だけで地方性を演出しようと思ったらどうなるか。ファンタジー世界のである。

 例えばイタリアをモデルにした国なら、中世イタリアといえば商業が発展していたわけで、となると関西弁が似つかわしい。ステレオタイプに従うなら。これをまた現実のヨーロッパとごちゃ混ぜにすると、ダ=ヴィンチやマキアヴェッリやガリレオ・ガリレイなどが関西弁で話すことになる。
 もっとざっくり分けてラテン系の言葉を全部関西弁に近いとするなら、フランスをモデルにした国も関西弁になる。シャルルとかルイとかそんな名前のキャラが関西弁で話をする。

 逆にゲルマン語圏などは、北であるし、「元」蛮族であったことも考えると、東北弁が似つかわしくもなってくる。リヒャルト・フォン・ローゼンバッハなんて大仰な名前のキャラが東北弁で喋るわけである。

 一応ファンタジー世界でも、方言ではなく地方語というのが設定されている場合があるわけだが、現実の日本語から類推するなら、そのような味付けも可能なわけである。例えばソードワールドなら東方語は東北訛り、西方語は関西訛りなど。
 しかしそうするとキャラ崩壊を起こす可能性が色々あったりもする。とはいえ大都市出身のキャラが田舎者を小馬鹿にするというのはもちろんあるだろうし、それは他の地方についても、例えば日本でも作られた地方ごとのステレオタイプがあるわけなので、そういった地方色をファンタジー世界でも色々出せたら面白いとは思うのだが。
 その辺はトータルウォーシリーズをやっていると将軍の演説とか外交官のセリフとかで他国を馬鹿にするセリフが見られるので参考になる。例えば大英帝国の外交官とかは交渉が悪い結果の時に「貴公の言っていることは丈の短いパンツを履いたフランス人のように気障である!」とかあったりして各国の独自色やら、時代的な古臭さがあって面白い。
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TRPGでの贅沢 メモ的 [TRPG]

 TRPGについて私は偉そうにここで書いているが、遊んだことがあるのはソードワールド(無印)だけだったりする。PBWのゲームマスター(商業)はしたことがあるが。

 さて、以前ソードワールドを遊んでいたのはテキストセッションだった。テキストセッションは異性を演じるのに都合がいい。というわけで女性化願望のある私は女の子のPCで遊んでいた。
 それで前にレイピアについて散々なことを書いておいてなんであるがメインウェポンはレイピアだった。それもフラムベルクであった。知っている人は知っているだろうがソードワールドにフランベルジュは存在するがフラムベルクは存在しない。なのでレイピアのフラムベルク扱いとでもいったところだった。といってもソードワールド無印では全て「ソード」に分類されるのでルール的にはフラムベルクにしたところでなんの意味もない。
 そして更にルール的には意味がないどころか自ら不利にしたのだが、フラムベルクの加工賃と拵えを豪華にするという名目で100ガメルほど余計に出費したのである。ついでに精霊使いだったのでハードレザーだったが、それにも余計な出費をして「豪華な装飾付き」ということにしたのである。

 しかし遺憾なことにこの出費が役に立ったことはそんなになかった。というか「装飾を豪華にする」という名目で余計な金を払うプレイヤー自体がいなかったわけである。一応お嬢様っぽいキャラでプレイしていたので反映されなくもなかったが、「豪華な装飾」を拾ってくれるGMはいなかった。それにフラムベルクを突き付けて「痛い上に傷が治りにくい」と脅迫などしてみたこともあったのだが、拾ってもらえなかった。
 ちなみに前も書いたようにそれに加えて隠しダガーも持っていたが全く役に立ったことはなかった。

 といっても別に愚痴をこぼしたいわけではなく、この自己満足なロールプレイを書きたかっただけである。ロールプレイというのは一つにはこういうものだと、私は思っているわけである。
 ただ、狭い場所での戦闘にペナルティをつけるとか、腰のものを預からせて隠しダガーを役に立たせるとか、そういうプレイをGMの側としてはもっとすべきでないか、などと思っている。まあソードワールド2.0は知らないのだが。
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